今や大ヒット漫画となった『キングダム』。
『キングダム』をご覧になった方の中には、過酷な戦乱の世に生まれながらも、夢を叶えるために戦い続ける主人公、信の姿に心を打たれた方もいるのではないでしょうか。
信は考えるよりも前に体が出るタイプ、本能型の将軍として成長していきます。
その一方で、社内政治に力を入れ、商人から国の宰相(大臣)にまで成り上がった知能型の文官に「呂不韋」という人物がいます。
あと一歩で、国の実権を取れるところまでその歩みを進めた呂不韋。
本記事では、呂不韋の社内政治の成功と失敗を解説していきます。
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キングダムとは?
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※本記事はネタバレを含みます。
物語の舞台は中国の「春秋戦国時代」の末期。中国は7つの国に分裂しており、その中の「秦」という国で暮らしている少年が、後の大将軍である本作品の主人公「信」です。
信は中華を統一する野望を掲げた秦国の大王「嬴政」と共に、他国と激しい争いを繰り広げていましたが、そんな嬴政の王座を陰で虎視淡々と狙う人物が「呂不韋」でした。
『キングダム』における呂不韋の役割とは?
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今回『キングダム』の数あるキャラの中で、なぜ呂不韋を取り上げることになったのか?その理由は以下の2つです。
- 人・モノ・金を見る目が優れている
- 人をコントロールできないことを教えてくれる
『キングダム』の中で群を抜く「交渉の達人」から、今を生きる私たちが学べることは何なのか?それを今回は詳しく解説していきます。
呂不韋とは?【ネタバレあり】
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所属 | 秦趙 |
性別 | 男性 |
声優 | 玄田 哲章 |
呂不韋は秦国を代表する「丞相」です。丞相は今でいうところの「首相」であり、呂不韋はもともと春秋7カ国を渡り歩き富を築いた商人だった過去を持ちます。信にとって呂不韋は正に「高位な人物」に該当します。
物語では、秦王である嬴政に対し大規模な反乱を画策しますが失敗。その後は権威を失い、服毒自殺をはかりました。(※)
※漫画では含みのある表現をしているため、今後呂不韋が復活する可能性はあります。
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呂不韋は実際に存在したと考えられます。そしておおよそキングダムに記載されている通りの生涯を送っています。
趙の人質だったみすぼらしい秦の異人「子楚」(後の荘襄王のこと)に目をつけた呂不韋は「珍しいものは取っておこう」の精神でこの異人に投資。
結果として子楚は秦の王位に(荘襄王の名で即位)、その後子楚の子である嬴政が後を引き継いだ、ということが『史記』に記されています。
荘襄王が即位した際に呂不韋は丞相となり、嬴政が王になると更に権力を強めていきます。
しかし、嬴政と呂不韋の権力争いの最中に起こった「嫪毐の反乱」を機に呂不韋の権力は剥奪されます。史実によれば、最終的には嬴政に追い詰められ呂不韋は自殺をしたといいます。
一方、漫画では自殺をはかったことは表現されていますが、本当に呂不韋が死んでしまったかどうかは不明確です。
なお、『史記』「呂不韋の伝記」によると、秦王「嬴政」は呂不韋が元愛人の「太后」との間に生ませた隠し子である、と記されています。
それに対し、『史記』「秦始皇本紀」は荘襄王と「太后」との子であった、と記されているためどちらが正しいのかは不明です。
『キングダム』を見てみると、作中では呂不韋と嬴政の母である太后が、昔恋仲であったとされる描写が描かれていながらも、嬴政の出生については明言されていないため、史実が踏襲されていることがわかります。
キングダム秦国の宰相としての呂不韋の役割
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丞相と聞くと、呂不韋以外にも「昌平君」などの丞相を想像する方もいらっしゃるでしょう。
例えば、昌平君であれば頭脳と武力を兼ね備えたオールラウンダーな性質が挙げられます。
その中で呂不韋が演じた役割は、政治において「守り」というよりも「攻め」の役割でした。
- 持ち前の交渉術を活かし秦国の政治を担う
- 配下である「呂不韋四柱」と共に他国への牽制を強める
- 春秋時代のあらゆる事柄をまとめた学術書『呂氏春秋』』を完成させる
作中で呂不韋は、他国の来賓や貴族たちとのコミュニケーションを積極的に行い、秦国の実権を裏で握ろうとしていました。
こうした呂不韋の「攻めの姿勢」が、信たちには脅威に映ったのかもしれません。
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ここからは、呂不韋が作中で秦国の実権を握れた理由について詳しく解説していきます。その理由は主に以下の3つです。
- 商人としての経験があったから
- 奇貨居くべしの精神があったから
- 時の運があったから
それぞれわかりやすく解説します。
商人としての経験があったから
呂不韋は元々商人として各国を渡り歩き財を成した人物です。ここで重要なのが、彼が春秋7カ国を渡り歩いた、ということ。つまり呂不韋は、これまでに様々な国の文化・人々と多く触れ合うことにより、商人としての経験を積み上げてきたのです。
史実によると、呂不韋は3000人という大規模な食客を集めて豪華な宴を開き、その場で客から余話や知識を集めることで『呂氏春秋』を完成させたといいます。
呂不韋の商人としての話術や交渉術が優れていたからこそ、彼を慕う人々が多く集まりました。
こうした呂不韋の人脈の太さが、実権を握れた理由に繋がったのでしょう。
奇貨居くべしの精神があったから
紀元前252年、秦では「昭襄王」が高齢により在位55年で逝去すると、その後を継いで秦王になったのが次男の「孝文王」でした。
呂不韋はこの時、自身の権威を確固たるものにするには、後継である孝文王の子を手中に収めるのが正解だと考えたのです。
そのため当時趙の人質となっていた惨めな孝文王の子のひとり、子楚を将来の投資と考え、子楚を秦王にすべく奔走しました。
遠い将来を見据え、今誰に恩を売ればリターンが大きく返ってくるか?呂不韋は商人の目利きを働かせることで、その判断を明確に行いました。これも、人が実権を握る上では欠かせない要素でしょう。
時の運があったから
王位に就いた孝文王が50代で逝去すると、次に異邦人であった子楚が即位して「荘襄王」となりました。この時、呂不韋は念願だった丞相となり、孝文王を手中に収めるという彼の「投資」は見事成功するのでした。
そして紀元前246年に荘襄王が若くして死ぬと、太子であった「政」が秦の王になります。この時、呂不韋は政の「仲父」という称号を授かり、これにより王政を裏で操ることが一層容易となりました。
国で実権を握る際、王の仲父というのは「親族」に等しい称号です。この時与えられた称号が、呂不韋が秦で実権を握る追い風になったと言えるでしょう。
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呂不韋には、秀でた才能がありましたが、人をコントロールしようとしたことで最終的には秦国の実験を秦帝「嬴政」に譲り渡すことになります。
ここからは、呂不韋の才能と過ちを以下に解説していきます。
交渉がうまかった
趙の宰相「李牧」が秦との和睦を目的とした「秦趙同盟」を提示しに咸陽を訪れた時のことです。
李牧から同盟の話を聞いた呂不韋は、彼に対して次のように言いました。「城でも一つおまけしてくれぬか」
これは、そちらの要求を受け入れる代わりに、趙にある城を秦に1つ譲ってくれないか?という意味です。しかし呂不韋はこの時、李牧の同盟案を受け入れるつもりはありませんでした。
だからこそ、「城を1つくれぬか」という相手にとって受け入れ難い要求を「あえて」することで、この交渉には応じない姿勢を示したのです。
一見大胆にも見える発言ですが、マネジメントにおいて時にはこうした大胆な案を提示する姿勢を示し、相手の器量を量ることも大切です。
誰も予想だにしない案を突然相手に提示することにより、相手の出方を見定める。呂不韋の交渉のうまさがよくわかる発言です。
人をコントロールしようとした
呂不韋は秦王である政の母「太后」と過去に恋仲関係にありました。荘襄王の死後、呂不韋は後宮に「嫪毐」という男を太后の遊び相手として送り込むことで彼女の欲を満たし、彼女をコントロールしようとしたのです。
その後、太后の寵愛を背景に嫪毐は権威を高めていき、やがて秦王に対する反乱を起こします。しかし、その反乱はすぐに鎮圧され嫪毐は死刑に、太后は幽閉されます。
呂不韋は、嫪毐が反乱を企てた元凶として丞相職を辞任することに。
人を上手くコントロールしようとした結果、今までの功績の大半を失うはめになりました。
呂不韋の失敗から学ぶマネジメントのポイント
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呂不韋の失敗から学べるマネジメントのポイントは以下の2つです。
- 「報酬」による動機付けは成功しない
- 「諦め」のマネジメントは決して成功しない
それぞれわかりやすく解説します。
「報酬」による動機付けは成功しない
呂不韋の配下には、「呂不韋四柱」と呼ばれる呂不韋の側近が4人存在します。その中で、秦国の総司令を務めるのが「昌平君」という人物です。
昌平君は呂不韋側の人間ですが、秦王が思い描く秦の「ビジョン」に密かに感銘を受けていました。
呂不韋には十分な資金力、そして昌平君に報酬を与える用意がありましたが、昌平君は最終的には秦王に惹かれ、呂不韋とは袂を分かつことになるのです。
マネジメントでは、高い報酬を相手に払うことが、必ずしも動機付けには繋がらないということです。
「諦め」のマネジメントは決して成功しない
「法律」つまり、「人」によって中華を統一することを掲げる秦王嬴政に対して、呂不韋は「貨幣制度」つまり天下を治めるのは「金」だと言い張ります。
欲深い人間は、金でしか心が満たされず、権力を求めて日々争い合う。呂不韋は、この先誰が中華を統一しても「戦争はなくならない」といわば人を諦めの目で見ていました。
諦めのマネジメントは、部下にも伝播します。その結果招いてしまうのは、ビジョンの揺らぎです。昌平君も、呂不韋が「人」の可能性を諦めずに高いビジョンを掲げていれば、嬴政に寝返ることはなかったかもしれません。
特にベンチャー企業においては熱量が成功のための重要な要因だと語られます。
マネージャーは組織を俯瞰的に見ることが求められますが、同時に熱量を失わずに掲げたビジョン、部下、組織を信じ続ける姿勢が求められます。
参考:一流の起業家と投資家が教える「よい熱意」と「ダメな熱意」の決定的な違い | DIAMONDonline
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キングダムにおいて、呂不韋は間違いなく中華一のカリスマ性に優れた男でした。
他国の重鎮たちとの交渉術や、人間の本質を見抜く姿は、単にフィクションと割り切るのではなく、今を生きる私たちにも学びを与えてくれたのではないでしょうか?
一方で、順風満帆だった呂不韋が失脚したのは、人間の心をコントロールしようとしたからです。
組織の重鎮であった呂不韋の功績が転落したキッカケは、大事なのは自分が変わること、というマネージャーとしての意識を欠いていたからでしょう。
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