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秦の始皇帝・嬴政(えいせい)の教え「人の持つ本質は光だ」名指導者のマネジメント【キングダム】

原泰久さんの作品『キングダム』。

2006年から『週刊ヤングジャンプ』で楽しまれている本作品を見た人の中には、辛い過去を乗り越え、中華統一という夢を達成する「嬴政」に感銘を受けたという方も多いのではないでしょうか。

人の本質は「光」だと語る「嬴政」の下には多くの優秀な武将が集まります。

本記事では、後のファーストエンペラー「始皇帝」となる名指導者「嬴政」のマネジメントについて学びたいと思います。

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キングダムとは?

※本記事はネタバレを含みます。

『キングダム』は、中国の春秋戦国時代を舞台にした人気漫画です。

『キングダム』が始まるまで、中国の歴史を舞台にした漫画といえば『蒼天航路』など、三国志の時代の作品が多数を占めており、それよりもさらに数百年前の春秋戦国時代を扱った漫画はほとんどありませんでした。

『キングダム』の面白さは時代設定の珍しさだけではなく、個性あふれる魅力的なキャラクターたち、そして命の奪い合いが続く過酷な状況の中、夢や信念を守るために戦う男女の人間ドラマにあります。

キングダムはなぜヒットしたのか?

実は、『キングダム』のファン層の中で多くを占めるのは、意外にも会社員や起業家などの「ビジネスパーソン」であると言われています。

元々、日本のビジネスパーソンの間では、中国の古典を「仕事で成功するための教養」として重宝する向きがありました例えば、『孫子の兵法』や「孔子」「孟子」の教えなどをテーマとしたビジネス書は数多く存在します。

『キングダム』の舞台となった春秋戦国時代は、まさに孫子や孔子など、「戦いに勝ち抜くための思想」を教える「諸子百家(※)」が活躍した時代でした。

また、『キングダム』の登場人物たちが生きた戦国時代の競争は、我々現代のビジネスパーソンたちがさらされている競争と似通ったものがあります。

読者は、厳しい戦いに身を置く自分自身を『キングダム』の登場人物たちに重ね合わせているのではないでしょうか。

※諸子百家とは、ある分野に精通し、国の発展に役立つ助言をもたらす知識人のこと。

参考:3600万部漫画『キングダム』が「ビジネス書」に生まれ変わった理由 | 日経ビジネス

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キングダムで0→1を生み出す嬴政の魅力

今回は、『キングダム』の重要人物の一人である「嬴政」について取り上げます。

「まとめて一つの国を作る」というのは、困難であるというより、嬴政の曽祖父「昭王」ですら達成することができなかった「絵空事」のようなものだったと『キングダム』では説明されています。

現代の感覚で言えば、「日本もアメリカもヨーロッパもアフリカもまとめて、地球で一つの国を作る」というに等しい行為です。

その「妄想」と紙一重の信念に周囲を巻き込み、そして一代で「妄想」を「現実」に変えようと奮闘する嬴政から、私たちも学べることがあるはずです。

嬴政とは?【ネタバレあり】

所属
地位皇帝
武器
右丞相昌平君
CV福山 潤
実写版吉沢亮

『キングダム』の嬴政は、始皇帝の青少年時代をモチーフにしたキャラクターです。

若くして当時の大国・秦の王の座についた嬴政ですが、贅沢に暮らすという生き方からは程遠く、少年期から絶え間ない苦難に見舞われます。

王の座について早々、実の弟から命を奪われかけ、その後は国外の大軍に攻められて国を滅ぼされそうになる(函谷関の戦い)など、大きな苦難に何度も遭遇します。

そんな数々の危機に直面しながらも、取り乱すことなく最善の手を打ち続ける冷静さが嬴政の持ち味です。

また、自分自身の能力だけで物事を解決しようとする登場人物たちが多々いる中で、自分以外に才能のある人材(主人公の信など)を見つけ出し、彼らの力を借りることで、一人では成し遂げることのできない偉業を実現させていきます。

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後の始皇帝:嬴政は実在したのか

後の始皇帝・嬴政は実在の人物です。

しかしながら、歴史の教科書の中に出てくる始皇帝は、中国を統一した後、残酷で愚かな行為の数々を行ったことが知られています。

たとえば多くの学者を生き埋めにして殺し、書物を焼き払うなどの思想弾圧(焚書坑儒)を行ったり、不老不死に憧れて、永遠の命をもたらす方法を探すために国の予算を浪費したりしました。

このような横暴な行動は、『キングダム』で描かれてきた、冷静沈着かつ部下への情に厚い嬴政の姿からはとても想像できないものです。

これから物語が終盤に進むにつれて、嬴政の心に影が生じていくのでしょうか。

嬴政の心の変化もまた、今後の見所の一つかもしれません。

秦国における嬴政の役割

史上初めて中国を統一した嬴政と、その他の王の違いについて考えます。

私たちが想像する王様というのは、自ら軍を率いて戦いに赴く将軍たちとは異なり、宮殿の奥で大臣たちに守られながら政治をしている存在ではないでしょうか?

そのイメージは正しく、通常、王が実際に軍隊を率いて戦地に赴くことはほとんどありません。

例外的に、自分よりも弱い敵を捻り潰しにいくような「絶対に勝てると分かっている戦い」に限って参加することで自らの権威を高めようとすることがあったようですが、普通は「危ない戦い」には行かず、安全な場所にいるのが王様というものです。

ここが、嬴政と他の王との違いを分けたポイントです。

『キングダム』261話から始まる「函谷関の戦い」で、嬴政の治める秦は他の5つの大国が連合した合従軍に攻め込まれ、いわば1対5の厳しい戦いを強いられます。

追い詰められ、もう少しで首都を占領されて国が滅びる、というところで立ち上がった嬴政。

普通の王であれば、首都に立て籠るか避難するかというところですが、嬴政は側近たちに黙ってこっそりと宮殿を抜け出し、戦いの最前線にある危険地帯で自ら指揮を執るという道を選びます。

これが函谷関の戦いのハイライトとなる「蕞(さい)の戦い」です。

蕞の戦いで嬴政がした重要な仕事、それは「演説」です。

当時、最前線の蕞には秦の兵士がわずかしかおらず、数倍の規模をほこる合従軍に取り囲まれ、全滅するのを待つだけの状態でした。

そんな絶望的な戦場に乗り込んだ嬴政は、兵士ではない蕞の一般市民を相手に一世一代の演説をし、戦ったことのない女・子供がほとんどの市民たちに戦う決意を呼び起こさせ、戦力に変えることに成功します。

嬴政のこの行動が、秦の滅亡を食い止める大逆転のきっかけとなったのです。

当時の秦には、勇敢に戦う将軍や兵士はたくさんいても、「戦ったことのない普通の市民を戦士に変える」ことができるのは嬴政ただ一人しかいませんでした。

このように「周りの力を得て、困難を克服する」ということを、それも権力を使った強制行為ではなく「演説」という民主的な手段によって実現することで、嬴政は自身が「王の中の王」たることを証明しました。

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嬴政の人生は順風満帆ではない

いつの時代も、世の中を変える大きな出来事を成し遂げる偉人は、さまざまな苦難を乗り越えてきた人の中から現れます。

ここからは、嬴政の人生を困難な道のりにした事件の数々について振り返ることで、むしろ「困難が嬴政を大きく育ててきた」ことがご理解頂けるはずです。

嬴政の父親が呂不韋の可能性がある

嬴政の人生が困難な道のりとなることは、すでに嬴政がこの世に産まれ落ちる時点で決定づけられていました。

『キングダム』の作中に登場するキャラクターの中に、秦で絶大な権力を振るう元商人・呂不韋がいます。

呂不韋は秦の宰相(大臣の中の最高位)という立場でありながら、国のためではなく、自身のために権力を利用する「政商」として、嬴政の前に立ちはだかります。

形の上では秦で最高の立場にある嬴政ですが、呂不韋には頭が上がりません。

物語が始まった時点では、幼い嬴政に代わって呂不韋が国の実権を握っていたからです。

秦の発展のために身を削る嬴政にとって、私利を優先する呂不韋は相容れない存在であり、「最も身近にいる、最大の敵」でした。

嬴政の人生の悲しさは、「実は、自分は敵と見なしている男の隠し子かもしれない」という疑いがつきまとうことです。

若い嬴政は「自分は本当は王族の血筋ではないかもしれない」、そして「目の前の男を、敵として戦わなければならないのか、それとも親として親しむべきなのか」という、葛藤を抱えながら生きていくことになります。

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紫夏との出会い そして別れ

嬴政の苦難は血縁だけにとどまりません。

秦の隣国である趙の都で人質の子として幼少期を過ごすこととなった嬴政は、秦に恨みを持つ趙の人々から虐待を加えられる日々を過ごしていました。

人格が形成される幼少期に豊かな愛情を受けることなく、それどころか不特定多数の人々に憎悪を向けられる少年時代を送った嬴政。

人生の序盤に強烈な苦難を味わった者の多くは、「人格が歪んでしまう」か、あるいは「苦難を通して現実を早く知り、普通の人が成し得ないことを成し遂げる」か、どちらかでしょう。

幸い、嬴政は後者の道を選び、一代で秦に覇権をもたらす指導力を発揮しました。

一時は感情のない人形のようになりかけていた嬴政に愛情を注ぎ、まっとうに生きる道へ導いたのは、女商人の「紫夏」でした。

紫夏は、幼い嬴政を秦へ逃がす道中、嬴政の身代わりとなって死んでしまいます。

紫夏の「命懸けの献身」があったからこそ、嬴政の人格が崩壊する一歩手前で免れたのでした。

王弟成蟜の裏切り

趙を脱出して秦へ帰還し、晴れて王の座についた嬴政ですが、王位についた後も平穏とは程遠い運命を辿ることとなります。

嬴政の実の弟である成蟜は野心家であり、嬴政に代わって自身が王の座に座る機会を虎視眈々と狙っていました。

ある日、ついに成蟜は反乱を起こし、宮殿を占拠した上に、嬴政の命を狙って刺客を送ります。

その刺客こそ、物語の主要人物の一人である将軍・王騎でした。

現代においても、身内同士のいさかいに苦労している人は数多くいますが、嬴政は肉親同士で命を取り合う悲惨な争いを経験することとなります。

このように、多くの人にとって心の拠り所となる肉親から殺意を向けられるという嬴政の運命の過酷さには想像を絶するものがあります。

指導者の資質とは?

指導者の器とは「考え方の異なる大勢の人を同じ目的に向かわせ、大事業を達成する」資質を指します。

現代でも「名選手名コーチならず」という言葉がある通り、自分自身の仕事を上手くこなすことと、他者を指導することとでは、全く異なる資質を求められます。

ここからは、指導者に必要な資質について、『キングダム』の嬴政を基に考えます。

【嬴政の指導者論①】創造力と実行力を併せもつ

リーダーが提唱する「天才的な構想」と「狂った妄想」とは紙一重であり、下の立場の者から見て容易に理解できるものではありません。

かつてライト兄弟が「空を飛ぶための機械」の発明を志した時も、本気で取り合う人はほとんどいませんでした。

嬴政が中華統一の構想を掲げた時「何を大それたことを…」と呆れた部下も少なからずいたはずです。

もちろん、「大きな夢や構想を語るほどよい」というものではありません。

妄想と紙一重の構想も、現実的な思考を積み重ねた先の構想であってこそ意味があるものであり、ただの理想を語っても、部下たちから「現実的な思考ができない指導者」との烙印を押され、信用を失ってしまうだけです。

壮大な目標を掲げながらも、常に目の前の目標を着実に達成してこそ、周囲の信用と協力を得ることができるはずです。

嬴政の場合も、国内で起こった反乱の鎮圧や、外国からの侵略を撃退した実績などがあったからこそ、部下たちに疑問を持たせず、中華の統一を達成するために命がけで戦わせることができたのではないでしょうか。

【嬴政の指導者論②】大義名分で人心をつかむ

嬴政の狙いは、ただ単に武力によって全中華の人民をひざまづかせることではありません。

嬴政は「法による支配・法の下の平等」を全土で実現することを構想します。

「どんなに権力を持った人も、法律を犯すことはできない」というのは、法治主義が世界中に行き渡った現代に生きる私たちにとっては当たり前のことです。

しかしながら、秦が全土を統一するまで、中国においては、「王侯貴族と平民が同じルールの下で生きる」というのは考えがたいことでした。

実際に、当時の秦以外の国では、権力者が罪を犯しても罰せられない、というようなことも多々ありました。

一方で、「法による平等」をいち早く導入した秦では、法律を犯せば王族であっても庶民であっても等しく取り締まられていました。

このように、王侯貴族が権力を振るう「封建制度」のシステムから一足早く脱皮して「法治主義」の国家に生まれ変わったのが秦です。

秦では、規則がうやむやな他国が真似できない団結力が生まれ、国力が増強したのでした。

秦が中華を統一するにあたって大義名分としたのは、この「法による支配」を広めることです。

自分たち王族をも縛るルールである法治主義を広めるということは、統一後の自分自身の行動が制限されることを意味しますが、指導者自身が「自身の願望よりも優先すべき大義名分」を掲げてこそ、組織を結束させ、困難な目的の達成のために人を動かすことが可能となるのです。

<内部リンク:封建制度とは>

【嬴政の指導者論③】本質を見抜く能力

嬴政は、元々下僕の身分だった主人公の信や、中華の外から来た異民族出身の将軍・楊端和など、才能のある者を出自に関係なく抜擢する柔軟さを持っています。

「相手の出自に偏見を持たない」というのは一見当たり前のようでありながら、実際には非常に難しいことです。

皆さんも、人を評価する際に相手の風貌や社会的地位など、さまざまな情報に惑わされ、相手の本質を見抜けずに痛い目を見た経験があるのではないでしょうか。

出自の低い者を抜擢して部下にした後に、その人が無能であることが露見してしまったら、誤って抜擢した指導者自身の能力を疑われ、名声を落とすことになりかねません。

「出自に関係なく、才能を見つけ出す」ということは簡単なことではなく、「人間の本質を見抜く洞察力」を持ち合わせていなければ、かえって混乱を引き起こしてしまうこととなります。

この点、嬴政は幼少の頃から肉親に命を狙われる修羅場をかいくぐり、また他人から命を救われる経験を通して「人の本質を見抜く力」を養ってきたがゆえに、指導者として絶妙な人事を実行できているのでしょう。

「人を見る目」は、「人から助けられ、時には裏切られる」という経験を重ねることで身に付いていくものであり、こうした経験こそ、指導者に必要な資質の一つと言えるはずです。

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嬴政の名言から学ぶ指導者のあり方

『キングダム』の嬴政は、指導者としての能力を発揮する中で、同時にさまざまな名言を残しています。

主人公の信をはじめとした数多くの部下たちをまとめあげてきた嬴政の言葉に、指導者としてのあり方を学びましょう。

俺は中華を統一する最初の王になる

この言葉は、王弟の反乱で宮殿を追い出され、山中に逃げ込むことになった嬴政が異民族の王・楊端和に協力を求めるため謁見した際の言葉です。

この時の嬴政は、ただ単に大言壮語を吐いたわけではありません。

楊端和が率いる山の民は以前から強力な戦力を持っていたものの、中華の外の狭い山地の中で生きてきました。

楊端和は嬴政と出会う以前から「自分たちの世界を広げたい」「山の民に外の世界を見せたい」という考えを持っていたため、嬴政の構想は自分たちの目標を達成するための大きな足がかりになると感じ、賛同したのです。

いわば嬴政は、自身の構想が山の民の願いを叶えることにもつながることを訴え、彼らの心を動かすことに成功したのです。

こうして、強大な山の民を味方につけた嬴政は、反乱軍に占拠された宮殿の奪還、ひいては中華の統一に向かって大きく動き始めたのでした。

大いなる構想は胸に秘めるものですが、時にはその想いを誰かに伝えることで、協力者を得られることもあります。

嬴政は、決して自身を大きく見せるためだけではなく、誰かの心を動かすために言葉の力を使う王であると言えます。

五百年の争乱の末に平和と平等を手にする法治国家だ

今でこそ、日本を含む世界中の主要国が法律に基づく「法治国家」として運営される世の中となりましたが、当時の中国を含むほとんどの文明では、「紙に書かれた規則が王侯貴族の権限よりも優先される」という考えが普及していませんでした。

そのため、中華においては「法律」のような規則がなくとも、人々に倫理意識を持たせることで社会を安定させるためのシステムとして、「儒教」が重要な役割を果たしていました。

儒教の教えが、混沌とした社会に一定の秩序をもたらしたことは事実ですが、一方で儒教は無意味な儀式や儀礼を重んじる面もあり、何より王侯貴族の権威を肯定するものでもありました。

「法の下の平等」にとって大きな障害だったのです。

この儒教というシステムが最も深く根を下ろしていたのが、秦の隣に位置する趙・魏・韓であり、まさに秦の統一を阻む壁となっていました。

こうしてみると、『キングダム』の嬴政による中華の統一の旅路は、単に武力だけに頼った征服ではなく、当時の中華を支配していた儒教に対する「法治国家」という新思想の挑戦という側面もあることに気づくでしょう。

武力による征服だけでは、征服した人々の反抗を招くだけであり、真の意味での統一はありえません。

こうした本質を見抜いていた嬴政は、「法治国家による新しい世界の構築」という理念を掲げることで、征服した国の人々の心を掴むことを可能にしたのです。

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嬴政から学ぶ指導者としての心得

傑出した指導者には、暴力的な強さだけではなく、他者の心を掴む「徳」が求められます。

最後に、「指導者として心得るべきものは何か」について、嬴政の生き様から学びましょう。

理念は自分の言葉で語る

『キングダム』に登場する王の多くは、自分自身の姿を滅多に人の前に見せることはなく、自ら部下に命令を伝えることもほとんどありません。

重要なことは、ほとんどすべて側近を通じて公表させていたのです。

ところが嬴政は、戦時中から平常時まで、部下の前に姿を表し、労いの言葉をかける姿が数多く見られます。

時には宮殿の外に姿を表し、出陣しようとする主人公・信を直接励ますことも。

嬴政は皇帝をひとつの機能として考えていたからこそ、自ら部下の前に姿を見せ、語りかけることを重視しました。

組織を「仕組み化」する

嬴政が「法治主義」の導入を進めたのは、儒教を信奉する他国に対し、思想面で差別化を図るという狙いのためだけではありません。

当時の「法家」が提唱していた法治主義は、人がバラバラな動きをすることを防止し、組織全体の目的にかなった動きをさせることを可能にする、合理的なシステムでした。

いわば、組織の中から「属人的な要素」を排除し、個々の人間性に関わらず、システマチックに行動させるものです。

秦という国が巨大になり、自分自身の目が行き届かないところが増えていく状況を支えたのが、嬴政の進めた「組織の仕組み化」だったのです。

人に役割を与えることで「人を生かす」

「人に役割を与える」ということは、「人に生きる理由を与える・生きる道筋を示す」ということでもあり、言い換えれば「人を生かす」ということでもあります。

これはけっして大げさではなく、人は役職を与えられることで能力を発揮することが多々あります。実際に「立場が人を作る」という言葉もあるほどです。

元々、人に仕える下僕でしかなかった主人公の信も、嬴政から「王の剣」としての役割を期待されることで、歴史に名を残す人物としての人生を歩み始めます。

真の指導者を志すならば、ただ仕事をさせるためだけに人を雇うのではなく、「人を育てる」「人を生かす」ために役割を与えるという視点を持つことが必要です。

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冒頭でも触れたように、実在の嬴政は中華統一後、次第に暴君としての性格を顕わにしていったとされます。

嬴政に限らず、若い頃に優れた指導者として称賛された人物が、権力を握った後に豹変してしまい、悪名を残すことは歴史上しばしば見られます。

『キングダム』においても、やはり嬴政は暴君として国を傾かせる存在になってしまうのか、もしそうなってしまうのであれば何がそのきっかけとなるのかが、今後の見所の一つでしょう。

まとめ | 優れた指導者が組織を導く

どんなに優秀な人材が集まっている集団であっても、指導者が愚かであれば、組織は迷走してしまいます。

反対に、平凡な人材ばかりの集団であっても優れた指導者が治めれば、優れた組織として機能することもあります。

もともと中華の片隅にあった秦が、一代で中華をまとめ上げるまでの原動力となったのは、疑いなく嬴政の指導力によるものです。

今こそ、嬴政の指導力に学んでみてはいかがでしょうか。

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