新卒採用も一段落し、これから「秋採用」が始まる頃合いだ。
リクルートの調査によれば8月1日時点での内定率は9割。
高い内定率に見えるが、この人手不足の中、十人に一人は内定を持っていない状況であるというのは、意外に思う人もいるのではないだろうか。
8月1日時点での大学生の就職内定率は88.0% リクルートキャリア【確報版】
「2018年8月1日時点 内定状況」就職プロセス調査(2019年卒)
また、「内定は持っているが、内定先に満足できず、就職活動を続けている」学生も含めれば、おそらく全体の2割から3割程度の学生は、就職活動を継続しているだろう。
自分の満足行くように就職活動を終えるのは、売り手市場でもそれほど簡単なことではないのだ。
だが、その学生の感覚はまっとうだ。
「勤め上げること」が過去のことになったとはいえ、ファーストキャリアはとても重要だからだ。
セカンドキャリアの選択肢の幅は、ファーストキャリアで身につけることのできるスキルや、「◯◯という会社に在籍していました」というブランドなどに大きく左右される。
就職に慎重になる学生が多いのも、頷ける話である。
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「やりたい仕事」を追い求めて消耗する学生
しかし、就職に慎重な学生ほど「自分がやりたいと思える仕事につきたい」で消耗しているように見受ける。
多くの場合は「学校で専門にしていたことを仕事にしたいです」という学生だ。
特に理系の学生は特にそういう傾向にある。
こんな事を言っているが、実は私も就職活動で「やりたいことを探しなさい」というアドバイスを受け、大学の研究の延長の事業をやっていそうなシンクタンクやら調査会社やらを受けていた。
だが、採用してくれるところはなく、面接では箸にも棒にもかからなかったことを覚えている。
あまりに選考が進まないので、「こんな苦労してまで、就職する必要があるのだろうか?」と考えたこともあった。
でも今振り返るとそれは当然の結果だった。
当時は「自分の希望と、企業の要求がマッチしていない」ということに気づいていなかったのだ。
視野が狭窄していた私は、適性も市場も無い職に応募し、消耗していた。
業界を変えた途端に内定が出た
ところが、当時特に興味もなかった「システムエンジニアリング」を行っていた会社を知人のすすめで受けたところ、あっさり内定をもらってしまった。しかも何社も。
私は不思議だった。
今まで一生懸命、志望動機を考え、面接官にアピールしても歯牙にもかからなかった私が、
急になんの苦労もせず、しかも「行きたい」とすら思っていなかった会社から、次々と内定をもらったのだ。
私はその原因を考えた。
そして出した結論は、
「売り込む市場を間違えていれば、いくら努力しても無駄。間違えていなければ、簡単すぎるくらいに成果が出る」
という、資本主義の本質だった。
思えば、私が「市場」を意識したのは、これが初めての経験だったかもしれない。
「成果が出るかどうかは、努力で左右されない場所」が社会なのだ。
私にとって、これは価値観の大きな転換を迫られた事件でもあった。
学校の成績や勉強というものは、たいてい努力を裏切らない。
努力したら、努力した分だけ成果につながるのが、学校という場であり、試験というものである。
しかし、企業活動はそれとは全く異なる。
間違った努力をしたら、努力した分だけ無駄になるのが市場であり、仕事というものなのだ。
学生の頃は「努力が報われる社会を」という言説に妥当性を感じたのだが、今になってみるとそれはマルクスの掲げる「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」というユートピアにしか存在しないことがわかる。
私は間違っていた。
そして、その間違いに気づいた時、職を得ることができた。
「やりたい仕事」を追い求めて消耗する人たちは何を勘違いしているのか。
そう考えていくと、仕事とは誠に無情なものだ。
仕事の基準は努力をしたかどうかよりも、「努力するべき場所、すなわち市場を見極められたかどうか」のほうが重要なのだから。
ここでようやく本題に入ることができた。
「やりたい仕事」を追い求めて消耗する人たちは何を勘違いしているのか。
一言で言うと、勘違いの原因は資本主義の世の中で「市場」が見えていないことにある。
例えば、消耗している人たちに「やりたい仕事とはどのような仕事か」を挙げてくれ、というと、次のような回答が帰ってくることが多い。
・自由な時間がある仕事
・多く稼げる仕事
・スキルがつく仕事
・自分のスキルが生かせる仕事
・◯◯に貢献できる仕事
・◯◯を良くする仕事
などという人が多い。
しかし、残念ながらこれらは「市場」が全く見えていない回答だ。自分が受け取る、あるいは自分の希望を述べているだけに過ぎない。
これでは「やりたい仕事」につくことはおろか、職にありつくことすら難しい。
内定をもらえない学生、転職者の一丁上がりである。
「やりたい仕事」を実際にやっている人にはどのような世界が見えているのか。
では、本当に「やりたいことができている人」にはどのような世界が見えているのだろうか。
彼らに「やりたい仕事とはどのような仕事ですか」と聞くと、
・金融の専門家が入れていない分野に、金融市場を作りたい
・高価なサービスしか存在しなかった分野に、安価なサービスを持ち込みたい
・今まで強い営業が存在しなかった市場で、営業力を武器にシェアを取りたい
・海外に日本製品の市場を作りたい
など、どこまで行っても「市場志向」だ。
企業とは市場の中で生き、市場の中で競争し、そして市場を新しく作り出す存在でもある。
市場のない場所には企業は存在し得ないし、その中で市場を意識できない労働者は本質的に不要なのである。
どうだろう。もし「やりたい仕事」ができなくて消耗しているのであれば、「私はどのような市場に対して仕事をやっていきたいのか」について、一度深く考えてみるのも悪くない。
それが資本主義、そして企業に生きる私達に求められていることなのだ。