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安岡正篤の教え、「三識」

 「平成」の元号の発案者である安岡正篤(まさひろ)氏は、昭和の時代、多くの政治家や財界人から「心の師」と仰がれ、戦後の吉田茂から中曽根康弘に至るまで、歴代総理の多くが師事しました。

 昭和58年(1983年)に亡くなってから、すでに、40年近い年月が流れましたが、今日においても、その教えは「安岡教学」といわれて、多くの人から学ばれています。

 安岡正篤の教えに、「三識」があります。

 「三識」とは、「知識」「見識」「胆識(たんしき)」の三つです。

学びの出発点「知識」

 まず、学びの出発点となるが、「知識」です。

  人の話を聞いたり、書物を読んだりして得るものが「知識」ですが、平たく言えば、頭の中に入っている「情報の集まり」です。

 現在、インターネットやスマホなどIT技術の発達により、情報量は爆発的に増えており、Googleなどの検索によって、手軽に様々な情報を調べることができるようになりました。

 そのため、以前にくらべて「知識」の重要性は低くなっています。それでも、ビジネスに必要なことについて「知識」を持っていることは、とても重要です。

 現実の問題と頭の中の「知識」が反応すれば、「これは、何かおかしいのではないか?」⇒「詳しく調べてみよう」「詳しい人に相談してみよう」という動きにつながります。

 問題解決のために、既存の「知識」を組み合わせることで、新しいアイディアが生まれることもあります。

 「知識」が少ないと、目の前の問題に気付かなかったり、問題に直面しても、本質を見誤って間違った判断をしがちです。

知識は、その人の人格や体験を通じて「見識」となる

 現代においても、ビジネスパーソンにとって、「知識」を学ぶことは大事なことです。

 知識は、その人の人格や体験を通じて「見識」となります。

 「知識」が、自分の経験や価値観によって、自分なりの考えになったものが、「見識」です。「見識」は、現実の複雑な問題に直面した場合、「いかに判断するか?」という判断力の問題といえます。

 「見識」を養うには、歴史や古典から学ぶことが効果的です。

 安岡正篤に学んだ多くの政財界の要人は、安岡先生から『論語』や『史記』など、中国古典の教えを学びました。

 長年読み継がれている古典的な書物は、人類の知恵の宝庫です。これらを学びながら、自分の経験に対する考察を深めて、「見識」を養ったのでした。

実行へのハードルを乗り越える「胆識」

 さて、「知識」が「見識」となって、自分の考えや判断がはっきりした場合でも、それを実行する段階になると、様々な困難に直面します。

 方向性が決まっても、それを実現するために「人・モノ・金」のいずれかが十分でないこともあるでしょう。また、アイディアが現状改革的であるほど、周囲の反対意見が強くなったりします。

 現実の困難に直面して、それを乗り越えるべく行動することを「胆識(たんしき)」といいます。決断力・実行力をもった「見識」といえます。

 せっかく優れた「見識」を持っていても、意見を言うだけで実行力がなければ、ただの「評論家」になってしまいます。

 ビジネスでは、実行力がなければ、成果はあがりません。ビジネスパーソンには、「知識」「見識」に加えて、「胆識」が必要なゆえんです。

 会計士として、多くのオーナー企業を見てきましたが、創業者と二代目、三代目との一番の差は、「胆識」の差ではないかと感じるケースがたくさんあります。

 そこで、以下に「胆識」が欠けていたために、大きな失敗をした三代目の事例をご紹介しましょう。

 

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「胆識」が欠けていたために、大きな失敗をした三代目の話

 S社は、運送業界で半世紀以上の歴史をもつ名門企業でした。しかし、バブル崩壊とともに業績が悪化し、90年代後半には経常赤字が続くようになりました。そのため、2000年代に入ると、メインバンクから借入金の圧縮を強く迫られるようになります(いわゆる「貸しはがし」)。

 当時の社長は、二代目(創業者の子)ですが、すでに70代の高齢で、病気がちだったこともあり、実質的に、経営再建を託されたのは、三代目の副社長でした。副社長は、40代半ばであり、近いうちの社長交代を見据えてのことです。

経営再建を託された三代目

 三代目副社長は、都内の有名大学を卒業し、頭も人柄も良かったのですが、長年、経営企画室長を担当していたこともあり、評論家的なタイプでした。

 営業や労務管理など、現場の厳しい仕事は、創業者が育てた番頭たちが、仕切ってくれました。三代目は、長年、その報告を聞いて、番頭達に注文をつければよい立場にいました。

 三代目には、勉強時間がたっぷりありましたから、社外のセミナーなどに積極的に参加して、「知識」は十分にありました。経営企画室長としての「見識」も、人並み以上でした。

 しかし、大きな欠点は、現場で苦労してこなかったため、「胆識(たんしき)」が養われていなかったことです。

越えられなかった社員の反対

 S社は、歴史の長い名門企業でしたから、三代目の周りには、優れたアドバイザーが何人もいました。アドバイザーから見れば、S社を立て直す抜本的な再建策(リストラ案)は明確であり、副社長もその案をよく理解していました。

 あとは、副社長が中心となって、社内の意見をまとめて、再建策を断行するだけだったのですが、社内の反対にあうと、副社長は、たちまち腰砕けになり、再建の方向性すら明確にすることができません。

 そうなると、必然的に、銀行の当たりは、どんどんきつくなります。

 毎月、月次決算を銀行に報告して、資金繰り支援をお願いし続けないといけない状態なのですが、しだいに三代目は銀行との話し合いを恐れるようになりました。「なぜ、本格的なリストラを進めることができないのか?」と銀行から責められるからです。

 すっかり自信を失った三代目は、ノイローゼ(軽い「うつ状態」)になりました。「知識」や「見識」があって、番頭たちの仕事を批評している間は、いかにも有能に見えた三代目には、決定的に「胆識」が足りなかったのです。

 

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自力再建を諦め、M&Aの道を探るコンサルタント

 そこに現れたのが、銀行交渉を専門にする経営コンサルタントのMでした。Mは、押しが強く、口が達者でした。

 ノイローゼ状態で、誰かに頼りたくて仕方がない三代目は、すっかりMを信用し、銀行とのリスケ(リスケジュール:返済の繰延べ)交渉をMに依頼しました。Mは、持ち前の押しの強さと雄弁をもって、さらに何か月の時間的猶予を銀行に認めさせました。

 Mは、自力再建をあきらめかけている三代目の心中を知って、買収先を探すことを始めました。資金力のある会社の子会社になることで、資金繰りの問題を解決しようとするものです。M&Aによる再建は、自力再建とは異なりますが、有力な再建方法の一つです。

 しかし、M&Aの専門家ではないMにとって、S社の買収先探しは荷が重すぎました。結局、M&Aを得意とする他のコンサルタントに依頼して、「投げ売り」というべき安い条件で、買収候補企業を探すことになります。

 銀行から時間的猶予を得て、精神的に少し立ち直った三代目は、さすがにMの買収案に不信感を抱くようになりました。Mが他社に提示している買収条件が、現経営陣にとって極めて不利だったからです。

 大事な自分の会社を投げ売りするのが嫌になった三代目は、とうとう、Mに契約解除を通知しました。

 それまでS社は、Mに対して、毎月百万円近いコンサル料を遅れることなく支払っていました。契約上、1ヶ月前の通知で途中解約ができる条件だったので、何の問題もないはずでした。

撥ね退けられなかったコンサルタントの主張

 しかし、S社のM&Aをまとめて、多額の成功報酬(買収価額の数%)を得る気でいたMは、激怒します。

 S社の本社ビルは古い造りで、受付を通さなくても、直接、副社長室に行くことができます。居留守を使うこともできず、連日のように、押しの強いMが副社長室に押しかけて来るので、三代目は、精神的にすっかりまいってしまいました。

 Mの請求額は、何と2千万円でした。

 「蛇ににらまれたカエル」のような気分になっていた三代目は、「いいから、すぐにMの口座に2千万円振り込め」というばかりで、部下の意見に耳を傾けません。

 ただでさえ、S社は資金繰りが厳しく、社員の賞与カットをするほどだったのに、結局、Mに対して2千万円の違約金を支払ったのでした。その原資は、社員の賞与カットで作ったお金です。

 これには、番頭格の役員や部長たちも頭を抱え、もともと人望のなかった三代目の評判は、地に落ちました。

 

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三代目のその後

 その後、S社は、別のコンサルタントから紹介された同業のA社に買収されました。Mの案よりは条件がよかったものの、長年、S社と付き合いのある外部のアドバイザーからみれば、A社の条件も、かなり不利なものでした。

 三代目は、A社の傘下に入って、最初は喜んでいたのですが、結局、数年後には、会社を追い出されました。そのあとで、「会社を乗っ取られた」と周囲に愚痴をこぼしましたが、「身から出たサビですね」といわれるだけでした。

 「知識」や「見識」はあっても、「胆識」の足りなかった三代目は、祖父が作り、父が育てた名門企業を自力再建することができず、結局、自分の会社を失うことになったのでした。

 「胆識」を養うのは、難しいことです。安岡先生もそのように書かれています。「知識」とちがって、促成栽培的に身につけることができないからでしょう。

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「胆識」を身に着ける方法

 では、「どうすれば「胆識」を養えるのか?」という疑問がわきますが、答えは一つではありません。

 一代で大企業を起こした松下幸之助氏や稲盛和夫氏など大経営者の場合は、ご自分の経験の中から、「胆識」を養われたと思われます。

 中小企業でも、創業者には、周囲から見て「胆識」を感じる方が多いものです。

 また、サラリーマンの経営幹部であっても、長年、現場で苦労されてきた方には、「胆識」をお持ちの方が結構おられます。

 「胆識」を養うには、苦労の経験が一番の肥やしなのでしょう。

 問題は、経験値の少ない二代目、三代目です。

 そのような方は、安岡正篤師が教えるように、「知識」⇒「見識」⇒「胆識」という順で、自分で学んでいく姿勢が必要です。

 特に、歴史の中から、人間社会における原則的な考え方を学べる優れた古典を読むことは、「胆識」を養う上で、有効な方法であると思います。

 学びや経験の積み重ねという日々の努力により、「胆識」を養うことができると信じて、私たちも、地道に学んでいきたいものです。

 

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