ハーバード・ビジネス・スクール教授であるクレイトン・クリステンセン氏が提唱し、同タイトルの書籍がベストセラーとなった事で、いまや経営理論の1つとして確立された感のある「イノベーションのジレンマ」。[1]
Wikipediaに載せられた要約には、以下のように記載されています。
「大企業にとって、新興の事業や技術は、小さく魅力なく映るだけでなく、カニバリズムによって既存の事業を破壊する可能性がある。(中略)その結果、既存の商品より劣るが新たな特色を持つ商品を売り出し始めた新興企業に、大きく遅れを取ってしまうのである。」
Wikipedia「イノベーションのジレンマ」
これだけ見ると「イノベーションのジレンマ」は、大企業の経営課題であり、課題の要因は“企業規模”にあるように感じてしまいます。
しかし、本当にそうでしょうか?
ここでは、様々な規模の企業における「イノベーションのジレンマ」と「イノベーションの創出」の事例を読み解きながら、「イノベーションのジレンマ」を引き起こす本質的な要因を探っていきたいと思います。
目次
「イノベーションのジレンマ」の発生要因と事例
「イノベーションのジレンマ」の概要
書籍「イノベーションのジレンマ」には、「イノベーション」は「持続的イノベーション」と「破壊的イノベーション」の2つに分ける事ができ、大企業はステークホルダーに利益還元する義務を負う中で、経済合理性の高い「持続的イノベーション」を選択してしまいがちな傾向にあると記されています。
しかし、「持続的イノベーション」を続けていると、ある時点でプロダクトやサービスが顧客のニーズを超え、オーバースペックとなってしまいます。
そうこうしている間に、新興企業による「破壊的イノベーション」が巻き起こされ、それが市場に受け入れられる事によって大企業の提供価値が毀損してしまう状況となる、という説明がされています。[1]
このような事例は、国内でも枚挙にいとまがありません。
国内最大のECモールにおける「イノベーションのジレンマ」
国内最大規模のECモールに起きたイノベーションのジレンマの事例です。業績好調の中、競合していた2番手企業が大胆な無料化戦略をとり、出店数は一気に逆転。
グローバル企業の日本市場における躍進もあり、当該企業のECモール事業における成長は急激に鈍化しました。
国内最大のオークションサイトにおける「イノベーションのジレンマ」
上記のECモール無料化戦略をとった企業ですが、一方でCtoC市場においてはフリマアプリを展開するスタートアップ企業に逆転を許しました。
「とにかく簡単に、先行投資なく、誰でも出品できる」フリマアプリが消費者に受け入れられ、流通総額で7倍(2018年3月時点)以上の差がついています。
テレビゲーム業界における「イノベーションのジレンマ」
日本が誇るゲーム業界大手各社は、スマホゲームに市場を奪われました。ゲームをするプラットホームがテレビからスマホに転換した事で、市場は一変したのです。
スマホゲームの開発およびプラットホーム運営を行う会社は、いまやプロ野球チームを持つ規模にまで拡大しています。
なぜ、これらの大手企業は競合の攻勢を許してしまったのでしょうか。
スタートアップが取った戦略を、大手企業は思いつく事すらできなかったのでしょうか?
私は、そうは思えません・・。
無料化戦略など、大手企業においても一度は会議の議題として上がったのではないでしょうか。
クリステンセン氏は、「イノベーションのジレンマ」が発生する要因を次のように述べています。
イノベーションのジレンマの発生要因
書籍「イノベーションのジレンマ」によると、その発生要因には以下5つの原則があると記されています。[1]
- 短期的利益を重視する顧客や株主の意向が優先されるため
- 小規模な市場では大企業の成長ニーズを満たせないため
- 存在しない市場は分析できないため
- 既存事業の能力が高まる事で異なる事業が行えなくなるため
- 既存事業の技術力向上と市場ニーズの間には常に相関性があるわけではないため
とすると、大企業はこれらの戦略を思い付いていた(可能性がある)ものの、上記5原則の事情により実行に移せなかった可能性が高い、という事になります。
たしかに①~⑤は、どれも大企業にとって悩ましい問題である事が想像に難しくありません。
それでは、これら5原則を乗り越えて企業がイノベーションを起こすには、どのような考え方や行動が必要となるのでしょうか。
大企業がイノベーションを創出した事例を参考にしながら考えていきましょう。
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大企業によるイノベーションの事例
インターネットテレビ
直近の大手企業におけるイノベーション創出の事例として、大手ネット広告代理店による「インターネットテレビ」事業が挙げられるのではないでしょうか。
この大手ネット広告代理店は、東証一部に上場している巨大企業です。
しかしながら、その企業規模をものともせず、既存のテレビ業界を覆しかねない「インターネットテレビ」という「破壊的イノベーション」を世に送り込みました。
なぜ、この「破壊的イノベーション」を産み出す事ができたのでしょうか?
その理由の一つに、既存業界であるテレビ局との「共存戦略」があったようです。
実際に、テレビ局とタッグを組み、両社内で共通の「キャンペーン」をうって、番組制作を共同で進めたりしているそうです。
ネット広告代理店の社長は「テレビ局との対決姿勢は持っていない」と断言しています。
一方で、過去にあるネットベンチャーがテレビ業界をネットの力で塗り替えようと打って出た時、多くの反対勢力によって、その動きが沈められていった過去もあります。
この両社の違いは明白ですね。
カスタムオーダーのアパレルネット販売
また、日本最大のアパレルECモールが、カスタムオーダーのプライベートブランド(PB)を立ち上げた事も、直近における「イノベーションのジレンマ」を乗り越えた好例と言えるのではないでしょうか。
こちらの企業も東証一部に上場しており、時価総額は1兆円を超える超巨大企業です。
一般的に考えると、既存のECモール事業とPB事業はどう見てもカニバリゼーションを起こします。
しかし、アパレルECモールの社長は「カスタムオーダーの仕組みを噛ませた事で、この2つの事業は、むしろ相乗効果を産む」と断言しています。
2つの事例における共通点
この2つの事例には、2つ共通点があります。
1つ目の共通点は「既存の企業や製品とカニバリゼーションを起こさない仕掛けが用意されている」という点です。
そして、2つ目の共通点。それは、2社ともに創業間もない頃から「自社はイノベーションにトライし続ける組織である」という事を、明確なメッセージとして社内外に発信し続けてきた事です。
あらためて、2つの事例における共通点を整理すると以下のように表現できます。
① 既存の企業や製品との間に対立関係を作らないこと
② イノベーションの創出を経営課題における最優先事項の1つと捉え、その事を社内外に根気強く発信し続けること
反対に、この2点がクリアされていないと、大手ではないベンチャー・スタートアップ企業でも、イノベーションのジレンマに陥ってしまう可能性があります。
スタートアップ企業が「イノベーションのジレンマ」に陥った事例を1つご紹介いたします。
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中小企業が「イノベーションのジレンマ」に陥った事例
私が従業員数30名ほどのスタートアップ企業に勤めていた頃の話です。
その企業では、主事業の売上が3億円を超えたあたりで成長が頭打ちとなってしまいました。
主事業はマーケティングのコンサルティング事業でしたが、その業務内容が非常に属人的で、その事が頭打ちの要因となりました。
「もっと標準化が容易な事業を」と考え、練りに練った末に新たな事業のシーズが産まれてきました。
そこで新たに、社長直下の計3名で新規事業立ち上げのプロジェクトチームがスタートしたのです。
新規事業の方向性は良かったようで、立ち上げから間もなく複数社のクライアントからトライアル導入の打診をもらいました。
好調に進む新規事業。
しかし、さらなる投資の拡大とメンバーの補充を進めようとした時、主軸であるコンサルティング事業のトップとメンバーから、反対の声が上がってきました。
「飯を食わせているのは俺たちだ。祝勝会に行っている暇があったら、こっちの仕事を手伝ってくれ。」
「これ以上、こちらの事業のメンバーを新規事業には割けない。」
「コンサルティング案件が増えてきたから、新規事業チームの人間を貸してくれ。」
ストック型のビジネスモデルである新規事業は、確かに目の前のキャッシュを産んでいませんでした。
成果主義を志向しており、「稼いできた人間の意見が全て」という社風があった中で、この言葉には、社長といえども反論できず、徐々に新規事業は停滞していってしまいました。
この企業では、創業からしばらくの時間がたった頃、キャッシュが非常に苦しくなり、「イノベーションの創出」よりも、とにかく「目先の成果」を重視してしまっていた時期がありました。
もともと、「イノベーションの創出」を創業期から一大テーマとしていた企業だったにも関わらず、キャッシュの苦しい期間が想像以上に長引き、「目先の成果」を重視する事が文化となってしまったのです。
一度、染みついた文化を変えていく事は容易ではありません。
そうして、「イノベーションの創出」というテーマが、置き去りにされてしまったわけです。
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「イノベーティブのジレンマ」を回避するためにやっておくべきこと
それでは「イノベーションのジレンマ」を回避するために、特に注意すべき点、やっておくべき事は、どのようなことでしょうか。
書籍「イノベーションのジレンマ」で挙げられている全ての課題に対して注意すべき必要がありますが、とりわけ以下の2点について取り組む必要があるのではないでしょうか。
- イノベーションの創出を経営課題における最優先事項の1つと捉え、その事を社内外に根気強く発信し続けること
- 既存の企業や製品との間に対立関係を作らないこと
人は成功すればするほど、守りに入ってしまいがちです。
常に未来を見据え、過去の栄光を捨てる勇気が、経営者には求められるという事でしょう。
また、直近では世界で話題を呼んでいる配車アプリの会社が日本市場への進出に向けて、タクシー業界との共存方法を模索する戦略へシフトしたりもしていますが、グローバルトップの企業のように「他人の利益は私の機会」といって既存企業や事業と敵対するやり方は日本の市場にはマッチしないのかもしれません。
いかに共存共栄していくかを深堀する事が、国内企業の経営者には求められているのかもしれません。
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参照
[1] クレイトン・クリステンセン著「イノベーションのジレンマ―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき」翔泳社