マネジメントを扱ったビジネス本や啓発本には、とにかく「環境に適応しろ」と説くものが多い。
要旨、経営者や幹部社員に対し「時代の流れを読むこと」「顧客ニーズの変化に対応すること」などを説くが、正直表現方法に差はあっても内容に大きな差を感じることは少ない。
そしてその多くのものが、概して的外れだ。
そして的外れであるがゆえに、読んでいる時には何かの気付きを得て一過性の感動を得た気になるものの、それが行動に移されることはなく、自己満足の読書の時間が過ぎただけと言う結果になる。
では、このような一見正しく思われる価値観のどこが間違っているのか。
環境に適応することは間違いなのか。
以下、解説していきたい。
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目次
学歴主義という素晴らしい制度
学歴主義という考え方は、21世紀の昨今ではどこか、カビ臭いイメージで語られることが多い。
それはそうだろう、高校を卒業したばかり、18歳そこそこの時の学力で個人の将来が決まり、例えばその学歴によって、国家の意志決定に関わる高級官僚の採用や出世が判断されるのだから。
国家予算を編成する財務省でも、仮に採用試験の点数が上位であっても東大や京大以外から採用されることは非常に困難だ。
さらに、仮に滑り込めたとしても、出世など望むべくもないのが人事の実情となる。
それも全て、「18歳の時の学力」が全国トップクラスでなかったことによる。
このような、単一的な価値観に偏る可能性がある集団だけで意志決定をする制度など、合理的であるはずがないではないか。
ではなぜ、学歴主義は素晴らしいのか。
話は学歴主義という考え方が生まれた、明治維新から間もない19世紀末の日本に遡る。
当時の日本では、中央集権という考え方のもとに我が国が初めて、強力な中央政府を短期間で持つことになったために、とにかく人材が不足していた。
武家や公家から、知恵者やリーダーシップに優れたものを選抜し役職に配置しても、足りるわけがない。
仮に役職を埋めたとしても、実際に必要になるのは実務に優れた現場リーダーでもある。
やるべきことは山積しているのに、上も下も、とにかく仕事を進められる人が圧倒的に不足している状態だ。
言ってみれば、ベンチャー企業の黎明期のようだものだ。
優秀な人材が喉から手が出るほど欲しいが、ベンチャー企業の成長シーンを支えられる稀有な人材など、そうそう居るはずもない。
いたとしても、そのような実績を上げた人はすでに、改めてそのようなステージで働くモチベーションを持っていることは少ない。
つまり、仕事はいくらでもあるのに、人が足りない状況である。
このような時、経営者であればどう考えるだろうか。
いうまでもなく、実力主義だ。
学歴や出身などではなく、情熱ややる気を重視する。
さらに、必ずやり遂げるという強い意志を感じられる人材であれば、まずは任せてみようというトライアルをすることもあるだろう。
そして同じことが、明治維新の時代の我が国でも実施された。
すなわち、その出自にかかわらず、実力のあるものから高級官僚にでも軍の高官にでも取り立てる、学歴主義であった。
世相はまだまだ、武士が力を持っている時代であったため、このような制度はとにかく民衆に大きな夢を与えた。
例えば農家の5男坊であり、食い扶持を減らすために商家に丁稚に出るしかなかった少年が、学問さえ修めれば国家の中枢を担う高級官僚にでもなれるというのだから当然だろう。
このような施策は血気盛んな若者たちの熱い情熱の受け皿になり、学習意欲の高い者からどんどん学問を修め、農家出身のものでも次々に政府や軍の高官に取り立てられていくことになる。
なお余談だが、日露戦争で日本の勝利を決定づけた「日本海海戦」において、作戦立案を指揮した秋山真之という、当時中佐であった参謀がいる。
艦隊トップである連合艦隊司令長官の東郷平八郎をして、「智謀湧くが如し」と讃えられた、海軍ヲタであれば誰でも知る名将だ。
その秋山は幼少期、明治維新ですっかり食い扶持を失った低級武家出身の父から、困窮の余り寺に出されそうになったことがある。
しかしその後、紆余曲折があり学費のかからない海軍兵学校に入ることになり、海軍軍人となって才能が開花。
先述のように、日露戦争で大いに活躍し、最後は中将まで昇り49歳の若さでこの世を去った。
いわば、学歴主義という名の実力主義を徹底し、農家であろうが低級武家の出身であろうが、その実力に応じて活躍の場を与えられた若者が、次々と成果を出していったということだ。
ガチガチの身分制度で身動きの取れない時代を知る若者にとって、この社会変革は夢と希望に溢れる素晴らしい制度であったに違いない。
このようにして、日本という国家は「環境に適応」し、「学歴主義」という夢がある制度を原動力にして、世界の列強へと駆け上っていくことになる。
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環境への過剰適応
このような社会制度が成功体験になった日本は、その後どのような国家を作り上げていったか。
一つには、学問をより修めた者から国家の重職を任せていけば成功するという体験を過剰に学習し、環境に過剰適応した学歴主義社会の構築だ。
さらに、元々は意欲と情熱がある若者を取り立てる制度であったはずの学歴主義は、やがて出身大学で実力を図り役職を任せて行くという本末転倒の運用へと変質し、本来の価値を完全に喪失していく。
海軍でも、海軍兵学校時代の成績順から将来の出世が決定される「ハンモックナンバー」と呼ばれる制度が運用され、わずか20歳そこそこの時の学習能力で、将来の将官になるものが既に選抜されることになった。
この制度は徹底しており、ある局地戦において指揮官を務めるのは、一つにはどちらの年次が上か、またはその階級に昇ったのはどちらが先か、ということに加え、ハンモックナンバーはどちらが上か、ということであった。
その結果、水雷出身の将官が航空戦の指揮官に着任するなど、悲惨な現場が次々に現出することになるが、話が逸れるので詳細は割愛する。
問題は、このような人事制度は「環境に適応している」ということだ。
当事者からすれば、時代に応じて社会制度を変革させ、環境に適応した結果、大きな成功を修めた事実がある。
だからその成功体験を元にさらに制度を強化して、環境への適応を推し進めているに過ぎず、客観的にもその誤りを指摘することは相当困難である。
そして唯一、過剰学習の誤りを認めることができるのは、組織が壊滅した時だけだ。
それが、太平洋戦争の敗戦であり、バブルの崩壊とその後の長く続く国家の衰退局面であった。
国家が崩壊し、あるいは崩壊するほどの大打撃を受けて初めて、組織は自分たちが環境に適応していなかった事実を知ることができる。
つまり「環境に適応しろ」などといったところで、一幹部社員はもちろん、自社に対し客観的になりきることができない経営者本人に、そんなことができるわけがないじゃないか、ということだ。
だからこそ、「環境に適応しろ」などというマネジメントは全く意味のない、それどころか過剰学習を誘発するだけの有害なお題目となることに、十分に注意する必要がある。
では、マネジメント層にある者にとって、このような事態はどうしても、避けることができないのだろうか。
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アメリカ軍はなぜ世界最強で居続けられるのか
組織が常に活力を維持し、また顧客にとって必要とされ続けるためには、常に環境に最適化する必要がある。
逆に言うと、それを実現し、また実現し続けている組織こそが最強ということだ。
無理であろうが、組織を維持発展させるためにこの機能は絶対に保持し続け無くてはならない。
では、そのような制度とはどのようなものなのか。
その答えの一端を、永きに渡り世界最強のポジションを維持し続けている、アメリカ軍の人事制度にみることができる。
アメリカ軍では基本的に、どれほど手柄を上げ成果を残したものであっても出世の上限は、基本的に少将までとなっている。
そして作戦や任務に応じて、数多く居る少将の中から最適な能力と実績を持つものが選抜され、中将に一時的に昇進する。
さらに、その任務が終わると再び少将に戻り、ルーチンワークの自分の持ち場に戻る。
いわば、マネジメント層で指揮を執る人間を固定化させないということだ。
任務や仕事に応じて最適な人物を責任者である中将に任命し、その部下には年次が上の少将や、歴戦の武勇を誇る少将が就くこともある。
これを企業経営に置き換えてみれば、出世の上限は部長であり、プロジェクトや仕事に応じて最も適した部長をその総責任者に据える、ということになるだろうか。
当然その部下には、年配の部長も居れば創業に参加した古株の部長も居るだろう。
しかしそんなことは一切の関係がない。
会社が今直面しているプロジェクトに対し、最も適任の責任者は誰か、という命題に対して目的から純粋に考えたら、当たり前に採用するべき制度である。
にも関わらず、多くの企業経営者は、
「あいつは創業時から力を尽くしてくれたから」
「こいつは大ヒット商品を生み出した功績のある社員だから」
などの“過去の実績”で、未来を担うプロジェクトのリーダーを選抜する。
あるいはどのようなプロジェクトでも、
「これは営業部の仕事だから、あの部長に任せよう」
「これは経営企画の職掌だから、あいつにやらせておけ」
というような、そのプロジェクトに対するリーダーの資質ではなく、組織の論理で、仕事を割り振る。
環境は常に変化し続けているにもかかわらず、組織を固定化した上で環境に適応しろ、などというのは無茶である。
そんなことを要求された幹部は、仕事ができる者であればまともに相手にせずに聞き流し、真面目な者であれば答えのない命令に悩み続けるだろう。
それも全て、勘違いしたマネジメントの失敗のせいだ。
環境に適応し続ける唯一の方法は、常に組織を柔軟に維持し、環境に応じて組織を流動化させる以外に方法はない。
それは決して、経営者や幹部社員一人ひとりが「環境に適応しよう」などと意識することではなく、組織が常に環境に適応し、自由に形を変えられる状態を維持し続けることだ。
その第一歩として、まずは長年に渡り固定化されている役職の在り方から、考えてみてはどうだろうか。
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