2021/01/15

ルールに縛られた職場こそが、もっとも「クリエイティブ」である

ある人に「ルールにもとづいて働きましょう」とお伝えしたら、こんな反論が返ってきました。

「会社にいるあいだは『社員』という立場を演じなきゃいけないんですよね? でも、会社の時間だって大切な人生の一部です。もっと私は人間らしく生きたいんです」と。

彼は、ひとつ大切なことを忘れています。

それは社会におけるすべての瞬間は「他者評価の中」で生きているということです。他人の評価の中で生きているので、究極的には「どの瞬間も人は演じなければ生きていけない」のです。

どの瞬間も演じなければいけないーー。

まだピンと来ていない方もいると思いますので、もう少し詳しくお話ししましょう。

 

夫婦でも、家族でも、つねに「演じて」いる

 

冒頭の彼は「会社にいるあいだ『社員』という立場を演じるのがイヤだ」と言いました。

でも「人は演じなければ生きていけない」というのは大前提です。仕事の場面ではもちろん、プライベートの場面でも、です。

ただプライベートのほうは、その演じる「幅」ができるだけ狭くていいような相手を選ぶことができる、というだけ。

たとえば「自分に合う恋人を探す」とか「価値観の合う友だちを探す」ということですね。自分のそもそもの考え方とズレる「幅」が少ない人を選ぶ。それでも、人の前では演じなければいけないのは変わりません。

人間は2人以上集まれば「コミュニティ」になります。

1人であれば演じる必要はないかもしれませんが、2人以上で過ごしていこうと思ったときは、程度の差はあれど演じていかなきゃいけない。そういう仕組みになっているわけです。

考えてみてください。

家族でいるときも演じてはいますよね? 「奥さんにとって自分はどうあるべきか?」「旦那さんにとってどうあるべきか?」「子どもにとってのいい親かどうか?」 そういうことを意識しながら動かなければ、うまくいかないはずです。

それがそもそも「人間の活動」なのです。それが「生きていく」ということです。

 

演じることこそが「人間らしい」ということ

 

冒頭の彼は「人間らしく生きたい」とも言いました。

演じることは「人間らしさを押し殺す」ことなのでしょうか? 私はそうは考えません。

「本能のまま生きていきたい」「好きなとおりに動きたい」「自分の価値観がすべてだ」というのは、むしろ人間らしい活動ではないと言えるでしょう。犬や猫と一緒です。(いや、まだ犬や猫のほうが飼い主のルールに従っていくという意味で、人間に近いかもしれません。)

「生きていく」ということは「糧を得続ける」ということです。そのために他者評価の中で人は生きる。それこそが「人間の活動」なのです。

そのことを理解せず「他者評価は無視して、自分らしく生きていくぞ」という発想は動物と同じです。「人間らしさ」ということを履き違えているわけです。

 

ベンチャーでよく聞く「自由に働こう」への違和感

 

よくベンチャーでは「自由に働こう」などと言います。

ただ、その「自由」の定義も人によってバラバラです。私から見ると、あくまで「自由という枠の中で生きている」だけです。つまり、本当に自由ではないはずなのです。

どんな会社も「コミュニティ」です。

コミュニティであるならば、違うのは「ルールが明文化されているかどうか」だけでしょう。ルールなしに集団で動いていくのは不可能です。

別にルールにもとづいて働くかどうかは自由ですが、ルールを導入しなかったからといって他人の評価から逃れられるわけではありません。その原理原則からは逃げられない。人間として生きていくには避けられないのです。

生きていく以上は避けられない「他者評価」ときちんと向き合う。そのほうが、うまくもいくし、いい人生を歩めるはずなのです。

 

ルールにもとづいて動くと「クリエイティブ」になれる

 

「自由に働く」と言っている会社ほど、プロセスを重視しがちです。

「自由だよ」と言いながらも、仕事ぶりをずっと見られている。悪く言えば、監視されていると感じるようなこともあるでしょう。

ルールにもとづいて動き「結果」だけをちゃんと握っている会社のほうが、クリエイティブになれますし、むしろ自由で楽しいはずです。

ルールにもとづいたマネジメントは、みんなが頭を使わなくなるようなイメージを持つ人もいますが、まったく逆です。ルールにもとづいたマネジメントは、いちばん全員の脳みそが動く働き方なのです。

思考停止になるどころか、いちばんクリエイティブに働くことができる。多くの人が、そこを間違えています。結果を出すというエリア内で必死に頭を使う。それが社員全員が頭を使う状態なのです。

 

「人間らしく生きる」ってなんだ?

 

「人間らしく生きる」というセリフをよく聞きますが、あらためて「人間らしく」とはなんでしょうか?

私が考えるに、まずひとつは「他者評価を獲得しなければいけない」ということです。そして「自分の力で糧を獲得する」ということです。

「糧を獲得する」というのは、仕事で言えば「結果」です。この糧を獲得するために必死で頭を使うということが「人間らしく生きる」ということだと私は考えます。

「人間らしく働こう」などと言って、結果も出さずに「自由に」働いても糧を獲得できていなければ死んでしまいます。

結果で管理することは「糧を得る」ということであり、ベンチャーのなかにはそこが緩くなっている会社もあります。結果を見ず「頑張っている人」を評価してしまうというのは典型です。

会社というのは「一人ひとりの結果の集合体」です。ということは、頑張っている人を評価し続けると、その会社が勝てる可能性は大きく減っていきます。

よく原始時代のマンモス狩りを例に出すのですが、「マンモスを狩るお前の姿がカッコいい」「ナイスファイトだ」みたいに評価しても、肉を手に入れなければ餓死するだけです。

人間の特徴は「集団で生きていく」ということです。

集団で生きていく以上は、つねに他者評価を獲得していくことに尽きる。外部からの評価もそうですし、コミュニティ内での評価もそう。それに尽きます。

アリストテレスも「人間は社会的動物である」と言っています。社会というのは「つながり」であり「コミュニティ」。そのコミュニティの中で生きていく。それが人間です。

つまり、他者評価を得ながら生きていくことが「人間らしい」ということです。「こっちのほうがいい」ということではなく、もうこれ以外、正解はないのです。

 ̄ ̄ ̄

引用元:安藤広大/株式会社識学 代表取締役社長note「組織にルールを。」
https://note.com/kodaiando

【免責事項】
本サイトの目的は、リーダーシップやマネジメントなどに関する、様々な考え方や理論を広く紹介し、読者の皆様に有益な情報発信を行うことです。掲載されているすべての記事が「識学」の考え方を反映しているものではありません。