「イノベーション」は多くの組織が意識する言葉の一つでしょう。
広くは「革新」「刷新」といった意味合いですが、日本では「技術革新」と訳される向きがあります。
現代のビジネスを取り巻く環境は激しく移り変わるので、企業は「イノベーション」を続けなければならない、なかば宿命のようなものを背負っています。
しかし、ITなどの「技術革新」にこだわりすぎて、失敗を繰り返していないでしょうか?
本記事では、ITや技術革新がなくとも、「イノベーション」を起こすことは可能であることを解説していきます。
近年、政府は「多様で柔軟な働き方」「ダイバーシティ」といった新しい価値観と働き方を推奨しています。
なかでもダイバーシティ経営は、
「女性をはじめとする多様な人材の活躍が、少子高齢化の中で人材を確保し、多様化する市場ニーズやリスクへの対応力を高め、日本経済の持続的成長に不可欠[1]」
と位置づけ、特に力を入れています。
目次
ドラッカーの「イノベーションと起業家精神」
1985年に日米で同時発行された「イノベーションと起業家精神」は、今なお輝きを失わないドラッカーの代表作です。
なかでも、「イノベーションについての『7つの機会』」は本作の柱をなすものです。
ドラッカーの説明や、挙げている例を一部紹介します。
第一の機会:予期せぬこと
70年代当初、IBMはメモリや計算能力の高いメインフレーム・コンピュータこそが未来を担う、と信じきっていました。
しかし、75年か76年ごろに、子供がコンピューターでゲームをするようになると、その父親たちが、性能面でははるかに劣るはずのパソコンを使い始めたのです。
IBMにとっては、「起こるはずもない無意味なこと」のはずでした。
しかしIBMは即座に現状を調べて認識を改め、1977年から独自のパソコン開発に乗り出します。
その後、パソコン市場は破竹の勢いで成長し、IBMはその覇者となりました。
第二の機会:ギャップを探す
ドラッカーのいう「ギャップ」は、主にこのようなものです。
業界は伸びているのに、自社の業績は上がっていない場合(「業績ギャップ」)や、業界の従来の予測に基づいて事業を行ってきたのに、その通りの現状になっていない場合(「認識ギャップ」)。
または、生産者と消費者の価値が異なる場合(価値観ギャップ)です。
極端な例えですが、猫はダンボールに入るのが大好きです。そして時々、飼い主は悲鳴を上げます。
新しい家具を買ってやったのに、中身ではなく外側のダンボールを気に入ってしまい、毎日そこに入っている、と。
最後に「プロセス・ギャップ」を挙げています。
消費者が生活の中ですでに感じている不便さ(ギャップ)にチャンスを見つける、というような話です。
日本語で言う、「かゆい所に手が届く」ものの必要性は常に存在している、といった所でしょうか。
以下はわかりやすい言葉で示されていますので、簡単に説明します。
第三の機会:ニーズを見つける
ドラッカーは日本について、1965年以降に道路舗装が急速に普及すると、車のスピードが上がったことで交通事故が増えていたことを挙げています。
そこで、道路に視線誘導標を立てるという、この小さな発明がイノベーションをもたらしたといいます。
ニーズを自ら探し出し、事故を1/3に減らした、ということです。
一方で、「なくなるニーズ」にも目を付ける必要性を説いています。
第四の機会:産業構造の変化に着目する
「イノベーションの機会としての産業構造の変化は、次のような時にほぼ確実に起こる」。
として、ドラッカーは
・ある産業が経済成長や人口増加を上回る早さで成長するとき、遅くとも規模が2倍になる前に、構造そのものがほぼ間違いなく劇的に変化する。
・産業の規模が2倍に成長する頃とほぼ時を同じくして、それまでの市場の捉え方や市場への対応の仕方では不適切になってくる。
・いくつかの技術が合体した時も、産業構造の急激な変化が起こる。
・仕事のしかたが急速に変わる時にも、産業構造の変化が起こる。
という4つの転換点を挙げています。
「長い間成功を収め挑戦を受けたことのない支配的な地位の生産者や供給者は傲慢になりがちである」。
市場の拡大にあぐらをかいていると、変化に対する対応が遅れるどころか、新しい市場では全くの素人になってしまう、という指摘です。
第五の機会:人口構造の変化に着目する
これはわかりやすい言葉かと思います。
かつ、先読みのしやすい変化ではないでしょうか。
もちろん、先回りでの対応を始めていないと、手遅れになるということです。
第六の機会:認識の変化をとらえる
「コップに『半分入っている』と『半分空である』とは、量的に同じである。だが、意味は全く違う。とるべき行動も違う。世の中の認識が『半分入っている』から『半分空である』に変わる時、イノベーションの機会が生まれる。』
というものです。
ここでは、ドラッカーはアメリカの医療の例を挙げています。
医療技術は進歩しており、肉体の健康と機能に関わる指標は大きく改善されていて、新生児の生存率やガンの治癒率などは大きく改善されています。
それでも今のアメリカ人の「健康状態が悪化している」と言い続けるのは、加齢、肥満、慢性症、老化への恐怖である、と。
つまり、「不健康」の定義が時代とともに変わったのです。
この認識の違いが、健康雑誌と健康食品の売上げを急激に伸ばす背景になったということです。
第七の機会:新しい知識を活用する
新しい発明によるイノベーションです。もっとも憧れられる形態かと思います。
しかしこれについては、ドラッカーは特有のリスクがあると指摘しています。
主には、実用化までには、長い時間を要するという点です。
また、
「今日、科学上の発見はかつてないほど早く、技術、製品、プロセスに転換されるようになったとされる。だがそれは錯覚にすぎない」
と指摘しています。
新しい発見は飛びついてすぐにものになるのではなく、25年、35年と長い期間を覚悟すべきだ、ということでもあります。
ここまで、ドラッカーの「イノベーション」について紹介しました。
さて、これら全てには、共通のテーマがあるように思います。
組織の内部であれ外部であれ、「変化」こそがイノベーションのチャンスである、ということです。
また、ドラッカーは、マネジメント自らが消費の現場に足を運び、何が起きているのかを直接見聞きすることの重要性も説いています。
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「変化」から目を背けて転落した日本産業
このように、ドラッカーが語るイノベーションの機会は、大半は、新しい技術とは無関係です。
それまで自分たちが信じてきたことと逆の事象であっても、「変化」を早く捉えなければイノベーションの機会を失い、組織は低迷する、と説いているのです。
この点で、日本は比較的最近、大きな失敗をしています。
携帯電話の機種「ガラケー」は、「ガラパゴス携帯」の略です。
語源は、独自の生態系が進化を遂げている、あの「ガラパゴス諸島」で、これは褒められたあだ名ではありません。
ガラケーは登場以降、どんどん多機能になっていきました。
高画質カメラ、動画の送受信機能、ワンセグ受信、おサイフケータイ…
しかし当時、世界はそのようなものは求めていませんでした。
携帯電話なんて通話とメールくらいできればよくて、余計な機能ばかりで値段の高い端末はいらない、という意識です。
そして、2008年に初代iPhoneが日本に上陸して、市場は一気にひっくり返されました。
更にはGalaxyの登場で、サムスン電子にも国内市場への参入を許してしまいました。
結果、2013年以降、NECを皮切りに、大手メーカーの携帯電話事業からの撤退が相次ぎました。
しかし、この頃に辛酸を舐めさせられていたのは、携帯電話事業だけではありません。
下のグラフを見てください。
「エレクトロニクス産業の現状」(出典:「エレクトロニクス産業の現状と政策の方向性について」経済産業省)
世界の市場規模と日系企業のシェアとの間に、大きなギャップが生じています。それも、取り返しのつかないところまで来ていたのです。
大きな理由は、技術力や、それまでの方向性に安住、固執してしまったことです。国内だけでの技術競争を続け過ぎた背景もあります。
しかし、リーマン・ショックという大事件を目の当たりにしながら、「シンプルで安いもの」が世界基準になっていく、という変化に、気づかなかったはずはありません。
しかし、日本企業は「変化」を認めなかったのです。
その代償は、あまりにも大きいものでした。
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「未来」は現在の延長線上にあるのではない
さて、ここ最近もてはやされているのが、ロボットやITです。
現代技術の代表格でしょう。
「ロボットが人間の仕事を全て奪う」という都市伝説までささやかれています。
確かにロボットは、モノの生産を効率化させました。
しかし、いくら同じモノを効率的に作れるようになっても、市場はいつか飽和します。
現状としてロボットに救われているからといって、それが今後も続くとは限りません。
また、介護現場に投入すれば、高齢化に合わせてニーズは高まるのではないか、とも言われています。
しかし、本当にそうでしょうか。
現在のところ、介護業界の9割を占めている中小の事業者では、そんな高額なものは導入できていません。
また、未来の介護施設では、職員全員がパワースーツを着ているとでも言うのでしょうか?
果たしてそんな施設に、需要はあるのでしょうか?
あるいは、IoTという言葉が日本に上陸して長くが経ちます。
ところで今までに、「消費者」としてのあなたの生活に、驚くような変革は起きましたか?
せいぜい、遠隔操作できる家電が増えたくらいではないでしょうか。
それでもIoTだと叫び続けますか?
それは、誰のためのIoTですか?
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3つの「べからず」
ここで、ドラッカーに話を戻しましょう。
ドラッカーは、イノベーションについて、3つの「べからず」を挙げています。
・凝りすぎてはならない。イノベーションの成果は普通の人間が利用できるものでなければならない。組み立て方や使い方のいずれについても、凝りすぎたイノベーションはほとんど確実に失敗する。
・多角化してはならない。散漫になってはならない。一度に多くのことを行おうとしてはならない。
・イノベーションを未来のために行ってはならない「25年後には大勢の高齢者がこれを必要とするようになる」と言うのでは十分ではない。「これを必要とする高齢者は既に大勢いる。25年後にはもっと大勢いる」と言えなければならない。
つまり、まずは足元の変化をしっかりと捉え、シンプルな形でイノベーションを行え、というわけです。
そして、イノベーションとは、直接的であれ間接的であれ「顧客のため」に行うものである、という認識も必要なのではないでしょうか。
この認識が欠けると、たちどころに方向性を失うでしょう。
京大式「なまこ理論」に見るイノベーション理論
ここで、面白い話をひとつ紹介しましょう。
「なまこ理論」というものです。
これは、出版物になっているようなものではなく、京都大学の酒井敏教授(地球科学)が、大学のメディアの中で語っているものです*。
酒井教授が唱える、京大という組織のあり方はこのようなものです。
「お米を10人で作る。日本人は頑張って倍の効率で作るが、2倍同じものを作ってしまう。ご飯ばっかりそんなに食べられない。
それより、倍の効率でできるなら、半分の奴らを遊ばせて、なまこでも獲らせて来るべきだ。なまこが食えることを発見できたやつはすごい。
大学では米をうまく作る・効率よく作る方法は教えられるが、新しいものは見つからない。
だから学生を教室に閉じ込めちゃいけない。遊ぶべきだ!アホなことをやるべきだ!なまこなんて、最初に食べようと思ったやつは相当のアホにちがいない。でもその最初のアホのおかげで、ご飯がすすむのだ。」
「大学」「教室」を「組織」や「企業」、あるいは「技術革新」という言葉に置き換えて読んでみると、イノベーションについての話となります。
流石に半分もの社員に遊ばれては困りますが、「自分たちの常識」を破った所にイノベーションは存在するということです。
しかも「なまこ」は、田んぼを離れ、自分の足で海を歩いて発見したものです。
それも、組織が、それまでにやり方を強いなかったから、その「アホ」は海で大発見をしたのでしょう。
数々のノーベル賞受賞者を輩出する大学らしい思想です。
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「変化」は自然の理、イノベーションの機会はどこにでもある
酒井教授はこう続けています。
「人間はどうしてこんなにも予測不能が怖いんだろうか。認めたくないんだろうか。
便利になりすぎて、制御可能な領域が広がりすぎて、制御不能を許せないのだろう。」
「技術」を盲信する現代の風潮も、ここにあるのではないでしょうか。
しかし、「技術での問題解決」よりも、「変化」の方が間違いなく起きるのが自然の掟、世の掟です。
そして「変化」の存在を強調するのはドラッカーも同じです。
「イノベーション」というのはそもそもが外来語です。
「技術革新」という訳語を誰しもが使わなくてはならない理由はどこにもありません。
ますは「イノベーション」という言葉に、自分たちなりの訳語をつけてみてはいかがでしょうか。長い日本語になっても構いません。
むしろ、これができなければ、自分たちに必要な「イノベーション」を理解していないということになります。
自分たちの言葉で「イノベーション」を説明できない組織が、ましてや他人が開発した技術で何をしようというのでしょうか。
最後に、ドラッカーの言葉をもう一つ紹介しましょう。
イノベーションは「市場にあって、市場に集中し、市場を震源としなければならない」。
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