職場のパワハラはときに、被害社員のメンタルを破壊し自殺に追い込みます[1]。職場からパワハラを撲滅することは、企業の責務です。
しかしパワハラ叩きが過剰になり、「非難が恐くて、業務に最低限必要な叱責すらできない」と嘆く管理職もいます。また「パワハラ育ち」と呼ばれる会社員からは、「厳しい上司に鍛えてもらった」といった声も漏れてきます。
パワハラを擁護することは絶対にできませんが、上司による厳しめの指導が時には必要な場合もあるでしょう。両者の境界線はどこにあるのでしょうか。
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目次
「パワハラ育ち」とは
著者が初めて「パワハラ育ち」という言葉を最初に目にしたのは、週刊ダイヤモンドの「『パワハラ育ち』の企業戦士は昨今の鎮静化に何を思う?」という記事でした[2]。
記事のなかで、大企業の37歳の男性社員が「パワハラを受けたことで成長できた」と振り返っているのです。
そこで本稿では「パワハラ育ち」の人たちを、次のように定義します。
・新人のころ職場にパワハラが横行していた30代後半以上の現役会社員
・上司から仕事を教わったときに暴言や暴力を受けた
・パワハラを受けたとき強いストレスを感じた
・ただ業務は継続できた
・現在は管理職やエース社員の地位にいる
・「パワハラ上司の教えでスキルを獲得できた」と認識している
・自分は「いまパワハラをしていない」と言う自信がある
著者がインタビューした男性の元新聞記者Aさん(48歳)も、パワハラ育ちのひとりです。
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いま48歳の記者が33歳のときに受けたパワハラ
Aさんは大学を卒業した1993年に、地方新聞社に入社しました。Aさんは人事部に4年間在籍した後、自身の希望がとおり記者職に異動しました。
Aさんの記者人生は、上司3人、記者5人の支社報道部からスタートしました。Aさんはここでの6年間の働きが認められて、その新聞社で最もステータスが高い本社の社会部に異動になりました。
Aさんをいじめ抜いたKは、Aさんより10歳年上の社会部のデスクでした。デスクの仕事はAさんたち記者に指示をしたり、原稿をチェックしたりすることです。社会部デスクは社内で強力な権力を有していて、社会部記者は絶対服従が求められました。
しかしKによるAさんいじめは常軌を逸していました。例えば普通のデスクは、40行の記事をチェックするときに、すべて読み終えてから記事を書いた記者に質問をします。そうすれば記者への問い合わせは1回で終わります。
しかしKは、Aさんの記事をチェックするときだけ、普通にチェックしないのです。
Aさんが取材で外出しているときに携帯を鳴らし、まずは記事の最初の10行分の問い合わせをします。Aさんがそれに答えて電話を切ると、また5分後に続きの10行分質問をする、ということを繰り返しました。これでは取材になりません。
Kからの記事の問い合わせは、夜中にもきました。
Aさんが「その部分は取材先に聞いていません」と答えると、Kは夜中でも「取材先に電話をして確認しろよ。取材先のコメントが取れなきゃ、記事は使わない」と言うのでした。
Aさんは渋々取材先の携帯を鳴らし、不機嫌になっている相手からコメントをもらい、それを盛り込んだ記事を再送するのでした。
Kは職場でもAさんをよく怒鳴りました。Kは周囲に同僚がいるときにAさんの記事を数行読み上げては「言葉が陳腐」と言い、また数行読み上げては「意味がわからない」などと指摘するのでした。
Aさんの記事をここまで問い詰めるデスクは、K以外にいませんでした。だから決してAさんが、質の低い記事を書いているわけではなかったのです。
Aさんが「もう無理」と思ったのは、Aさんが同僚記者4人と計5人で大型インタビュー記事を担当したときのことでした。地元出身の大物5名をインタビューする内容で、Aさんは全国チェーンの企業を一代で築き上げた社長を担当しました。
Aさんは社長を3時間取材して、100行の記事を書き上げました。それをKがチェックすることになったのですが、Kは一読しただけで使い物にならないと判断しました。それで別の記者に再インタビューさせたのです。
しかもKはその社長に電話をして、「記者が書いたインタビュー記事が支離滅裂で使い物になりませんでした。そこで再取材させてください。今度はきちんとした記者を向かわせますから」とアポイントメントを取ったのです。しかもKは、再インタビューさせた記者に他言するなと厳命し、ほかのデスクにも報告しませんでした。
Aさんがこの事実を知ったのは、インタビュー記事が紙面に載った日でした。Aさんは毎朝5時に自宅で、自社の新聞を含む5紙を確認します。Aさんは午前5時20分にKの携帯を鳴らしました。
Kは「はい」と不機嫌な声で答えました。Aさんが「私の記事が掲載されていないんですが」と言うと、Kは「そんなことでデスクの睡眠を邪魔するのか!」と言って切ってしまいました。Aさんは覚悟を決めてもう一度Kの携帯を鳴らしましたがKは携帯の電源を切ってしまいました。
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AさんがKのパワハラを否定しない理由
Aさんが先輩記者に相談したことでKの上司である社会部長もこの件を知ることになりました。Kのパワハラ被害が社会部以外にも広がっていることも明るみになりました。Kはその直後の人事異動で部下がいないへき地の支局に飛ばされました。
著者がAさんをインタビューしたのは、Kからのパワハラが終了してから17年が経過した2018年です。Aさんは新聞社を辞めて市役所に転職し課長になっていました。
AはKのことをこう振り返っています。
「市役所は意外に実力の世界なんですよ。中途採用で課長に抜擢されたのは『きちんとした記者経験』があったからです。これは間違いなくKのお陰です」
Aさんは仕事をしているときにいつも「Kの気配」を背中に感じるのでした。Aさんは仕事で妥協しそうになると、「もしこの仕事がKからの命令だったら、ここでやめていたか?」と自問するようになったのです。
そして「いや、Kのことを恐れていた自分は、もっと仕上げていたはずだ」と思い直し、もう一度仕事を見直すようになったのです。
Aさんはまさに「パワハラ育ち」なのです。
Aさんはこう続けました。
「ビジネスパーソンはすべからく、仕事を恐れるべきです。その謙虚な姿勢こそ、仕事を完遂させる動機になるからです。Kと出会う前の私には、『給料分の仕事をすればいいんでしょ』という気持ちがありました。
しかしKは一切の妥協を許しませんでした。私はKを恐れることで、仕事を恐れることを覚えたのです」
著者は、Aさんにこう質問をしました。
「もしスキルも意欲も低い若い社員がいたら、Kの部下になってKに鍛えてもらうべきだと思いますか」
Aさんはこう答えました。
「Kのすべての言動を許容することはできませんが、Kのような存在は必要だと思います。新聞記者は権力をチェックする使命があるので、厳しく鍛えられるべきだからです。記者以外にも人の命に関わる仕事があり、そういった仕事に従事する人は、やはり厳しい上司のスパルタ指導に耐えたほうがいいと思います」
そしてAさんは、「あくまで個人的な見解」と断ったうえで、次の4項目を示しました。
・意味がない暴言や暴力などの「本物のパワハラ」は一切許容されない
・ただ差し迫った事情があれば、上司がかなり厳しい言動で部下を指導することはやむを得ない
・「本物のパワハラ」と「厳しい教育」はしっかりわけるべきだ
・過剰なパワハラ叩きで「厳しい教育」まで否定されることは企業の弱体化を招くことになり、日本経済にとってもプラスではない
それでは次に、「厳しい教育」が許容される「差し迫った事情」について考察していきます。
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パワハラを「厳しい教育」と認定できる境界線とは
Aさんは、企業に「差し迫った事情」があれば、上司が部下を「厳しく教育」することは許容する、という立場を取っています。著者は、これは日本企業の「解雇のしにくさ」と関連していると考えます。
労働基準法は、一定の条件に該当する労働者を企業が解雇することを禁じています。日本企業は「仕事ができない」「働く意欲がない」社員を解雇できないのです[3]。
つまり日本の企業は、仕事ができない社員や意欲のない社員を雇ったら抱え続けなければならないのです。社員に仕事を覚えさせたり意欲をわき起こさせたりすることは、日本企業の責務なのです。
しかし仕事をできない人に仕事を教えることや、意欲がない人に「意欲を高めなさい」と諭すことは簡単ではなく、それで強硬手段が必要になったのです。
これが、パワハラが日本企業に根付いた経緯ではないかと、著者は考えています。
アメリカの企業は従業員を簡単に解雇できます[4]。
仕事ができない社員が見つかったら解雇して、仕事ができる別の人を雇えばいいのです。ですのでアメリカ企業の管理職は、不出来の部下に悪感情をもよおす必要はないのです。
日本の話に戻します。
著者は、上司の強い言動が「厳しい教育」として許容されるには次の条件が必要であると考えます。
・厳しく教育する以外に現状を打破することができない(企業に「差し迫った事情」がある)
・対象社員がストレス耐性を持っていて厳しい教育に耐えることができる
・厳しい教育が成果を生み出す可能性が高い
また別の事例を紹介します。
著者が知っている、ある中小企業の管理職は「宣言パワハラ」をしています。彼は、スキルが足りない若手社員をみつけると、社長と当該若手社員に対し、「これから半年間パワハラをする」と宣言するのです。
管理職はパワハラをスタートさせる前に対象となる若手社員と面談し、「厳しく指導するがそれは必ず半年で終える。そして君はいつでもパワハラ拒否をすることができる」と伝えます。
その翌日から管理職は、その若手社員が失敗したり手抜きをしたりすると、遠慮なく怒鳴ります。残業や早出出勤も命じます。その管理職はこれまで10人以上の部下を「宣言パワハラ」してきましたが、1人も退職していません。
効果はてきめんで、この鬼の特訓を受けた社員はみな成長し、その管理職に感謝しています。その証拠に「宣言パワハラ」を受けた全員が毎年、その管理職に年賀状を送っています。
これこそ「厳しい教育」といえるでしょう。
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それでもパワハラは許されない
99人の社員にとっては有益な「厳しい教育」でも、1人のストレス耐性が低い社員に向けられるとメンタルを壊す可能性があります。つまりその1人にとっては、「厳しい教育」でなく、パワハラなのです。
厚生労働省は職場のパワハラを次のように定義しています[5]。
1:職場内での優位性を背景にしている
2:業務の適正な範囲を超えている
3:精神的・身体的苦痛を与える行為
2からは、次のような「業務の適正な範囲内」であれば、パワハラに該当しないことがわかります。
・業務上必要な注意や指導
・上司としての役割を遂行している
・業務上の指揮や教育
・各職場で定めた「業務の適正な範囲」に収まる
また3からは、上司がまったく同じ内容の強い言動を発しても、ストレス耐性が弱い社員に向けられた場合はパワハラと認定され、ストレス耐性が強い社員に向けられた場合はパワハラとみなされないことがわかります。
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まとめ パワハラとの決別と教育が必要
パワハラは、人を窮地に追い込んでパフォーマンスを高めようという手法なので、非人道的あり許される行為ではありません。
一方で、パワハラを受けて成長できた会社員が存在することも確かです。
経営者や管理職は、パワハラとしっかり決別しつつ、社員教育を厳格に進めていく必要があるでしょう。
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参照
[1]:大阪府警警察官のパワハラ自殺は「公務災害」 地公災基金支部が初認定(産経WEST)https://www.sankei.com/west/news/180911/wst1809110057-n1.html
[2]:「パワハラ育ち」の企業戦士は昨今の鎮静化に何を思う?(週刊ダイヤモンド)
https://diamond.jp/articles/-/179277
[3]:
なぜ日本で「解雇規制の緩和」が進まない? 倉重弁護士「硬直した議論はもうやめよう」(弁護士ドットコムNEWS)
https://www.bengo4.com/c_5/n_7234/
Q2 法律では解雇に関してどのような規制がありますか(労働政策研究・研修機構)
http://www.jil.go.jp/rodoqa/03_taishoku/03-Q02.html
[4]:
アメリカの企業と一緒に仕事をしていると、あまりに突然解雇されるので驚く(Hugo no Blog)
http://hugonoblog.com/blog/working-in-usa
アメリカで解雇されるときの6つのサイン(アメリカで働く&起業する私のブログ)
http://america-career.com/kaikosareru-6tsuno-signs/#i-
[6]:パワハラの定義(厚生労働省)
https://www.no-pawahara.mhlw.go.jp/foundation/definition/about