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藤田田は何が凄い?人物像がわかる逸話や孫正義氏との意外な関係を解説

  • 「小さな改善を毎日積み重ねるしか手はねえんだ」
  • 「傍観者ではダメである。どんな仕事でも、当事者になることが肝心である」
  • 「ビジネスの生存競争では、効率のよい方が生き残るのです」

上記の言葉はすべて藤田田(ふじた でん)の言葉です。

藤田田は日本マクドナルド、日本トイザらスの創業者として有名です。最近の若い方の中には、名前を耳にしたことがない、という方も少なくないのではないでしょうか?

しかし、実はこの藤田田、途轍もなく優秀な人物でした。それは、アメリカからマクドナルドを輸入して、日本国内で成功させることができたのはおそらく藤田田だけ、といっても過言ではないほど。

その経営センスや先見性は卓越したおり、1970年代から80年代の日本経済を率いる一人として、

そこで本記事では、藤田田の半生や人物像がわかる逸話・エピソード、功績などを解説していきます。

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藤田田とは?

藤田田は大正15年(1926年)に大阪府で生まれた実業家です。「田(でん)」という名前は珍しいですが、母親がクリスチャンであったため「口」に「十字架」で、良い言葉を語るようにという願いを込めてこの名に決まりました。

しかし、藤田田本人はキリスト教徒ではなく、GHQの通訳アルバイトで出会ったユダヤ人をきっかけにユダヤの教えへと傾倒していきます。それは、後に「銀座のユダヤ人」と呼ばれるほどでした。

また学生時代から頭がよく、東京大学法学部に進学しています。彼と同じ高校と大学に進んだ友人は、藤田田について「高校でも大学でも抜群に頭が良かった。というより天才で、受験勉強とか学校の秀才を見下していたから、周りからは距離を置かれていた」と語っています。

イメージと異なる東京大学法学部に失望

 藤田田は東京大学の法学部には天下の英才がたくさんいるに違いないと考えていました。そして、他の誰よりも勉強をしなければ置いてけぼりになってしまうと感じていたため、ガリ勉のオタクだったと語っています。

 しかし、実際に東京大学法学部に入ってみるとそこは「変態性欲」と「バカ」の集まりで、「幼少期から勉強しかしてこなかったせいで女の顔も見たことがなく、マスターベーションの話をしているやつばかり」と、失望したのです。

 リクルートを創業した江副浩正氏もまた、東京大学に進学した際に同じようにがっかりしたことを明かしています。藤田田や江副浩正氏のような桁外れの天才からすると、東京大学ですら退屈な場所なのかもしれません。

マッカーサーのもとで通訳の仕事をする

学校にいても退屈だった藤田田は、マッカーサーの司令部を訪ねて仕事をさせてくれと頼みました。そこで採用試験に受かり、藤田田は通訳の仕事を手に入れます。

この間、学校にはあまり通ってはいませんでしたが、それでも好成績を収めて卒業時には大蔵省からの誘いも来ていました。しかし、自身で「もし入っていたら3日でクビになっていた」と語っています。

その理由は、「公務員は前例のないことはやりたがらず、自分は前例があることはやりたくないから」というものでした。

このように藤田田は東京大学に通う学生を見下して、東京大学法学部も退屈な場所だとしながらも退学するつもりはなく、「東大卒」という学歴をとりあえず持っておこうという計算をしていたのです。この辺りに藤田田の計算高さや冷静な賢さが垣間見えますね。

ユダヤ人との出会いで考え方が変わる

藤田田は東京大学に在籍しながら通訳の仕事をしていると、ウィルキンソンという一人のユダヤ人軍曹と出会い、そこから人生が大きく変わっていきます。

機転が利く藤田田はそのユダヤ人軍曹に気に入られ、商売のコツを教わりますが、それ以上に大きなことを教わりました。それは、「ユダヤ商法」です。

ユダヤ人軍曹は兵隊の位が下士官以下であり、周囲からも「Jew(ユダヤ人の蔑称)」と軽蔑されていたにも関わらず、将校よりもいい服を着て、いい車に乗り、下北沢に豪邸を持ち、美人の女性まで囲っていたことに藤田田は驚きました。

不思議に思った藤田田は別の兵隊にその理由を尋ねると、「あいつはズルい金融業者のJewだから金があるんだ」と眉をひそめます。

こうして藤田田はユダヤ人と深く関わることで「ユダヤ商法」を学び、東大在籍中の24歳の時に輸入雑貨販売店「藤田商店」を設立しました。

藤田田によって成功した日本マクドナルド

藤田田が日本に取り入れて成功させた日本マクドナルドですが、アメリカのマクドナルドを創業したユダヤ人のレイ・クロックは日本ではマクドナルドは成功しないと考えていました。

レイ・クロックは日本のことを「魚と米の食文化の国だからハンバーガー・ビジネスはうまくいかないだろう」と考えていたのです。だからこそ、日本でマクドナルドを成功させるには卓越した経営センスを持つ人材が必要だと考えていました。

300社近い食品会社などがエリアフランチャイジーの申し出をしてきたが全て断ってきたレイ・クロックですが、藤田田と出会うとその才能やセンスを見抜き、藤田田なら成功できると確信したのです。

自分のやり方を貫いた藤田田

レイ・クロックは藤田田にマクドナルドを日本で広めてほしいと薦めますが、藤田田は条件をつけました。それは「合弁会社日本マクドナルドの資本金は50:50で、アメリカの助言は受け入れるが命令は受けない」というものです。

さらに、一般的には5%のロイヤリティをアメリカのマクドナルドに支払いますが、藤田田は「5%もロイヤリティを払うと利益をあげられない」と反対し、2%のロイヤリティにさせました。

レイ・クロックはこれら条件を呑み、藤田田による日本マクドナルドが始まったのです。

日本マクドナルドを成功させる

日本マクドナルドが成功したのは、藤田田による日本人好みのアレンジを加えたことが大きな要因となっています。

藤田田は藤田商店で輸入ビジネスをしていたときには、高給アクセサリーや医療ブランドなどをそのまま売ることはせず、日本人に好まれるようにアレンジしていました。そして、マクドナルドでも同じ手法を取り入れてます。

例えば、アメリカでは「McDonald’s」を「マクダーナルズ」と発音していましたが、これでは日本人が発音しにくいため「マクドナルド」に変えたことが挙げられます。

アメリカを連想させるものは置かない

また、三越銀座店の一角にマクドナルドをオープンした際も、店舗には星条旗などアメリカをイメージさせるようなものは排除しました。

その理由を、藤田田は「日本人はアメリカ文化に憧れてはいるが、太平洋戦争によって多数の日本人が犠牲になった。だから本質的には反米でもあるからアメリカをイメージさせるようなものは置くべきではない」と語っています。

藤田田の人物像がわかる逸話・エピソード

ここまで見てきたように、藤田田はかなりのやり手であり日本マクドナルドや日本トイザらスを成功させるなどの数々の功績を残しています。

ここではそんな藤田田の人物像がわかる下記の逸話・エピソードを見ていきましょう。

  • タクシー運転手と必ず会話をする
  • 必ずメモをとるメモ魔だった

それでは1つずつ解説していきます。

タクシー運転手と必ず会話をする

藤田田はタクシーに乗車する際は必ず運転手とコミュニケーションをとりました。当時、タクシードライバーにとってビジネスパーソンは「上客」。ほとんどが会社のお金で乗車しており、社長や部長などになると平均単価の数倍の運賃を支払うこともあります。

、藤田田は、それを利用して、情報収集をしていたのです。不特定多数の乗客を乗せるタクシーだからこそ、ライバル企業や政策に関する重要な情報を手に入れられる可能性がありました。

また、藤田田は後に、「人に溶け込む能力も身につけられる」と語っています。

必ずメモをとるメモ魔だった

昨今では「メモ」に関するビジネス書がベストセラーになるなど、ビジネスにおいてメモを取る重要性が見直されつつあります。

しかし、藤田田は幼少期からメモを取るのがクセであり、見聞きした情報はとにかくメモに記録していたのです。

そんな藤田田が、「メモ魔」になったきっかけが上記でも解説したユダヤ人軍曹との出会いでした。そのユダヤ人は副業として金融業をしており、上官にもお金を貸していたため彼には頭が上がらなかったといいます。

そんな光景を見てユダヤ商法とお金の力に魅了された藤田田ですが、もう一つ魅了されたのがユダヤ人が行っていたメモの習慣でした。

ユダヤ人からメモ術を学んだ

ユダヤ人は交渉や商談の際には、必ずメモを取る習慣があります。

その理由は、金額や日時といった重要な情報が不明瞭にならないように記録するためです。こうした習慣がユダヤ人の的確な判断につながっていました。

しかし、ユダヤ人はメモ帳らしいメモ帳を持ち歩いていたわけではありません。紙切れやタバコの空箱などにササッとなぐり書きでメモをするのです。

スマホの録音機能を使ったり、あからさまにメモ帳を開いて記録すると相手に警戒心を与えますが、相手が見ていない間やトイレなどで素早くメモをとることで警戒されなくなります。その結果、腹を割った話し合いができるのです。

藤田田はマクドナルド本社にクビにされていた

実は、日本マクドナルドを成功に導いた藤田田は、アメリカのマクドナルド本社にクビにされていることをご存知でしょうか?

クビにされた背景には、1990年代以降のデフレ不況による日本マクドナルドの躍進がありました。円高と規制緩和によって、アメリカのマクドナルド本社からグローバル食材の輸入が安くできるようになったのです。

しかし、日本マクドナルドは成長したのに、なぜ藤田田がクビにされてしまったのでしょうか?

売り上げが上がれば競争が激しくなるため、いい人材を集めるためにも従業員の時給や給料を上げる必要があります。しかし、賃金を上げることにアメリカのマクドナルド本社が激怒したのです。

その結果、藤田田はマクドナルド本社にクビにされてしまいました。

営業利益を右肩上がりで急上昇させた原田泳幸氏

藤田田の後釜に据えられたのが、原田泳幸氏です。原田泳幸氏はアップルコンピュータ株式会社社長やベネッセホールディングス会長兼社長を歴任した、「プロ経営者」です。

日本アップルコンピュータ社から日本マクドナルド社に移ったため「マックからマックへの華麗なる転身」と話題を集めました。しかし、原田泳幸氏が日本アップルの社長を務めていた際は、とにかく製品が壊れたことで有名でした。

つまり、値段を据え置いて品質を下げることで利益を出すやり方をしていたため、アメリカのマクドナルド本社が抜擢したのです。こうしたやり方を日本マクドナルドでも行っていたため、日本マクドナルドの営業利益は急上昇しますが、店舗のサービスや品質がガタ落ちになってしまいました。

藤田田とは異なるやり方で利益を上げるも原田泳幸氏もクビに

原田泳幸氏の経営に変わってから、日本マクドナルドは急速に劣化していきました。

しかし、それでも利益を拡大できたのにはからくりがありました。原田泳幸氏は優良直営店であった郊外や住宅地の店舗を売却し、駅前や商業地に集約して中国人などの外国人アルバイトを増やしました。

郊外の店舗は常連相手となるため商品の品質やサービスが悪くなれば、他店に移ってしまいます。しかし、商業地であれば一見さんが相手なので、多少品質が劣ったとしても客はくるのです。

そして、客足が止まると利益が伸びなくなるため優良資産である直営店を売り払い、その売却益で「営業利益」を増やしていきました。しかし、こうした方法がアメリカ本社に疑問視された結果原田泳幸氏はクビになり、その後は女性のサラ・カサノバ氏がトップとなります。

藤田田と孫正義との意外な関係

ソフトバンクの創業者として有名な孫正義氏は、藤田田と意外な接点がありました。

孫正義氏は藤田田の著書「ユダヤの商法」を読んで感動し、16歳でアメリカに渡って藤田田にこれから何をするべきか助言を貰いに行ったのです。しかも藤田田とはなんの接点もなく、アポもとっていませんでした。

そして、なんとか藤田田と15分間の面談をこじつけた孫正義氏は、藤田田から「これからの時代はコンピューターだ」というアドバイスをもらいました。そして、「情報革命で人々を幸せに」という考えのもとにソフトバンクを創業し、成功したのです。

まとめ

ここまで藤田田の半生や人物像がわかる逸話・エピソードを見てきました。

藤田田はユダヤ人と出会ってお金の力強さを目の当たりにし、ユダヤ人の商法にのめりこんでいきました。そして、持ち前のセンスとユダヤ人から学んだビジネスを用いて、日本マクドナルドやトイザらスを成功させたのです。

また、今をときめく孫正義氏も藤田田からの影響を強く受けており、さまざまな経営者に多大な影響を与えていることがわかります。

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