2トップのアサヒとキリンだけでも、毎年4兆円を売り上げるビール産業。
しかし、その主力商品であるビールの消費量は、年々減少しています。[1][2][3][4][5]
このような状況から、ビール業界は大きな成長が難しくなっている「成熟市場」と言って良いでしょう。少子高齢化のなかでは、どうしてもマーケットの縮小が避けられない場合が少なくありません。
そして市場が「成熟」しているのは、決してビール業界だけではありません。
今の日本において、危機感を持っていない巨大市場のビジネスパーソンなどいません。少子高齢化と人口減少は歯止めがかからず、それに人手不足という難題が日本経済に追い討ちをかけているからです。
したがって、アサヒグループホールディングスの小路明善CEOとキリンホールディングスの磯崎功典社長が、この難局をどのように乗り切ろうとしているのかを知ることは、ビール業界はもとより他業界のビジネスパーソンにも有益なはずです。
両者のリーダーシップは、現在のリーダーにも将来のリーダーにもよい見本となるはずです。(役職は2019年6月現在)
目次
ビール業界の実態
アサヒグループホールディングスの2018年12月期の売上は2.1兆円で、前年比1.7%増でした。[4]一方、キリンホールディングスの2016年の売上高も2.1兆円で、ただこちらは前年比5.5%減でした。
ビール業界にはさらにサントリーとサッポロが加わるので、巨大市場であることは間違いありません。
日本経済新聞は2019年2月の「アサヒ・キリン、市場が問う国内ビール以外の収益源」と題した記事のなかで、両社の主力商品であるビール販売が低迷していることを伝えています。[1]また三井住友銀行は、2018年6月に公表した「国内酒類業界の動向」のなかで、アルコールの消費量が落ち込んでいることを報告しています。[2]成人1人当たりの酒類消費数量は、2006年は年間86.1リットルでしたが、2016年には80.9リットルへと6%減っています。これは飲酒量が少ない高齢者が増え、本来「もっと飲んでほしい」若年層がお酒を飲まなくなったからです。
発泡酒や新ジャンルを含むビール類は、日本のお酒の半数を占める「ドル箱」ですが、2005年以降14年連続で減少しています。[3]
つまりアルコール業界は今、次のような状態にあるわけです。
・アルコールを飲む人が減っている
・アルコール業界の主力商品であるビールが不調
市場が危機に瀕していても、主力製品に望みがあれば復活を期待できます。しかし今のアルコール業界は、主力のビールに元気がないのです。
ビール業界1位と2位の会社のトップは、どのようにこの難局を乗り切るのでしょうか。
アサヒのトップのリーダーシップ
アサヒのトップである小路CEOは退路を断って臨む姿勢を示しています。小路氏は2019年5月の日本経済新聞のインタビューで、業績が基準を下回ったら社長を解任するルールを導入したことを明かしました。[6] リーダー自らがリーダーを退く道をつくるリーダーシップとはどのようなものなのでしょうか。
権限を強化するために退路を断つ
小路氏がつくった、CEOを解任できる条件は次のとおりです。
・一定期間にわたって売上高、利益、自己資本利益率などが目標値を下回ったとき
・指名委員会でCEO解任の議論をして取締役会で決議する
極めてシンプルです。
本来、すべての企業トップがこのようなルールを持つべきだと考える人もいるかもしれません。なぜなら経営者は、普通の労働者がしている労働が免除され、経営に専念しているからです。そうならば、経営が傾けばいさぎよく退くべきだ、と考えるのは一考の余地がありそうです。
しかし、実際の多くの社長や創業者やCEOはアサヒのようなルールは定めません。それは、経営の好調と不調は、経営者の手腕だけでは決まらないからです。
例えば、日本のバブル崩壊のような未曾有の大不況や、リーマンショックのような100年に一度の経済事件が起きれば、どのような敏腕経営者でも業績を上げることは難しいでしょう。むしろ、会社をつぶさないだけで「あっぱれ」の評価がもらえるはずです。
企業のトップは、経営が傾いただけで退く必要はない、というのが常識です。
ではなぜ小路氏は、業績と連動する解任ルールをつくったのでしょうか。それは、自らの権限を強化するためでした。
アサヒにはこれまで会長と社長の2人の代表取締役がいました。それを2019年3月に、社長1人にしました。社長(CEO)とは小路氏のことです。
代表取締役が2人いればお互いにチェックし合えるので、ガバナンス(企業統治)が働きやすくなります。しかし代表取締役が1人しかいなくなれば、暴走の可能性を大きくしてしまいます。
そこで小路氏は、自ら「独走を抑える基準」[6]として、CEO解任ルールをつくったのです。この決断からは「ビール業界のこの窮地を脱するには、権限を集中させてスピード感ある経営をしなければならない。ただしこれに失敗したらいさぎよく退く。だからやらせてほしい」という魂の声が聞こえてきます。
船長の直感に頼らない
小路氏は現在のビール業界を、「立ち込める霧で10メートル先がみえない状態」と例えています。
そして今のアサヒに必要なのは、船長(社長)の直感ではなく、船首で目視をする見張り役の情報と気象情報だといいます。
小路氏は権限を集中しましたが、独裁制を敷いたわけではありませんし、まして暴走しようとはみじんも考えていません。むしろその逆のことをしました。
取締役の半分を入れ替え、新たに1)M&Aに強い人、2)人事政策に強い人、3)サプライチェーン(供給網)に強い人を登用しました。そして社外取締役に経営学専門の外国人の女性教授を採用しました。
実務チームを結成したのです。
学ぶべきリーダーシップとは
小路氏から学ぶべきリーダーシップは次の内容になるでしょう。
・リーダーは力を持つべき
・力が与えられなければ、力を得る方法を考える
・力を得る以上、失敗したらいさぎよく退却する
・独走しても、独裁も暴走もしない
この方針は、若いビジネスパーソンが小さなチームのリーダーを任されたときでも使えるでしょう。
キリンのトップのリーダーシップ
キリンはかつて、ビール業界の絶対王者でした。ところがアサヒのドライにビールトップの座を奪われてからは、シェアでも売上高でもアサヒに抜かれてしまいました。
キリンのトップである磯崎社長のリーダーシップは、切るときはバッサリ切る、です。
本業に貢献しないなら黒字でも切る
磯崎氏が社長に就任したのは2015年で、そのころキリンの株価は低迷していました。投資家がキリンにイエローカードを出していたのです。そして磯崎氏は当時の社長から「この会社には買収リスクがある」と言われました。さらに磯崎氏自身も、天候不順が起きるとすぐに赤字に転落する経営状態をみていて「何でこの会社はあるのか」と自問したそうです。[7] そして磯崎・新社長が行った最初のコストカットは、赤字続きだったブラジル子会社を黒字化して、それをオランダのビール大手ハイネケンに売却することでした。せっかく苦労して黒字化しましたが、マーケットシェアが小さく、仮に黒字額が大きくなってもキリンの屋台骨を支えるほどの存在にはならないと考えたからです。しかも黒字化したことで高く売ることができました。その資金があれば本業に投資できます。
身内にも容赦なし
もうひとつの非情な決断は、国内子会社の清涼飲料のキリンビバレッジの売却の検討でした。最終的には売却は思いとどまりましたが、磯崎氏は本気でした。米コカ・コーラと組んで清涼飲料事業を再編しようと考えていたのです。
キリンビバレッジはキリンの身内も同然です。ブラジル子会社を売却するのとは、まったくレベルが異なる話です。
なぜ磯崎氏が身内の売却を検討したかというと、キリンビバレッジの労働組合から賃上げを求められたからです。当時のキリンビバレッジは儲からない会社で、営業利益率は1.5%しかありませんでした。磯崎氏は労働組合の態度に「業績が悪くても、親会社のホールディングスが何とかしてくれるだろうという意識」を読み取り、賃上げ要求を突っぱねました。
そして社員に「キリンビバレッジが単体で再生を果たせないのであれば、他社と再編する」と伝えました。
磯崎氏の檄に、社員が奮起します。2018年には営業利益率が7.5%にまで回復し、見事「儲かる会社」に生まれ変わりました。
学ぶべきリーダーシップとは
磯崎氏から学ぶべきリーダーシップは、次のような内容になるでしょう。
・切るときは関係者が幸せになる道を探る
・切るときは「身内」だろうが躊躇しない
ブラジル子会社を黒字化させてから売った手腕は見事というよりないでしょう。買収した会社が儲からないから手放すことは、どの経営者もします。しかしそのやり方は、関係者を不幸にしますし、自社も損失を被ります。
黒字化してから売却すれば、ブラジル子会社の社員たちも喜びますし、購入したハイネケンもメリットを得ることができますし、キリン自身も高額のお金を手にすることができます。
そして磯崎氏は、キリンビバレッジの売却を本気で考えていたのではないでしょうか。もし本当に売却していたら、午後の紅茶やキリンレモンがコカ・コーラ製品になっていたかもしれません。それが実現していたら清涼飲料水業界の「大事件」になっていたはずです。
持ち株会社(ホールディングス)のトップとはいえ、そして最終的に売却を撤回したとはいえ、そこまで決断したことは相当勇気が要ったことでしょう。
この覚悟は、どのリーダーも、どのリーダー候補も身につけるべきでしょう。
成熟市場の難局を乗り切るヒント
2人に共通しているのは、覚悟を決めて、新しく創ろうとしていることです。
覚悟があるのは、ビール業界が傾いているからでしょう。14年連続で前年割を起こしていれば、覚悟を持つ人しかトップに就くことはできないはずです。
しかし2人とも、新しく創ろうとしています。リーダーに従う者たちは、リーダーが「明日」を示してくれるのであれば、今日の苦境を乗り越えようと思います。しかしリーダーが守りに入ったり、あきらめている素振りがみえたりしたら、「この泥舟からいつ降りようか」と考えるようになるでしょう。
覚悟と創造は、難局を迎えている成熟市場をもう一度再生させようとしているすべてのリーダーにとってのキーワードとなるはずです。
総括~苦境時のリーダーこそ真の師
よいリーダーシップの教科書は、リーダーの行動です。
そして最良のリーダーシップの教科書は、苦境に立たされたチームのリーダーの行動です。
アサヒとキリンのリーダーの行動からは、苦境のビール産業をまったくあきらめていないことが伝わります。しかし彼らは、現在の苦境が単なる苦境でなく、致命傷になりかねないことも承知していて、それも2人の行動と決断から読み取れます。
ビジネスパーソンはいつ苦境に立たされるかわかりません。リーダーになれば、それを乗り越える策と覚悟が求められます。この2人の行動と考え方は、リーダーとリーダーを目指す人の参考になるはずです。
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[1]アサヒ・キリン、市場が問う国内ビール以外の収益源
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO41200290T10C19A2000000/
[2]国内酒類業界の動向
https://www.smbc.co.jp/hojin/report/investigationlecture/resources/pdf/3_00_CRSDReport065.pdf
[3]ビール系市場、14年連続縮小へ
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO38864080S8A211C1TJ2000/
[4]アサヒグループホールディングス株式会社2018年12月期決算短信
https://www.asahigroup-holdings.com/ir/pdf/kessan/190214/2018_tanshin.pdf
[5]キリンホールディングス業績ハイライト
https://www.kirinholdings.co.jp/irinfo/finance/highlight_jgaap.html
[6]自らの独走抑え、透明性確保 アサヒグループホールディングス 小路明善社長兼CEO(下)
https://r.nikkei.com/article/DGKKZO45155720T20C19A5EAC000?unlock=1&s=1
[7]キリンホールディングス社長が語る改革の要諦
https://business.nikkei.com/atcl/NBD/19/00119/00013/?P=1