リクルートの創業者である江副浩正氏は、俗にいう「リクルート事件」によって大きく社会的評価を失ってしまいましたが、彼がつくり上げたリクルート自体の価値は、今日まで失われていません。
その組織力の源泉である江副浩正氏のDNA、マネージメントとはどのようなものであったか、探っていきましょう。
目次
江副浩正とは
江副浩正氏は1936年、父親が教師をしていた一般的な家庭に生まれました。
東京大学へ進学後、在学中にリクルートの前身である大学広告を立ち上げます。
当時、日本では「会社側が一方的に学生を集める」という考えが当たり前でしたが、江副氏はアメリカにおける就職活動の状況にインスピレーションを受け、「学生側も会社を選ぶ」という求人におけるパラダイムシフトを起こしたのです。
以降、様々なマーケットで需要と供給を結び付ける媒体事業をとてつもないスピードで展開していき、進出したどのマーケットにおいても先駆者としてのポジションを確立。
そして、創業から60年余り経った今日、グループの持ち株会社であるリクルートホールディングスは約5万人の従業員を抱える大手企業へと成長したのです。
「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」
私は、この言葉を知らない人はビジネスマンではないと思ってしまうほど、強烈なコピーだと感じています。
まさに、江副氏のDNAであり、リクルートのDNAです。
この言葉は、江副氏が高校の漢文の授業で出会って以来人生の指針にしていたという『易経』の「窮すれば変じ、変ずれば通じ、通ずれば久し」をより積極的にしたものだといいます。
リクルートのマネージャーの口癖の一つとして、「あなたはどうしたいの」という部下への投げかけがあります。
これは、市場に対する一人の当事者として、すべては自分次第であるという認識を部下に持たせるためのコミュニケーションであり、リクルートではそれが仕組み化されていたことがわかります。
健全な赤字事業を持つ
「いまの事業の高収益はいつまでも続かない。いつも新しい事業の立ち上げを続け、永遠の繁栄を指向する」
「新規事業の立ち上げはボトムアップ、赤字事業からの撤退はトップダウンの決断によって行うべきである」
リクルートは、現場主義や全員経営を志向していたように思われる方も多いですが、組織の存続をかけた部分では、やはりトップの意志決定が重要であるという江副氏の考えを読み取ることができます。
ナンバーワン主義
「後発企業のよいところを真似することは恥ずかしいなどと思わず進んで取り入れ、協調的競争を行っていき、ナンバーワンであり続ける。『同業競争に敗れて二位になることは、われわれにとっての死である』をモットーとした」
リクルートの社員に求められていることは常に独創的なアイディアと突出した成果であることがわかります。
ここまでの江副氏の言葉を見ても、リクルートの強さの理由は圧倒的な当事者意識だと分かるでしょう。これこそが、リクルートが数万人という規模になってからも組織力を維持し続け、各種の事業領域で上位にいられる秘訣です。
唯一の失敗
江副浩正氏が日本の著名な経営者たちに届かなかった大きな原因は「リクルート事件」でしょう。
この事件の事実がどうであったかはさておき、社会的な評価を下げてしまう結果となったことは確かです。江副浩正氏自身の評価に付いて回ることとなってしまったことは残念でなりません。
考え方を同じにする
江副浩正氏が根幹においていたもののなかで最も重要な考え方は「考え方を同じにする」という点にあったと思います。これは考え方を同じにしようと思ったことのある経営者なら、誰でもその難しさが分かるはずです。
リクルートの社員の考え方が同じである一つの例として、皆が同じ言葉を遣います。先にも述べましたが、「あなたはどうしたいの」や「サマる」など、リクルート社内でのみ通用する言葉です。
「サマる」というのは「要約すると」という意味で、英語で要約を意味するサマリーを動詞のように用いたものです。
これは一般的に「結論から言うと」と似た意味です。こうした社員同士のちょっとしたコミュニケーションのなかにも考え方を同じにするための仕組みがあります。
これは、市場に対して何か新しいものを普及させるために、一貫性のある仕組みの存在が重要であるという考え方が、リクルートの根底にあるのでしょう。
考え方やサービスを0から1に向けて創り出し、普及させるという江副浩正式、リクルート式の戦略が今日まで存続し続けているのは、江副浩正氏の素晴らしきDNAの産物であると言わざるを得ません。
参考:江副浩正『リクルートのDNA――起業家精神とは何か』(角川書店 2007年)