- 「一点集中とは『ノー』と言うことだ」
- 「なにをしないのか決めるのは、なにをするのか決めるのと同じくらい大事だ。会社についてもそうだし、製品についてもそうだ。」
- 「革新的なつながりを見つけるためには、ほかの誰とも違う経験の組み合わせをもつべきだ」
これらはスティーブ・ジョブズの言葉です。
スティーブ・ジョブズはこれまでありとあらゆるメディアで語り尽くされてきましたが、それでもまだ私たちの心を捉えて離さない不思議な魅力がある人物ではないでしょうか。革新的なデバイスを生み出し、文字通り世界を変えたと言っても過言ではありません。
本記事ではそんなスティーブ・ジョブズについてその生涯や、成功の秘密を改めて解説していきます。
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スティーブ・ジョブズとは?
スティーブ・ジョブズの本名は「スティーブン・ポール・ジョブズ」と言い、1955年にアメリカで生まれ、2011年10月5日に56歳で亡くなっています。
Appleやピクサー・アニメーション・スタジオを創業した起業家であり実業家でもあり、そして工業デザイナーでもあります。
30歳以下でビリオネアになったスティーブ・ジョブズ
スティーブ・ジョブズは30歳以下でビリオネアとなった数少ないアメリカ人のうちの一人に選出されています。ビリオネアとは「超富裕層」のことで、保有する金融資産(不動産を除く)が10億円以上と定義されています。
アメリカの経済誌「フォーブス誌」は1982年に初めてアメリカの億万長者400人を発表し、そのときに当時27歳だったスティーブ・ジョブズを特集しました。
それから30年以上の時が経っていますが、30歳以下で相続などではなく自分の力で財産を築いてビリオネアになった人はスティーブ・ジョブズ含めてたったの8人しかいません。
そしてこの8人のなかには、巨大IT企業4社「GAFA」の一角を担うFacebookの創業者であるマーク・ザッカーバーグ氏も含まれています。
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1955年、シリア人の父とアメリカ人の母との間にサンフランシスコでスティーブ・ジョブズは生まれました。しかしジョブズは生まれてすぐにアメリカ人家庭に養子に出されています。
このこともあり、ジョブズは幼少期から「自分は何者なのか」という葛藤があったそうです。
6歳になったジョブズは好奇心旺盛でヘアピンが電気を通すのかを知りたかったため、コンセントに刺して感電することもありました。
また、イタズラが大好きで親の部屋に盗聴器を仕掛けたり、小学校では授業中に花火をするなど世話の焼ける少年でした。
その後、4年生になったジョブズは知能検査を受けると、並外れた知能を持っていることがわかり1年飛び級してクリッテンデン中学に入ることになったのです。しかし、飛び級したジョブズはクラスに馴染むことができずにいじめられるようになりました。
そこで、家族は引っ越して別の中学校に転校させたのです。
Appleの共同創業者となるスティーブ・ウォズニアックと出会う
1971年、16歳になったジョブズは友人の紹介で、後にAppleの共同創業者となるスティーブ・ウォズニアックと出会い、すぐに意気投合します。
2人はウォズニアックに母親から「エスクァイア」という雑誌をもらい、そこに載っていた不正に無料で長距離電話ができる装置である「ブルーボックス」の記事を読んだ2人は、この装置を自作してしまいます。
この装置を学生に対して1台150ドル(およそ17,000円)で売り、最終的に200台ほど売れましたが、銃で脅されて装置を奪われたため2人は装置を売ることをやめたそうです。
後にジョブズはこの経験がなければアップル・コンピュータを創業することは確実になかったと語っています。
高額な学費の私立大学に入るも半年で退学
翌年、ジョブズはオレゴン州ポートランドのリード大学に入学します。学費が高額な私立大学で親の金銭的な負担は大きかったものの、ジョブズはリード大学以外には入らないと断言していました。
しかし、ジョブズは「価値を見いだせず、両親の貴重な学費を価値のない教育に使いたくなかった」としてわずか半年で退学しています。
しかし、退学したあともリード大学内を歩き周り、哲学やカリグラフィーといった関心がある講義にだけ潜り込んで大学生活を過ごしていました。
アップル・コンピュータを創設
そしてついに1976年にスティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックは、2人でアップル・コンピュータを創設します。アップル・コンピュータの最初の製品「Apple Ⅰ」は購入者がケースやキーボードを付け足さなければなりませんでした。
しかし、AppleⅠを元にした翌年の製品「Apple Ⅱ」は、Appleが初めて成功した一般消費者向けのコンピューターで、使いやすさにこだわってつくられた製品でした。
さらに1980年、当時25歳ごろだったジョブズはすでに1億ドル以上を稼いでいましたが、ジョブズはあまりお金に執着していなかったと言われています。実際、彼は「金銭的成功は重要でない。私はお金のためにやっていたわけではないから」と語っています。
「Apple」の社名やロゴマークの由来
Appleといえば象徴的なリンゴのロゴマークですよね。しかし、なぜ社名が「Apple」で、ロゴのリンゴがかじられているのかご存知でしょうか?
当時、スティーブ・ジョブズは果実のみを食べる果実食主義だったことと、リンゴ農園から帰ってきた直後だったこともあり「アップル」という名前を思いつきました。そして「アップル」という名前が「楽しげで、元気がよく、威圧感もない」というのが社名に決めた理由です。
また、当時在籍していたアタリ社よりも電話帳で先に表記されることも理由の一つでした。
リンゴのロゴがかじられている理由は「かじる(bite)」とコンピューターが扱うデータ量の単位である「バイト(byte)」にかけていることや、トマトに見えないように、という理由があるとされています。
しかし、スティーブ・ウォズニアックは真意はわからないとしたうえで「ジョブズは音楽が好きだったのでアップル・レコードから名前をとったのかもしれない」と語っています。
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このようにしてスティーブ・ジョブズはAppleを創業し、後にiPhoneやiPadなどの革新的なデバイスを世に送り出していきました。
しかし、2011年には56歳で亡くなってしまいます。死因はすい臓がんでしたが、早期発見ができれば回復する見込みがありました。しかしジョブズは診断を受けてから9ヶ月も手術を拒否していたのです。
なぜ、ジョブズはすぐに手術を受けなかったのでしょうか?
すい臓がんの発見
2003年、スティーブ・ジョブズがすい臓がんと診断されてから、ジョブズは表舞台から姿を消しました。
完治が可能な珍しいタイプのすい臓がんであったため、早期に手術を受けていれば回復する可能性も高かったのですが、ジョブズは診断を受けてから9ヶ月間、手術を拒み続けたのです。
その結果、肝臓への転移などがんの悪化につながり、取り返しのつかない状態になってしまいました。
手術を拒んだ理由
スティーブ・ジョブズは「自分の体を切開されたくない」として手術を拒んでいました。また、大学中退後にはインドへ旅に行ったり瞑想や禅といった東洋思想に影響を受けていたのです。
これにより、西洋的な外科手術や現代医療に疑問を抱いており、ジョブズはマクロビオティックやスピリチュアリストに会いに行くことでガンを克服しようとしていました。
しかし、妻や周囲の人間に説得され、2度の手術を受けていますが2011年にすい臓がんが再発し、亡くなってしまいました。晩年には民間療法に頼ったこと、もっと早く手術を受けなかったことを後悔していたようです。
スティーブ・ジョブズが成功した秘密とは
アメリカ元大統領のバラク・オバマ氏はスティーブ・ジョブズについて「アメリカのイノベーターのなかで最も偉大な一人であった」と評しており、Google創業者のラリー・ペイジは「彼はとてつもない業績と驚くべき輝きを持つ偉人であった」と評しています。
スティーブ・ジョブズはなぜこれほどまでに成功することができたのでしょうか? ここではジョブズが成功した秘密について見ていきましょう。
- ユーザーエクスペリエンスを徹底的に追求する
- 幅広い経験と深い経験を組み合わせる
- 好奇心が強く、同調せず、反抗的である
- 無駄な会議をしない
それでは1つずつ解説していきます。
ユーザーエクスペリエンスを徹底的に追求する
Google創業者のラリー・ペイジはスティーブ・ジョブズについて「彼のユーザーエクスペリエンスへの関心はいつも他の人より高く、常に私にインスピレーションを与えてくれる存在であった」と語っています。
ユーザーエクスペリエンスとは直訳すると「ユーザー体験」となり、ユーザーが製品やサービスを利用した際に得られる体験や感情の総称を指しています。
スティーブ・ジョブズは製品づくりの際には常に「テキサスのおばさんでも簡単に使える機械」を目指していました。この考えをもとにデバイスから物理的なボタンを無くす「タッチパネル」という方式が採用されたのです。
つまり、「タッチパネルという技術を開発したからiPhoneをつくった」のではなく、ユーザーエクスペリエンスが最も良くなるように考えて、タッチパネルを採用したのです。
幅広い経験と深い経験を組み合わせる
スティーブ・ジョブズは「革新的なつながりを見つけるためには、ほかの誰とも違う経験の組み合わせをもつべきだ」と語っています。
ジョブズのこの考えは科学的にも立証されています。1901年から2005年までのノーベル賞を受賞した科学者と一般的な科学者を比べた研究では、どちらの科学者もその分野において高度な専門性を持っていました。
しかし、ノーベル賞受賞者は一般的な科学者よりも芸術にたずさわる割合が、並外れて高かったのです。
また、起業家や特許の申請に貢献した人は、一般的な人よりも絵画や建築、スケッチ、彫刻、文学などを趣味にしている確率が高いこともわかっています。
つまり、創造性を発揮するには「幅広い経験」と「深い経験」が組み合わさる必要があるのです。
好奇心が強く、同調せず、反抗的である
スティーブ・ジョブズは、アメリカ建国の父であるベンジャミン・フランクリンや、アルベルト・アインシュタインなどの歴史的な偉人や成功者と同じ特徴を持っていました。
これらの人物は想像力や強い情熱を持っていますが、それ以外に3つの共通点があります。
それが、
- 好奇心が強いこと
- 周囲に同調しないこと
- 反抗的であること
というものです。これらは日本社会においては一般的には疎まれたり忌避される性質ではないでしょうか? しかし、並外れた成功を収めたり偉業を成し遂げる人には、このような性質が備わっているのです。
なぜなら、このような人たちは地位や権力に興味がなく、素直だからです。そして、リスクを恐れず行動し続けます。
無駄な会議をしない
スティーブ・ジョブズは会議をする際に、会議に出席している正当な理由を本人が挙げられない場合、その人を追い出したといわれています。
つまり、会議をする際には絶対に必要な人だけですることを徹底していたのです。あなたの会社では何も発言しない傍観者や、「とりあえず呼んでおこう」といったような人が会議に参加していませんか?
スティーブ・ジョブズは会議を行う際は必要最低限の人数で行い、より洗練された会議にすることを意識していました。
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スティーブ・ジョブズは数々の名言を残しています。
そこで、ここではジョブズの名言を見ていきましょう。
クリエイティビティのカギ
稀代の芸術家、パブロ・ピカソは「優れた芸術家は模倣し、偉大な芸術家は盗む」と言ったとされています。
そして、スティーブ・ジョブズは1994年のインタビューの際にクリエイティビティのカギは、「人類が成し遂げてきた最高のものにふれ、それを自分の課題に取り込むこと」だと答えています。
奇しくも2人の天才は、本質的に同じことを言っていたのです。
Think Different
スティーブ・ジョブズの実の父親はシリア人でしたが、ジョブズが生まれてすぐにアメリカ人家庭の養子に出されました。このような境遇に育ったジョブズは「自分は何者なのか」という葛藤があったのです。
その葛藤の結果ジョブズが導き出した結論は「自分は他人と違っていてもよい。むしろそれが新しいものを生み、世の中を変えることにつながる」というものでした。
そして、この思想を表現したものが「Think Different」という1997年のAppleの有名なテレビCMです。
まとめ
ここまでスティーブ・ジョブズの生涯や成功の秘密を見てきました。
スティーブ・ジョブズについてはさまざまなメディアやコンテンツで語られていますが、それでもなお私たちを惹きつける強い魅力があります。
そして、日本企業が学ぶべきポイントはまだまだあるといえるでしょう。Appleやスティーブ・ジョブズの哲学に触れることで様々なヒントを得てみてはいかがでしょうか。
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