「カンブリア宮殿」というテレビ東京の人気番組をご存知だろうか。
世間で話題となっている会社やサービスの仕掛け人、経営者などを特集し、その知見を視聴者にシェアする番組である。
放送作家が作ったようなストーリー色が余り感じられず、経営者の肉声が感じられる構成になっているので、マネジメント層にも人気がある。
1月17日の放送で登場したのは茨城県に本社のある小さなコーヒーショップ「サザコーヒー」。
創業者で会長の鈴木誉志男氏と、息子で副社長の太郎氏を中心に話が進む展開だが、実はこの会社。
誉志男氏の創業以来の想いで、地元密着で茨城から出ないことを頑なに守り通してきた。
ところが太郎氏が副社長になると、会長の反対を押し切って突如東京に進出し、東京駅丸の内北口正面というとんでもない場所にお店を構えるという大きな賭けに出た。
丸の内のお店では、1杯3000円の超高級コーヒーもおいているという。
ちなみに社長職にあるのは、会長の妻であり副社長の母親である女性。
会長が息子と対立し、東京進出に反対していた様子を見かねて
「あんただって好き勝手やったくせに、これからは息子に任せなさい!」
と、世代交代を促し太郎氏に全権を委ねたそうだ。
ここでMCの村上龍氏が、太郎氏に質問をする。
「副社長はなぜ、会長と対立してまで東京に出たかったのか」
それに対する太郎氏の答えは、
「地元でやれば、結局最後はどんな仕事も、いつの間にかオヤジの手柄になるんです」
「しかも失敗した時だけ自分の責任になり、『これだから2代目は』と言われます」
「これはフェアじゃない。だから地元を離れて東京で勝負をしたかった」
というものだった。
*
仕事の手柄を正当に評価されないことで、組織に不満を感じるビジネスパーソンは少なくない。
しかしそれは決して雇われビジネスパーソンだけでなく、次に経営トップになることが確実な立場でも、同様に心を支配する動機になりえるということだ。
ところで、心理学の考え方の一つに「マズローの欲求5段階説」というものがあることを知る人は多いだろう。
古臭い概念という批判も多く聞かれる一方、その有用性を支持する意見も根強い、20世紀を代表する心理学の考え方の一つだ。
ざっとまとめると、人の欲求は5つの段階で区分され、以下のように満たされようとすると考える。
・生理的欲求
人間が最初に持つ、本能的欲求を指す。
食欲、睡眠欲、性欲と言ったもので、人が最初に満たされることを望む根源的欲求がこれにあたる。
・安全の欲求
飢えや渇きを満たすことができると、人が次に満たそうとするもの。
森や砂漠で遭難したことを想定すると、最初に食料になりそうなものを探し飲料水の確保を考えるが、次は野生生物の攻撃などを恐れ、その対策を講じる段階などがこれにあたる。
・社会的欲求
所属と愛の欲求とも言われ、人は安全の欲求を満たされると仲間やコミュニティを求め、あるいは組織の一員になり孤独な状態から解放されたいと願う欲求がこれにあたる。
いくら空腹が満たされ安全が確保されても、「人は一人では生きていけない」と考える段階を指す。
・承認の欲求
承認欲求、あるいは尊厳欲求とも言われるが、「承認欲求」という名前だけが妙に有名で、頻繁に使われる事が多い。
この承認の欲求には2種類あり、一つは良く言われるところの誰かから認められたいという欲求。
もう一つは自分で自分を肯定的に捉えたいという欲求であり、その2つを指す。
・自己実現の欲求
人の承認や評価などは気にせず、自分の能力を使い切り、自分の想いを実現することに全てが向いている段階にある欲求だ。
これら段階は、一般に上から記述した順番に欲求が進んでいくことが多いとされるが、中には貧乏であっても孤独であっても、「承認」を求めるなど、必ずしもその順番は固定されない。
しかしこの考え方。
人によって
「何のために仕事をしているか」
という分類のためのカテゴリ分けと考えれば、非常にスッキリするように思われないだろうか。
例えば、以下のような動機別の分類だ。
生理的欲求……日銭を稼いで飢えや渇きを満たす、という動機で働く人たち
安全の欲求……働かないと生きていけないという恐怖を感じながら働く人たち
社会的欲求……人は働いてあたり前という価値観や義務感で働く人たち
承認の欲求……誰かに認められることにやりがいを感じ、やる気に満ちて働く人たち
自己実現の欲求……経営トップの動機
もちろん、これは個人ごとにきれいに分かれることがなく、それぞれの境界で行ったり来たりするのが普通だろう。
だが、多くの人は多かれ少なかれ、上のどれかの欲求を充足させるため、働く。
ところが、上の欲求の中で、自己実現の欲求だけは異質だ、と感じないだろうか?
生理的欲求から承認の欲求までは、ある意味誰もが持ち得る欲求であるが、
「自己実現」に関してはそうではない。
他人にコントロールされる環境下で働いていては、なかなか自己実現の欲求など生まれないし、生まれたところで実現はかなり困難だからだ。
人の会社で働くということはそういうことであり、自分の想いに制限を受けるという意味に等しい。
例外的には、独立し自分の想いを実現するための資金を貯めるために働く人などであるが、このような人は既にマインドは経営トップである。
よく「社長の考えていることがさっぱりわからない」というベンチャー・スタートアップの社員がいるが、それは、自己実現に向けて突っ走る「経営トップ」の働く動機は、従業員には理解し得ないものとなり、そこには断絶が生まれるからだ。
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◆働く目的の違いを理解しないと、いつまで経っても組織は育たない
私が知る限り、勢いのあるベンチャー企業の経営トップは、多くの場合相当、組織から浮いている。
仕事があるのにそれを放置して遊び、また家に帰って寝るようなことは当然しない。
仕事とプライベートの区別はなく、解決困難な課題に取り組みだしたら、昼夜問わず働き詰めの経営トップも数多い。
そして、それに巻き込まれる幹部や社員の「うんざり」も同様に、ベンチャー企業あるあると言ってよいだろう。
そして経営トップたちは多くの場合、それにストレスを感じる。
「経営幹部や社員たちの働くマインドは、なぜこんなに低いんだ」
「なぜ仕事があるのに定時で帰れるんだ」
「アイツラには仕事に対する、責任感や情熱は無いのか」と。
しかしそのストレスからは、永遠に解放されることはない。
あたり前だ。
なぜなら「自己実現」に突っ走る経営トップとそれ以外の幹部や社員とは、働く動機が根本的に違うからである。
飢えや渇きを満たす目的で働く人、働かないと生きていけないという恐怖で働く人にとって仕事とは、時間を売って対価を得る行為以外の何ものでもない。
会社(=経営トップ)の想いを実現することになど、毛先ほども興味はないだろう。
組織に所属することが目的のビジネスパーソンも、同様である。
わずかに、自分の所属する組織に対する愛着や思い入れで献身的に働くというモチベーションが刺激されるかも知れないが、それでも深夜まで会議を引っ張られたら、確実に怒りが先立つ。
そもそも、そこまでしても見返りは限られている。
そんな状態が続けばやがて愛着が憎悪に変わり、「辞めたい」と言い出すのは働く動機からも、時間の問題だろう。
働く意識が高く、承認の欲求段階にある社員であっても同様だ。
残念ながら多くの場合、ベンチャー企業の経営トップは理不尽大王であり、よほどのことがない限り幹部や社員の働きぶりに満足などしない。
当然、「部下にあふれるほどの承認を与える経営者」など、超レアである。
必然的に、経営トップは組織から浮き、経営トップとそれ以外の幹部社員との溝は広がり続ける。
*
実は、これらを逆手に取れば、経営トップは、社員一律に熱い想いで経営を語り、将来性を語るよりも、「地位を約束する」「高く評価する」など、個別の欲求にアプローチするほうが、遥かに効果的に社員たちをマネジメントすることが可能だ。
例えば、冒頭にご紹介したサザコーヒー副社長の太郎氏は、主として承認の欲求に基づいて仕事をしており、社長の母親はそれをまず叶えようとした。
社長の面目躍如たる、立派なマネジメントである。
おそらく、二代目の太郎氏は、その母親の決断を忘れることはないだろう。
彼は今後、創業経営者のように「自己実現の欲求」だけで突っ走ってきたようなガチガチのベンチャー企業経営者と異なり、それ以前の欲求の段階にある社員の意識が肌感覚で理解できるはずだ。
もちろん、個人の承認欲求に走りすぎれば、会社はたちまちおかしな方向に転がりだすだろうが、より多くの従業員をマネジメントする、という意味では、「現場の気持ちがわかる」マネジメントができるはずである。
組織は、自己実現に突っ走り、スーパーよく働く「創業社長」だけの論理では動かない。
二代目社長ですら、承認を求めている。
このように「マズローの欲求5段階説」はもはや経営学では古典ではあるが、なかなかどうして、あなどれないのである。
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