雇用契約書は、企業と従業員との間で働く条件を明確にする重要な書類です。
しかし、その重要性を知りつつも雇用契約書の内容を十分に精査せず、形だけ整えているケースも少なくありません。
不備や未整備は、労務トラブルや企業の信用低下につながるリスクがあります。
本記事では、経営層やマネジメント職の方が押さえるべき雇用契約書の基本から実務対応、リスク対策までをわかりやすく解説します。
目次
雇用契約書とは雇用条件を明確にするために取り交わす書類
企業が人材を採用する際、重要な書類のひとつが「雇用契約書」です。
これは、会社と従業員の間で、働く条件やルールを明確にし、双方の認識のズレやトラブルを未然に防ぐための法的な書類です。
労働条件を口頭で伝えるだけでは、万が一の際に証拠として残らず、企業にとって大きなリスクにつながる可能性があります。
そのため、雇用契約書で条件を明文化することが大切です。
雇用契約書の定義と役割
雇用契約書とは、企業と従業員の間で交わす労働条件を明文化した契約書です。
給与、労働時間、業務内容、勤務地、休日、退職に関する事項など、働く上での基本ルールを双方が合意し、書面で残すことが目的です。
多くの労働条件は労働基準法に基づき決められていますが、企業独自のルールや働き方も含まれるため、雇用契約書の内容は企業ごとに異なります。
また、万が一労働トラブルが発生した際、裁判や労働審判で重要な証拠となるため、曖昧な表現や不備は大きなリスクにつながります。
労働条件通知書との違い
雇用契約書と混同されやすい書類として、労働条件通知書があります。
」どちらも労働条件を明示するものですが、法的な位置づけや目的が異なります。
雇用契約書と労働条件通知書の違いについて、まとめました。
項目 | 雇用契約書 | 労働条件通知書 |
目的 | 双方の合意を明文化 | 企業からの労働条件の通知 |
署名・捺印 | 原則、企業・従業員双方が行う | 企業側からの一方的交付が一般的 |
法的効力 | 労働契約の証拠となる | 労働基準法第15条に基づく義務文書 |
実務では、労働条件通知書をそのまま雇用契約書として兼用するケースもあります。
ただし、特に管理職や専門職、正社員といった重要な人材の採用時は、双方の責任範囲や守秘義務なども含め、雇用契約書としてしっかり取り交わすことが望ましいと言えます
雇用契約書の法的根拠
雇用契約書の根拠となる主な法律は以下の通りです。
■ 労働基準法第15条
企業は、労働者を採用する際、労働条件のうち「賃金」「労働時間」「休日」など重要事項を書面で明示する義務があります。
これに違反すると、労働基準監督署からの是正指導や場合によっては罰則の対象になります。
■ 労働契約法
労働契約法では、労働契約の基本原則や変更手続き、無期転換ルールなど、雇用契約に関わるルールが定められています。
雇用契約書を作成する際も、この法律を前提に内容を設計することが重要です。
雇用契約書が必要な理由
雇用契約書の整備は、単なる法的義務の履行にとどまらず、企業経営におけるリスクマネジメントと組織の安定運営に直結します。
特に近年、労務トラブルの複雑化や働き方の多様化に伴い、雇用契約書の重要性はさらに高まっています。
厚生労働省の報告によると、2022年度の「個別労働紛争相談件数」は122万件を超えており、雇用契約書や労働条件の不備が背景にあるケースも。
ここでは、雇用契約書を適切に整備することで得られる具体的なメリットと、整備不足が招くリスクについて解説します。
労務リスクを未然に防止できる
雇用契約書がない、あるいは内容が曖昧な場合、労働条件を巡るトラブルが発生しやすくなります。
特に以下のようなケースは、企業にとって大きなリスクとなります。
■ 未払賃金・残業代請求
給与体系や労働時間が契約書で明確にされていない場合、退職後やトラブル時に未払賃金や残業代を請求されるリスクがあります。
裁判や労働審判では、企業側が適切な雇用契約書を提示できない場合、労働者側の主張が優先されるケースも少なくありません。
■ 解雇トラブル
業務内容や就業規則が不明確なまま解雇した場合、不当解雇として争われるリスクがあります。
近年は、解雇無効を主張する労働審判や訴訟が増加しており、企業側が法的根拠や書面を十分に整備していないと、敗訴や高額な和解金の支払いを余儀なくされることもあります。
従業員の安心感と企業の信頼性が向上する
雇用契約書は、従業員にとって働く条件が明確になる安心材料です。
曖昧な契約は、従業員の不信感や不安につながり、結果として離職やモチベーション低下を招きかねません。
適切な雇用契約書の整備は、以下のような効果が期待できます。
- 労働条件への納得感・安心感の醸成
- 定着率の向上・離職リスクの軽減
- 組織の信頼性・企業イメージの向上
特に優秀な人材の確保・定着には、制度や書面整備が重要な要素となります。
人材獲得競争が激化する中、雇用契約書の整備は企業の競争力強化にもつながります。
コンプライアンスと法令遵守の責任を果たせる
法令を遵守した雇用契約書の整備は、企業経営における最低限の責任であり、同時にコンプライアンス意識の表れでもあります。
もし労働基準監督署の調査で、雇用契約書や労働条件通知書に不備があると判断された場合、是正勧告や指導の対象となります。
悪質と判断された場合、企業名の公表や刑事罰が科されるケースも。
労働条件通知書の未交付や労働時間・休日・賃金の明示不備、試用期間や解雇規定の不適切記載などがあると、是正指導を受けることもあるでしょう。
是正指導は企業の社会的信用にも直結するため、経営層こそ雇用契約書整備の必要性を正しく認識することが求められます。
雇用契約書に記載すべき項目
雇用契約書は、企業の実情や採用する人材の役割に合わせ、必要な事項を漏れなく、かつ法令に則って明記することが求められます。
不備があれば、トラブルや法的リスクにつながるため、企業の経営層・人事担当者は記載項目を正確に把握しておく必要があります。
ここでは、雇用契約書に記載すべき基本項目と、企業の状況に応じて検討すべき追加項目を整理します。
労働基準法上、必ず記載すべき項目
労働基準法第15条および厚生労働省の指導に基づき、以下の事項は書面で明示する義務があります。
これらは、雇用契約書または労働条件通知書に記載しなければなりません。
項目 | 内容の具体例 |
労働契約の期間 | 有期・無期、契約期間、更新基準 |
就業の場所・業務内容 | 勤務地、具体的な職務内容 |
始業・終業時刻・休憩・休日・休暇・交代制の有無 | 所定労働時間、シフト制の有無、休日・休暇制度 |
賃金 | 基本給、各種手当、締日・支払日 |
退職に関する事項 | 自己都合退職・解雇の条件、退職手続き |
企業として積極的に明記すべき追加項目
法定の必須項目に加え、企業のリスク管理やトラブル防止の観点から、以下の項目も雇用契約書に盛り込むことが推奨されます。
■ 試用期間の有無・期間・待遇
採用直後の評価期間として試用期間を設ける場合、その有無、期間、試用期間中の待遇(給与、社会保険など)を明記しておくことで、その後のトラブルを防げます。
■ 転勤・配属変更の可能性
勤務地変更や配置転換の可能性について、事前に明示しておくと、従業員からの不当な異議申し立てを避けることができます。
■ 競業避止義務・秘密保持義務
特に機密情報やノウハウを扱う業務の場合、退職後の競業避止義務や在職中・退職後の秘密保持義務を明記することで、情報漏洩や人材流出のリスクを抑える効果があります。
■ 副業・兼業に関するルール
近年、副業を認める企業も増えていますが、トラブル防止のため、許可制か禁止か、許可基準などを明確に定めておくことが重要です。
雇用契約書作成時の注意点
雇用契約書は企業のリスク管理に欠かせない重要な書類ですが、作成や運用を誤ると、かえってトラブルの原因になることもあります。
以下のポイントをしっかり押さえ、信頼性の高い契約書の管理体制を整えることが大切です。
曖昧な表現を避け、具体的かつ明確に記載する
「適宜」「必要に応じて」などの曖昧な言葉は、解釈のズレを招きやすく、トラブルの原因になります。
労働条件や義務、権利についてはできるだけ具体的かつ数値を用いて明記し、双方が同じ理解を持てる内容にすることが不可欠です。
法改正や判例の動向を踏まえて定期的に見直しを実施する
労働関連法規は頻繁に改正されるため、一度作成した雇用契約書も定期的に法務や専門家と連携して見直す必要があります。
特に労働時間管理、裁量労働制、副業・兼業に関するルールは変更が多く、放置すると法令違反となるリスクがあります。
従業員へ十分な説明を行って同意を得る
契約書を一方的に交付するだけでなく、記載内容について従業員に丁寧に説明し、疑問点を解消したうえで署名・押印を得ることが重要です。
これにより、誤解や不信感を防ぎ、双方の信頼関係を築けます。
電子契約を活用する場合、法的要件を確認する
近年は電子契約システムの導入が進んでいます。
契約書の紛失防止、検索性向上、改ざん防止といったメリットがあり、経営層も積極的に検討すべきです。
もし、電子契約を利用する場合は法的要件を十分に満たしているか確認してください。
特殊な契約形態や個別の事情への対応が求められる
マネジメント職や高度専門職、パートタイム労働者、派遣社員など、雇用形態に応じた契約内容のカスタマイズが必要です。
また、在宅勤務やフレックスタイム制など新しい働き方に対応するため、追加条項の検討も欠かせません。
雇用契約書の種類と雇用形態別の違い
企業には、さまざまな雇用形態の従業員が働いています。
正社員、契約社員、パート・アルバイト、さらには派遣社員や業務委託など、それぞれの雇用形態に応じて雇用契約書の内容や運用にはポイントがあります。
正社員の場合
正社員は長期的な雇用を前提とするため、雇用契約書には安定した労働条件を示すことが求められます。
しかし、同時に長期雇用に伴うリスクも念頭に置く必要があります。
たとえば、定年や退職の条件、昇給・昇格の基準、懲戒処分の規定など、将来的なトラブルを防ぐために詳細かつ明確な規定を設けることが重要です。
また、就業規則との整合性も欠かせません。
契約社員・パート・アルバイトの場合
契約社員やパート・アルバイトは有期契約であることが多く、契約期間や更新条件の明示が必須です。
特に、契約期間の終了時に更新の有無や条件を明確にしておかないと、トラブルや無期転換申請に発展するケースがあります。
労働契約法第18条に定められた「無期転換ルール」では、有期契約の通算契約期間が5年を超える場合、労働者が申し込めば契約を無期に転換しなければなりません。
これを踏まえた契約管理が求められます。
派遣社員・業務委託の場合
派遣社員は派遣元企業と雇用契約を結び、派遣先で業務を行います。
雇用契約書には派遣元との契約内容が中心となり、派遣先との指揮命令関係や労働条件の違いに注意が必要です。一方、業務委託は労働者ではなく、基本的に契約による請負関係にあります。
労働者性の有無がトラブルの焦点となりやすいため、契約書には業務範囲、報酬、納期、成果物の定義などを明確にし、労働者とみなされないように注意しましょう。
雇用契約書の作成・締結フロー
企業が適正な雇用契約書を作成し、労働者と締結するプロセスは、経営層や人事・管理部門にとって重要な業務のひとつです。
適切なフローを確立することで、労使間のトラブルを未然に防ぎ、法令遵守を実現することができます。
作成から締結までの流れは以下の通りです。
- 労働条件の確定
- 給与、勤務時間、勤務地、業務内容、契約期間(有期契約の場合)などを明確に決定する
- 契約書の作成
- 社内の就業規則や労務管理ルールと整合性を確認。曖昧な表現は避け、具体的かつ明確な内容にする
- 労働者への説明と合意取得
- 作成した契約書の内容を丁寧に説明し、不明点や疑問点を解消する
- 契約書の交付と保管
- 労働者に契約書を必ず交付する。企業は原本または写しを適切に保管し、法律で定められた期間(通常3年以上)保持する
なお、近年では雇用契約書の締結に電子契約を活用する企業も増えています。
2020年の電子署名法改正により、電子署名が付された契約書は紙の契約書と同等の法的効力を持つことが明確になりました。
紙でのやり取りが不要になり、契約手続きの効率化や保管コストの削減につながります。
特に、リモートワークや多拠点展開が進む企業にとっては、電子契約の活用は実務負担の軽減にも有効です。
ただし、導入時には本人確認やセキュリティ対策を十分に行い、労働者側にも電子契約の仕組みを丁寧に説明することが大切です。
雇用契約書がない・不備がある場合のリスク
雇用契約書が未作成、または内容に不備がある状態で従業員を雇用することは、企業にとって重大なリスクを伴います。
法的トラブルだけでなく、企業の評判や信用にも影響するため、経営層やマネジメント層はリスクを正確に理解しておく必要があります。
法的なリスク
雇用契約書がない、または内容に不備がある場合、労働条件や業務内容を巡ってトラブルが発生しやすくなります。労働者と企業の主張が食い違うと、裁判や労働審判に発展することも珍しくありません。
その際、契約書の不備は企業側にとって大きなハンデとなり、労働者側の主張が認められる可能性が高まります。
労働基準監督署の調査で、雇用契約書の未交付や内容不備が発覚した場合、是正勧告を受けるリスクがあります。
是正勧告を軽視すると、書類送検や罰則といったさらに重い行政処分に発展する場合もあるため、注意が必要です。
企業イメージ毀損リスク
未払賃金請求や解雇を巡るトラブルが表面化すれば、企業の労務管理体制そのものが問われることになります。
こうした事態は、単なる金銭的損失だけでなく、従業員の士気低下や優秀な人材の流出といった間接的な悪影響も引き起こします。
また、こうした行政指導や労務トラブルは、SNSや口コミサイトを通じて瞬時に情報が広まり、企業のイメージを大きく損なう原因にもなります。
特に人材獲得競争が激しい現代においては、企業の評判が採用活動や取引先との関係にも直結するため、リスクは看過できません。
雇用契約書の整備は企業リスクを防ぐ第一歩
雇用契約書は、企業と従業員の間で信頼関係を築き、トラブルを未然に防ぐための基本ツールです。不備や曖昧な内容のまま放置すると、思わぬ法的リスクや信用失墜を招く可能性があります。
特に近年は、雇用形態の多様化や働き方の変化により、契約書の重要性はさらに高まっているのが現状です。
この機会に、自社の雇用契約書の内容や運用方法を見直し、必要であれば専門家のサポートも活用しながら、万全な体制を整備しましょう。