「切磋琢磨」という言葉は、仲間同士互いに励ましあって向上すること、あるいは互いに競争しながら、という意味合いで使われています。企業の採用活動でも「切磋琢磨できる環境」という売り文句を掲げるところは多く見られます。
しかし、一度これを疑ってみてください。
部下の「強み」「弱み」といった観点から見ると、切磋琢磨は悪い方向に働きます。
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目次
「競争」なんかさせなくていい
新入社員や若手は、同期生にライバル心を抱きがちです。
これをモチベーションにして努力しよう、という意味で「切磋琢磨」と言いたいのでしょう。
しかし、「何を」努力しろというのでしょう?
ここを教えずスローガンだけを掲げるのは、いささか無責任な気がします。
ドラッカーは、数多くの名言の中で「強み」についてよく言及しています。その中の一つが、
「不得手なことの改善にあまり時間を使ってはならない。自らの強みに集中すべきである。
無能を並みの水準にするには、一流を超一流にするよりも、はるかに多くのエネルギーと努力を必要とする」
というものです。
競争というのは他人との比較です。すると、人は「相手よりも劣っていること」「できないこと」を克服する方向に目が行きがちです。若い世代は特にそうでしょう。
これがいかに無意味な感情であるか、むしろどれだけのマイナスをもたらすか、ドラッカーの言葉を借りながら見ていきましょう。
競争がもたらす悪影響
若者に競争させることのマイナス面を挙げていきます。
①自己認識の歪み
もともと、自分について客観的な認識を持つのは難しいことです。
むしろ、そういった認識ができる社員であれば、さほど指導の必要もないでしょう。
ドラッカーの言葉を借りると、
「誰でも自らの強みについてはよく分かっているつもりでいるが、たいていは間違っている。
分かっているのはせいぜい自らの弱みであるが、それさえ間違っていることが多い」。
客観的な自己分析、認識ができていないまま、ライバル心から自分の「弱み」を発見し、克服することに執着してしまうと、自分の強みの発見どころかコンプレックスの沼に足を取られてしまいます。
あるいは、さほど必要でもないことを周囲と比べて優越感を得たところで、それは組織にとっては意味を持ちません。
下手をすると、組織には不必要なところでプライドを強化してしまうだけで、「役立たずの勘違い社員」を生んでしまいます。
②「強み」「目的」の喪失
また、こうした競争心は視野狭窄を招きます。
比較対象は所詮、自分の近辺でしかないからです。
「社会に貢献したい」「業界を盛り上げたい」。
採用の時に大きなことを言っていたとしても、いざ目まぐるしいビジネスの世界に放り込まれると、そんなことはすぐに忘れてしまいます。
目先の勝ち負けにとらわれ、目に見える結果を早く手に入れようとしてしまいます。
組織にとっては、これは大きな痛手になってしまいます。
「業績は、企業の内部には生じない」。
ドラッカーのこの言葉は、裏返せば、企業の中でどれだけ努力し評価されようと、企業の外に価値を生み出さなければ無意味だということを示しています。
そして、全ての努力が企業の外で価値を生み出すことができるか、これは市場にしか判断の権限はありません。
組織がそういう性格のものであるのに、個人同士の背比べなど、無意味どころか無駄な疲弊を招くだけです。強みに集中することができなくなってしまいます。
③人材の均質化、組織の硬直化
木の枝は、全て違う方向に伸びていくことで、全ての葉が光合成し、木の幹に栄養を与えていきます。
これが、隣に生えてきた枝と同じ方向に伸びようとすると、どうなるでしょう?
組織がしっかりとした木として存在し続けるには、若い枝葉をそれぞれの方向に振り分けることが必要です。
マネジメントの果たすべき役割は、そのちょっとした調整だけです。
それぞれに少しだけ向きを示してやり、日差しは様々な角度から差していることを教えれば、あとは勝手に伸びていくものです。
むしろ、このような形を目指して行かなければ、時刻や季節によって日差しの向きが変わった時、個々が自分で方向を修正できず、その木は途端に倒れてしまうでしょう。
森の中で負けてしまうのです。
そもそも「弱み」など存在しない
若手がどうしても自分の中に探してしまう「弱み」ですが、マネジメントの立場からすると、「克服なんてしなくていい」と考えた方が良いでしょう。
実際のところ、「弱み」とは何でしょうか。
「あの人はコミュニケーションが苦手」「あの人はフットワークが悪い」などと言われるものは、理由をたどれば、全ては個人の性格というところに落ち着きます。もっと言えば、ニューロンやシナプスの違いでしかありません。
ですから、不得手があるとすれば、それは「弱み」なのではなく、単なる「生き物としての個体差」に過ぎないのです。
そして、ドラッカーによれば、
「どんな人でも努力すれば、『それなりの能力』は身につけることができる。そして、この世で成功するためには、『それなりの能力』があれば十分なのである」。
「それなりの能力」というのは場合によって量も質も違います。
その場に応じてそれなりの対処方法があれば、それで良いのではないでしょうか。
「自分の強み」に集中させる具体的方法
では、どうやって「強み」を引き出すかです。
まず本人に、客観的な「自分の強み」を自覚させることが必要です。
ここで、少し前から登場している「レジリエンス」の手法から、トレーニング内容を一例として借りてみたいと思います。
レジリエンス強化のために行うグループワークがあります。目的のひとつとしているのは「自己の強みの発見」です。また、これは絶対的な前提条件でもあります。
ここでは、普段の観察や近況報告(具体的な自分の体験)に基づき、同じグループの他人からその人の「強み」を指摘させます。
よく、性格診断ツールを使い、その結果を本人に示したりしますが、ツールで測った結果を見せられても「ふーん」「そうだったのか」で終わってしまい、実際の行動の中で意識することはありません。
「だから日頃何をすればいいの?」という程度ですし、すぐに忘れてしまいます。
また、ツールによる分析は、あくまで「傾向」をはかり分類の中に押し込めているだけです。
これとは違い、実際の行動を元に近しい相手から指摘された「強み」は、より具体的なものとして残ります。
また、このグループワークは同時に、他者の「強み」を指摘する作業でもあります。
他者の中に自分と違う強みを探すことで、「共に努力する」ことの正しい意味合いを知ることでしょう。
自分と他人を分離し、お互いの強みを見つけ出し褒め合う。
このような環境こそ、色々な方向に枝葉が伸びていくには必要な土壌です。
余談になりますが、2019年に現役を引退したシアトル・マリナーズのイチロー選手は、
「人より頑張ることなんてできない」「自分なりに頑張ってきたということははっきり言える」と語っています。
想像もつかないような厳しい世界を生きてきた超一流のプレイヤーが言うことなんだから、そうは言ってもきっと誰よりも練習していたんだろう、と勘ぐるのではなく、この言葉を額面通り受け入れてみてはいかがでしょうか。
イチロー選手をもってしても、何が「他者よりも多い努力」かなんて分からないのだと思います。
練習時間に点数をつけますか?効率性に点数をつけますか?少ない練習で打点を稼ぐことに点数をつけますか?
そんなことはできません。
人によって到達点や到着地が異なるのは当然です。しかしその理由は、単なる「個体差」です。
この違いを認識させた上で、実際、業務の方向も少しずつ振り分けてみるのも良いでしょう。
同じことをさせるから、無駄に競争するのです。
強みの上に築け
「何事かを成し遂げるのは、強みによってである。弱みによって何かを行うことはできない。できないことによって何かを行うことなど、到底できない」。
これもドラッカーの名言です。
・「自分の強み」と「他人の強み」は違う。
・それは「劣っている」のではなく「生き物としての個体差」である。
よって、
・近しい相手との競争は無意味であり、
・客観的に指摘され、自分でも納得した「自分の強み」に集中すればいい。
この認識さえしっかり身につけていれば、マネジメントはちょっとした調整だけで良いのです。
人間が本来から持つ特性に任せ、マネジメント側も極力省エネで続けていくのが良いのです。
何かがあった時、余裕のない上司には声をかけたくないものです。やり方の全てを指示されるのも嫌な気持ちになります。
誰だってそうでしょう?
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