2024年12月、厚生労働省は労働政策審議会 雇用環境・均等分科会において、重要な方針を発表しました。
内容は、「顧客や取引先などによるカスタマーハラスメント(カスハラ)から従業員を保護するため、すべての企業に対策を講じることを義務付ける」というものです。
さらに、2025年4月には東京都をはじめとする一部の自治体で「カスハラ防止条例」が制定されるなどの動きも進んでおり、今後の企業の対応は急務となっています。
本記事では、カスハラに対して企業が備えるべき対策と、実際に起きた際の対応を解説します。
適切に対応できる組織を構築して、従業員の健康を守り、継続して成長できる組織体勢を目指しましょう。
目次
カスハラとは顧客や取引先による不当な要求や嫌がらせ
カスハラとは「カスタマーハラスメント」の略称です。
具体的には、顧客や取引先が、従業員に対して理不尽な要求を突きつけたり、威圧的な言動や執拗な嫌がらせを行ったりすることで、精神的に追い詰める行為全般を指します。
厚生労働省は、より詳細な定義を「カスタマーハラスメント対策企業マニュアル」の中で示しました。
そこでは、単なるクレームと区別し、以下に該当するものをカスハラとしています。
顧客等からのクレーム・言動のうち、当該クレーム・言動の要求の内容の妥当性に照らして、当該要求を実現するための手段・態様が社会通念上相当なものであって、当該手段・態様により、労働者の就業環境が害されるもの
クレームとの違い
カスハラとクレームは混同されやすいものの、両者を区別する明確な基準はありません。
クレームはすべてがネガティブなものではなく、なかには企業が真摯に耳を傾けるべき、商品やサービスの改善を求める正当な要求も含まれます。
クレームとカスハラとの違いは、要求内容の妥当性や言動の背景にある意図などを総合的に考慮する必要があります。
例えば、提供された商品やサービスなどに不釣り合いな金銭補償を要求をしたり、事実に基づかない不当な言いがかりをつけたりするなどの行為はカスハラとみなされる可能性が高いでしょう。
クレームが商品やサービスの向上といった建設的な目的を持つのに対し、カスハラの多くは企業や従業員への嫌がらせを目的としている点で、根本的な動機が異なります。
カスハラ防止条例とは
令和7年4月1日から、東京都や群馬県、北海道などで全国初のカスハラ防止条例が施行されました。
制定の目的は、顧客からの悪質なカスハラから労働者を保護し、誰もが安心して働ける就業環境を整備することです。
これにより、事業者はカスハラ被害を受けた就業者への適切な配慮や、カスハラ防止のための具体的な対策を講じることが求められました。
カスハラ防止条例の制定に向けた動きは、全国の多くの自治体で始まっています。
この流れは今後さらに加速すると予想され、企業にとっては、従業員の就業環境を積極的に守るための体制構築が、待ったなしの経営課題となっています。
カスハラの具体例
カスハラとクレームを分ける基準は明確ではないと説明しました。そのため、判断に苦慮するときもあるでしょう。
実際の判断の助けとなるよう、一般的にカスハラに該当すると考えられる行為の具体例を以下に挙げます。
ただし、これらはあくまで例であり、状況によって判断は異なります。
- 長時間にわたり電話でオペレーターに対して大声や暴言で責める
- 特定の従業員に対してつきまとう
- 脅迫的・反社会的な言動をとる
- 土下座を強要する
- SNSやインターネット上への暴露をほのめかす
- 難癖をつけてキャンセル料や延滞料の未払いを求める
- 言いがかりにより金銭的な要求をする
なかでも正当な理由がない過度の要求や、従業員の些細な言動の揚げ足を取って執拗に攻撃し、精神的に追い詰めるような事例が多く報告されています。
カスハラを放置する危険性
カスハラの対応が遅れたり不適切であると、企業はさまざまな損失を被る危険性があります。
ここでは早急な対応の重要性を知るために、カスハラを放置する危険性を解説します。
社員が精神疾患を発症する
カスハラを受けた従業員は常軌を逸した顧客からの言動を受け、精神的なショックを受けます。
その結果、自信を喪失して「自分の対応が悪かったのではないか」と、過度に自身を責めてしまうことも少なくありません。
被害に遭った従業員一人に対応を任せきりにすると、問題解決が長期化しがちです。
その過程で精神的な負担は増大し、不眠、頭痛、吐き気といった身体的な不調が現れるなど、心身ともに深刻なダメージを負う危険性があります。
最悪の場合、適応障害やうつ病などを発症して医療的な治療が必要になってしまう事態にも発展しかねません。
要求がエスカレートする
カスハラをする顧客や取引先は、自身の言動を客観的に省みることができず、不当な行為をしている認識が欠如している傾向があります。
最初の段階で企業として適切な対応ができないと、顧客をますます勘違いさせてしまうことになるでしょう。
金銭の要求や土下座の強要など、徐々に言動がエスカレートすることで、対応する現場の従業員の心身へのダメージもより大きくなってしまう危険性があります。
安全配慮義務違反になる
企業や組織には、従業員の心身の健康と安全を確保し、労働環境において適切に配慮する「安全配慮義務」があります。
もし労働者の健康と安全を守るために必要な責任を果たさない場合、安全配慮義務違反に該当し、企業は労働者に対して損害賠償責任を負いかねません。
実際に、カスハラ被害を巡る訴訟では、企業に対して1,000万円を超える高額な慰謝料の支払いを命じる判決も出ています。
企業はカスハラ対応の不備が経営に深刻な影響を与えかねないことを認識し、十分な注意を払わなければなりません。
企業で行うべきカスハラ対策
カスハラに対する条例の制定や世間からの注目の集まりにより、企業がカスハラに対して適切な対策を講じることは、社会的責任を果たすうえでも不可欠です。
ここでは、企業で行うべきカスハラへの対策を解説します。
カスハラ対応マニュアルの策定
実際にカスハラ加害者に直面すると、その威圧的で常軌を逸した言動に多くの従業員は冷静さを失い、適切な対応が困難になることがあります。
そのような際でも、従業員が落ち着いて一貫した対応を取れるよう、事前に具体的な「カスハラ対応マニュアル」を策定し、全従業員にその内容を周知徹底することが重要です。
業種ごとに多くみられる不当な要求のパターンがあるため、マニュアルを通じて事例や適切な対応方法に関する知識を事前に共有しておくことで、従業員の対応スキル向上につながります。
記載するべき事項は以下のとおりです。
- カスハラに対する基本指針
- 具体的な事例と判断基準
- 望ましい対応策
- 事例の記録方法(メモ・録音など)
- 社内での相談先
- 警察や弁護士などの社外の連携先
策定後も対応事例や法改正を踏まえ、現状に合うよう定期的に改訂する必要があります。
相談窓口の設定
カスハラ被害を受けた従業員は精神にダメージを負い、その他の業務に支障が出る場合もあります。
それを防ぎ、従業員が被害を一人で抱え込まず、初期の段階から安心して相談できる環境を整備するために、企業に相談窓口を設置しましょう。
実際に事例が発生している場合のみならず、カスハラかどうか判断がつかない際にも幅広く対応できるようにしておくことで、問題の早期発見と早期対応につながります。
相談対応者は社内のなかでも現場の管理を行う者が務めることで、業務に精通する視点から必要な策を講じられます。
カスハラ対応に関する研修の実施
従業員がカスハラに遭遇した際に、パニックに陥らず冷静かつ適切に対応するためには、日頃からカスハラに関する正しい知識と具体的な対応策を習得しておくことが不可欠です。
カスハラの対応に対して理解を深めるため、従業員や管理職に対して定期的に研修を行いましょう。
カスハラの判断基準やパターン別の対応方法、連携先などを社内で把握しておけば、被害が深刻化する前に適切に対応できます。
従業員へのストレスチェックの実施
特に日常的に多くの顧客や取引先と接する業務に従事する従業員は、自覚がないままにカスハラやそれに近しい言動によりストレスを蓄積してしまっている可能性があります。
急激なメンタルダウンを起こしてしまう前に、定期的なストレスチェックを行い、現状のストレスレベルを把握しましょう。
必要に応じて産業医との面談機会を設けることで、適切なサポートを受けられる結果、従業員は早期に心身の不調から回復し、安心して業務に復帰できる可能性が高まります。
カスハラが実際に起きた際の対応方法
社内であらかじめカスハラが実際に起こった際の流れを確認・周知しておくことで、万が一の際に被害を最小限に抑えられます。
ここでは、カスハラが起きた際の対応方法を段階ごとに解説します。
事実関係の確認
顧客からの要求は、正当な主張と、不当な言いがかりの二種類があります。
まずは対応者や管理職を含めた複数人で顧客の主張が事実なのかを証言・証拠とともに確認しましょう。
出来事と顧客の言動を時系列に沿って整理し、要求の妥当性を判断します。
もし妥当であった場合は誠意を持って適切な対応を行います。
一方で悪質な言いがかりであるとわかった場合には、客観的な事実をもとに顧客にその旨を伝え、要求には応じられないことを毅然とした態度で示さなければなりません。
法的措置の検討
仮にカスハラが悪質であり、犯罪に該当すると思われる場合には、躊躇することなく警察に相談し、協力を求めるべきです。
カスハラが該当しやすい犯罪は以下のとおりです。
- 脅迫罪……顧客が従業員に対して生命や身体に危害を加える
- 恐喝罪……金銭を要求する
- 暴行罪・傷害罪……暴力を振るう、体を傷つける
- 強要罪……土下座の強要や不当な要求を強行する
- 名誉毀損罪……公然と事実を摘示し、人の社会的評価を低下させる
警察が現場に駆けつけることで収束を期待できるだけでなく、行為が悪質で罪に該当した場合は逮捕に至る可能性もあります。
従業員への配慮
従業員がカスハラの被害を受けた際は、企業として最大限の配慮を行い、心身の安全と健康を守るための措置を速やかに講じることが最優先です。
仮に暴力やセクハラなどの身体的な接触をされている場合、ただちに引き離し、安全の確保に努めます。
従業員がメンタルに影響を及ぼしている場合は、産業医や産業カウンセラーへの相談、あるいは専門の医療機関への受診をうながします。
再発防止策の検討と取り組み
カスハラ事案が発生した場合、その場限りの対応で問題を収束させたとしても、根本的な原因が解決されなければ再発するリスクが残ります。
それを防ぐため、顧客からの申し出や対応の経緯と結果、教訓を記録しておき、朝礼や夕礼などの従業員が集まる場所での共有や、勉強会の実施、マニュアルの更新をしましょう。
事例をもとに検討した再発防止策も周知しておくことで、組織全体のカスハラ対応能力が向上し、不当な要求にも毅然とした態度で対応できます。
カスハラに対する企業の取り組み事例
カスハラの事例は業種によってさまざまです。
同業他社の取り組み事例を知ることで、自社が対応策を検討する際の参考になるでしょう。
ここでは、カスハラに対する企業の取り組み事例を紹介します。
1.ヤマト運輸株式会社
運送事業や倉庫業などを担う、ヤマト運輸株式会社。
コールセンターに勤める従業員が、同じ顧客から「(一次対応者の)態度が悪い」「お前は向いていない、辞めろ」などの暴言を何度も受けて出社困難に陥ったことで、カスハラ対策を始めました。
同社はまず、オペレーターへのアンケートでカスハラの被害状況を把握。
その結果を踏まえ、具体的なカスハラ発言の例や対応時の文言、対応手順を盛り込んだ「カスタマーハラスメント対応マニュアル」を作成しました。
カスハラに関する事例が生じた際には、都度レポートを作成して社内データベースに登録・全社で共有することで、顧客への適切な対応を可能にしています。
2.タリーズコーヒージャパン株式会社
「タリーズコーヒー」の日本における展開を担う、タリーズコーヒージャパン株式会社では、ネームプレートをもとにSNSを検索されたスタッフがいたことを重く受け止めました。
数か月にわたる検討の結果、実際に働くスタッフからの提案に基づき「ネームプレートをイニシャルに変更する」という案を採用。
加えて、レシートに記載されるレジ担当者欄も氏名ではなく社員番号で表記することで、顧客がスタッフの個人名を把握できないように配慮し、再発防止を図っています。
3.株式会社オリエンタルランド
東京ディズニーリゾートを運営する株式会社オリエンタルランドは、事業に関わる人々の人権が尊重され、より多くの顧客に満足してもらうことを目的として「OLC グループカスタマーハラスメントに対する基本方針」を策定しました。
これにより、顧客の要求や言動がカスハラに該当した場合、東京ディズニーランドや東京ディズニーシーなどの利用を断り、必要に応じて警察への通報や法的措置を講じると掲げています。
同時に、自社の社員が取引先にカスハラを行うことがないように、従業員に対する啓発・教育を徹底する方針も打ち出しており、加害者にも被害者にもならないための取り組みを進めています。
参考:「OLC グループカスタマーハラスメントに対する基本方針」の策定について|オリエンタルランド
カスハラ対策を講じて企業としての社会的責任を果たそう
カスハラによって従業員は精神的な負担を与えられるうえ、度重なる要求の対応に追われると本来注力すべき本質的な業務の遂行も妨げられます。
このような状況が放置されると従業員の働く意欲の低下や離職率の上昇をまねき、企業の生産性を著しく低下させることになりかねません。
したがって、カスタマーハラスメント対策は、被害を受ける可能性のある従業員を保護するためのものではなく、企業が健全な事業活動を継続するための重要な経営課題であると認識することが大切です。
明確なガイドラインの作成、従業員への適切な研修、組織的なサポート体制の構築など、包括的な対策を通じて、社会的な責任を果たせる仕組みを作りましょう。