「部下に任せてくれるが、最後は責任を取ってくれる」
「分からないことがあれば、教えてくれる」
「自ら率先してチームを引っ張ってくれる」
理想的なリーダーというと、上記のような人物像が想定されるのではないでしょうか。
識学ではリーダーを人の上に立つ人とシンプルにとらえ、研修ソーシングではリーダーを管理者としてのリーダー/経営者としてのリーダーとを分けて考えます。
本稿では理想のリーダーのあり方を別々の視点から紐解き、リーダーに必要な条件・資質を導きだします。
目次
リーダーはどうあるべきか
識学:識学ではリーダーを、「自チームと部下」を成長させることができる人物だと考えています。
自チームが会社全体のスコープであれば社長レイヤーになるでしょうし、自チームが1つの係全体となれば係長になる。そんな認識です。
つい、リーダーはレイヤーによってマネジメントスタイルを変えなければいけない、と思ってしまいがちなのですが、マネジメント上そんなことはないのです。
リーダーは会社組織の中での1つの機能として、チームを任されています。
1つの機能と表現している通り、各チームがそれぞれの役割を果たすからこそ、会社全体の成果に繋がるわけです。
逆にあるチームがその役割を果たせていなかったらどうなるでしょうか?会社の成果を果たすことが出来なくなってしまいます。
人間には様々な臓器がありますが、それぞれの臓器が正しく機能しているから健康でいられるわけで、一部の臓器が正しく機能していないと健康でいられなくなってしまうのと同じです。
つまり、リーダーは自チームで任されている役割を果たすことに集中しなければなりません
まとめると、リーダーのあり方はシンプルです。会社の1つの機能としてチームの成果を果たすこと、チーム内のメンバーを成長させていくことが求められているということです。
研修ソーシング:研修ソーシングでは、色々なテーマについて考えるとき、考え方→あり方(Be)→なし方(Do)の順番を間違えたり、混同したりしないことを大切にしています。
それから、リーダー等の英語を使う時は、一人一人の理解に相違が出やすいので、注意する様に指導しています。
先ず、リーダーがリーダーとして成立するには、次の2つの要件が必要ですね。当たり前ですが、これが基本となって、色々考えを深めたと思います。
- 一人以上の部下(フォロアー)が存在すること。
- その部下(フォロアー)がリーダーをリーダーと認めること。
もし、フォロアーの誰もがリーダーをリーダーと認めず、リーダーの下を去れば、①の要件を満たせなくなりますから、リーダーではなくなってしまいますね。②を成立させるために、リーダーは成果を出さなければならないし、フォロアーを導かなければなりません。
これがリーダーという言葉(英語)の原点です。
その上で、管理者としてのリーダーのあり方(Be)と経営者としてのリーダーのあり方(Be)を分けて考えを深めていきましょう。
- 管理者としてのリーダーのあり方(Be)=「正常を定義し、異常を正常に戻す人」(但し、正常の定義は、会社全体の正常と整合していなければならない)
- 経営者としてのリーダーのあり方(Be)=「成果÷経営資源を最大化する人」
(成果=売上・利益・CS・ES・社会貢献等多岐に亘る。一方、経営資源=人・物・金・情報に加え、場【風土・パラダイム】からなる)
識学:例えば「経営者」としてのリーダーを考える際、識学ではその評価者は社会であり市場であると考えます。
経営者自身も、不足(ここでは自社への評価)が発生した際は、その不足を埋めるために組織全体を変化させていきます。
その変数こそが研修ソーシングさんのいう「成果÷経営資源」を最大化するということと一致するのかもしれません。
研修ソーシング:「成果÷経営資源」を最大化する上で、「成果」の中の何を優先するか、「経営資源」の中の何を重点投下するか等、基本的考え方を会社全体に示し、具体的な経営方針に落とし込むことが、経営者としてのリーダーにとって重要な仕事と考えます。
リーダーの役割とは?
識学:リーダーの役割とは「決めること」です。
そもそも識学では各チーム(係/課/部)をひとつの機能として考えていますので、各リーダーはその機能を果たす=KPI値を達成することのみに集中することになります。
これは社長であったとしても同様です。社長の場合は、会社として勝つための戦略を決め、それを実行していくのみです。
繰り返しになりますが、社長自身も評価されています。組織の中には存在しませんが、それは顧客であり、株主であり、ステークホルダーであり、社会です。
人は評価を得られないと生きてはいけません。誰かから評価され、その対価として生きるための糧をえています。それが社会の仕組みなのです。
ですから社長自身が社会に求められる数字をしっかりとやる。それが組織の存続条件です。
これを達成するために各機能=各部署に数字を割り振り、各管理者はその数字をやるために動くということになります。つまり、各リーダーの役割は、この数字を達成するためにルールを決め、各部員の役割を決めていくことに変わりないのです。
各チームがそれぞれの役割を果たすからこそ、会社全体の成果に繋がるとお伝えしましたが、チーム内でも同様です。チームメンバーがチームの1つの機能として役割を果たすことで、チームの成果に繋がります。逆に言えば、成果が出るようにリーダーが各自の役割やチームのルールを「決定する」必要があります。
つまり、リーダーが自チームの成果を果たしていくためのプロセスを分解し、分解したものを各メンバーに役割として設定していく、そして、そのために必要なルールを定めておく。
そうすることによって、メンバーが迷わずに仕事に取り組む環境を作れます。
もしもリーダーが、「決定する」ことをしなかったら、チームはどうなるでしょうか?メンバーは各自が自身の考えに基づいて行動することになり、チームとしての役割とは関係のない動きをしてしまったり、何をしたらよいか迷ってしまったりすることになります。
リーダーは自チームの成果を果たすために何が必要かを考え、自チームの成果を果たすためメンバーが動くための環境作りをしていく必要があると識学では考えています。
研修ソーシング:研修ソーシングも、「役割」という言葉の重要性を会社全体で理解することを重要視します。
そもそもこの「役割」という言葉が何を意味するかを考えると、「全体を皆が理解し合い、尊重し合い、全体のあるべき姿を実現するための仕事を実践すること」と定義することができます。
従って自分の役割を理解する前に、全体のあるべき姿を理解する必要がありますし、その理解の上で自分(経営者・管理者)の役割(仕事)を理解しなければなりません。
それは恰も演劇の役割分担やオーケストラ演奏の役割分担と同じです。夫々が勝手な役を演じ又演奏したら、お客様から公演代・演奏代を頂けないのと同じです。
それを理解した上で、管理者/経営者の役割・なし方(Do)=なすべきことを以下の様に定義しています。
管理者としてのリーダーの役割・なすべきこと(Do)
- 方針管理体系(会社全体から従業員一人一人に至る計画・方針を切れ目なく展開するやり方)を理解し、自部門の役割(業務分掌)に基づく、自部門の正常を定義し、関係部門の承認を得ること。
- 上記正常の見える化を前提として、毎日発現する異常を正常に戻すこと。(PDCAを回すこと、その為のコミュニケーション力・判断力・課題形成力・結果を出す力等が発揮できること)
- 後進を育て、次のPは一段高いレベルとして設定でき、永続的なPDCAのスパイラルアップを実現させること。
経営者としてのリーダーの役割・なすべきこと(Do)
- 理念・ビジョン・経営計画・経営方針等を定義すること。
- 方針管理体系を生み出すこと。(方針管理体系の定め方は、別途説明が必要)
- 様々な成果のバランスを、ステークホルダーとの合意形成の下に実現すること。
- 様々な経営資源を活用し、整合させ、経営生産性(成果÷経営資源)を最大化すること。
- 企業成長の実現や経営資源の最適バランス実現には、価値の創造が不可欠であるので、イノベーションを起こすことで価値創造を実現することが経営者にとって最重要な役割である。
識学:研修ソーシングさんの「経営者としてのリーダーの役割」については、識学の「尺度」という考え方が近いかもしれません。尺度があるから、社会が求めている数字を正しく認識でき、その数字を達成するために組織を動かせるということですね。
一方で、管理者としての役割には少し違いがあるかもしれません。従業員一人一人の育成計画までは弊社では考えません。むしろ、会社の求める数字を達成するために変化していった結果、成長をするという考え方のほうが近いかもしれません。
研修ソーシング:「管理者としてのリーダーの役割」は、別の言い方をすれば、「PDCAサイクルを回しながら、インタンジブルアセットを積み上げること」と言うことができると思います。
ここで言う「インタンジブルアセット」とは、お金に換算できない財産のことです。人材(人財)はその中心にありますから、管理者は人材(人財)育成を役割としなければなりませんし、それを怠っては管理者として認められません。
識学:なるほど。識学では定量化できる結果のみを評価します。「インビジブルアセット」が数値として算出されるのであれば、評価の余地はあるかもしれません。一方で、数値化できない価値である限り、それは明確に指示ができず、互いの理解に齟齬が発生する項目のため、識学では評価しません。
ここは違いなのかもしれませんね。
識学:ところで決められないリーダーという言葉が一時期流行りました。決定できないリーダーというのを研修ソーシングさんではどのように考えていますか?
研修ソーシング:言うまでもなく、リーダーは決めることができなければなりません。それができなければリーダーは務まりませんし、前述のリーダーの要件が満たせなくなる筈です。
ではどうしたら良いかですが、先ず経営者から管理者に「何が正常か」を示し、相互の役割に基づきコミットすることです。それは恰も健康診断で専門医が正常値を定め、各人が異常を正常に戻す努力や医者を受診する等の判断をすること・行動を起こすことのに似ています。
次に経営者は管理者に「責任と権限の一致」に拘り、その理念を実践することを約束することです。それが管理者の成果追求の礎になります。そうすることによって、「責任を取りたくない」・「部下に嫌われたくない」・「決定する役割と認識していない」等のエクスキューズを回避できます。最初が肝心です。
その礎の上に、管理者に対し、研修・OJTを施し、成果を出す為に決定する(判断し結論を出す)ことを追求する。即ち「正常を定義し異常を正常に戻す」を実践させます。
識学:識学も同感です。リーダーが決めなければ、その部下は動けません。識学ではリーダーが決められない状況は、下記のような状態だと考えています。
- 責任を取りたくない
- 「決定しない」ということによって、責任を回避できると考えてしまいがちですが、実際には自身の責任は変わらないので、いち早く「決定する」必要があるはずです。
- 部下に嫌われたくない
- 部下からどう思われるかを気にするあまり、「決定する」ということを躊躇してしまいがちですが、本来の自身の責任を果たしていくためには、部下からどう思われるかの前に、どうしたら自チームの成果を出せるかに集中しなければなりません。
- 「決定する」役割と認識していない
- 自身は「決定する」立場ではないと認識している状態ですが、自チームの責任を果たすために「決定する」権限が与えられているわけなので、「決定する」立場にないと考えるのは、自身の責任に対して無責任で言い訳している状態と言えます。
経営者(組織上、上の位置)から管理者(組織上、下の位置)へ正常を示す、という点も似ています。例えば弊社では部下の評価を定量化します。識学でいうと60点ができて当たり前の数字です。これが正常値となります。
この数字を達成できない状態は、部下の行動変化が足りていない状態であり、逆に言えば正常値に戻すための変化の余地がある状態だと考えるわけです。
責任と権限の話も上記に関連します。例えば上記の数字達成に必要なのは権限なのかもしれません。それは予算、人員など多くの要因が考えられます。
その一致方法として、識学では部下から権限申請をさせることにしています。数字が達成できなければ、どうすればその数字が達成できるのか?という未来に向けた話をするのも、部下に言い訳をさせない方法であり、部下から権限を申請させるためです。識学では週次で責任と権限を握るようにしています。
プロセス評価は考慮すべきか否か
識学:識学ではプロセス評価については否定しています。研修ソーシングではどのように考えますか?
研修ソーシング:ここでも、英語(プロセス)を使うときは注意しないといけないと考えます。責任と権限が一致していれば、リーダー(管理者・経営者)は結果責任を負いますから、その意味においては、結果だけ評価し、プロセスは評価しなくてもよいでしょう。
しかし、企業はお客様・ステークホルダー各位との信頼関係を損なってはいけませんから、先ず全力で約束を守る。しかし不測の事態が発生し、約束を守ることができないことが判明したら、関係部門・お客様・ステークホルダー各位にそのことを報告し、事態を共有する責任を負うことを認識させなければなりません。
所謂、責任説明(アカウンタビリティ)です。
これを実践するためには、正常と異常の対比を日常的に行う必要がありますので、それを「プロセス評価」と定義するのであれば、研修ソーシングとしてはそれを肯定します。Yesです。
そのための「判断する力・決定する力」も重要な評価の対象になります。
識学:識学では「結果」以外はすべてプロセスとして定義します。ですので、研修ソーシングさんのおっしゃる「判断する力・決定する力」も評価はしない立ち位置です。
識学では1週間に一度、部下との週次会議を実施しております。つまり、結果を報告する場はすでに存在しているということです。
また、部下が事実を上げる仕組みができているので、判断・決定も必要ありません。権限内であればやる。権限外であれば、追加権限を求めるか、指示を仰ぐかしかないからです。
識学がプロセスを評価しないのは「成長」に起因しています。
成長とは、出来なかったことが出来るようになることです。つまり、部下を成長させるためには、出来なかったことを認識させ、出来るように行動を変えさせなければなりません。
部下に与えた役割について、取り組んだ結果、足りていない部分があれば、自身の不足として認識させることが必要不可欠と言えます。
そのためにもリーダーが各メンバーの役割を明確に設定する必要があり、期限を区切って、役割に対して、出来たのか、出来なかったのかの振り返りを実施する必要があります。
しかし、振り返りの際にリーダーが出来ていなかったメンバーに対して「結果は伴わなかったけど、取り組み内容としては良かったよ」などとフィードバックしたら、メンバーはどう認識するでしょうか?
「結果は出なかったけど、評価された」と、自身の結果に対して、足りていなかった部分を正しく認識出来なくなってしまいます。このようにプロセスを評価していると、部下は成果を果たすことに集中しなくなり、逆にプロセスを評価してもらうためのアピールに集中してしまうことになります。
出来ていない部下に対して、出来ていないことを伝えることを躊躇してしまい、少しでも出来ているところを評価してあげたいと思うあまり、プロセスを評価した結果、部下の成長機会を奪ってしまうことになります。
リーダーに誰だってなれる/なれない?
識学:リーダーには「自チームの役割を果たす」「部下を成長させる」という2点が重要だという話を冒頭でしました。裏を返せば、リーダーはこの2点に集中していれば良いとも言えます。
マネジメントとは複雑に見えるかもしれませんが、一つひとつ紐解いていくと、非常にシンプルな構造であるといえるのではないでしょうか。上記2点を満たせばいい、という意味においては、尺度はある程度求められるものの、基本的には誰でもリーダーになれるというのが弊社の考え方です。
研修ソーシング:2018年に放送されたNHKスペシャルシリーズ人体Ⅱ「遺伝子」をご覧になられたことはありますでしょうか。ここでのポイントは、意識して努力すれば、人間は短期間に進化できる「奇跡的な能力」をもつ可能性があるし、それは一部の人間だけではなく誰にでもあるということでした。従って誰でも管理者としてのリーダー、経営者としてのリーダーになる可能性を有していると思います。Yesです。しかし全員がリーダーにならなくても良い訳で、自分の強みに着目して一歩一歩成長する過程が重要ではないかと思います。
そして、同じリーダーという仕事ですが、管理者としてのリーダーと経営者としてのリーダーの間には大きな結界があることも知って、努力を惜しまないことが重要と考えています。