ベンチャー企業は、「巧遅は拙速に如かず」。
すなわち時間を掛けて上手にやることよりも、下手でも良いからスピードを重視せよ-。
会社経営者であれば、おそらくこのような趣旨の自己啓発本を手にとったことがあり、あるいは異業種交流会などでこのようなことを力説する経営者や講師に会ったことがあるのではないだろうか。
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でも、実は根拠はない
しかしここで、一つの意外な事実を提示してみたい。
「巧遅は拙速に如かず」という有名な言葉。
「孫子の兵法」にある言葉として広く知られているが、実は孫子の兵法には、そんな教えは書いていない。
今、筆者の手元には
「孫氏の兵法 -応用自在!ライバルに勝つ知恵と戦略- 守屋洋」
がある。
漢文の読み下し文とともに、その解釈を示す文庫本だが、改めて目を皿にして読み返してみても、
「巧遅は拙速に如かず」
と一言一句変わらない表現、あるいはそう解釈できる兵法の解説はない。
かろうじて、類似とも言える表現では、第2章の「作戦編」の第2項に、「兵は拙速を聞く」という単元がある。だがこれは、「短期決戦に出て成功した例はいくつもあるが、長期戦にでて成功した例は知らない。なぜなら、戦争とは莫大な戦費を伴い、国家を衰退させるものだからだ」という趣旨の教えだ。
これを企業経営に応用するなら、
「大勝負に出る時は、短期でその成否を見極められる領域に限定しろ」
ということになるだろうか。
成功の見極めに3年かかるような事業は、自社の体力を超えるものだから止めておけ、というような教訓と言っても良いかも知れない。
少なくとも、「下手でも良いからがむしゃらに進め」と解釈するには相当な無理がある。
昔の格言には非常な含蓄を伴うものも多いが、なぜかこのように解釈が独り歩きし、時には元の意味と180度意味が変わっているものが多い。
有名なところでは、福沢諭吉の言葉とされる
「天は人の上に人を作らず 人の下に人を作らず」
のフレーズだ。
一般にこの言葉は、福沢自身が人類の平等を説いた素晴らしい言葉であるとして、流布している。
しかしその解釈は完全に間違っている。
実際に福沢諭吉の「学問のすすめ」を読めばわかるが、冒頭に書かれている言葉は、
「天は人の上に人を作らず 人の下に人を作らずといえり」
つまり、「天は人を平等に作ったと、(誰かが)言っているね」という意味だ。
一般に、アメリカ独立宣言を引用したという説が有力とされている。
さらにそれだけでなく、この後には「されども」が続き、
「ではなぜこの世には、貧乏人も金持ちも、頭のいい人も悪い人もいるんだ?」
と疑問を呈している。
つまり、
「人類は皆平等と偉い人が言っているみたいだけど、全然事実じゃないよね」
というのが、正しい福沢の言葉である。
だからこその「学問のすすめ」であり、学問を修めて偉くなりましょうと説いている。
一般に常識とされるような昔の格言にも、多分にフェイクが混在していることが多い。
「巧遅は拙速に如かず」は正しいのか?
では、孫子が説いていないからという理由で、この格言は誤りなのだろうか。
まずこの言葉そのものは、朝日新聞が運営する「コトバンク」によれば、
「できあがりがいくら立派でも遅いのは、できがまずくても速いのに及ばない。」
という意味で、一般に理解されている内容と同じと考えて良さそうだ。
中国宋の時代に著された、「文章軌範」という文献にみられる教えとされている。
孫子ではなくとも、少なくとも中国の古い教えとして今も大事にされている、すなわち多くの人に支持されてきた教訓として評価できそうである。
長い歴史の中で、価値観の変遷にも色あせて来なかった以上は普遍的な価値観があると言えそうだが、ではどのような局面で、具体的に活きるのだろうか。
一つには、先の例で挙げたようなマイクロソフトのWin95リリースのような場面だろうか。
今から四半世紀も前のことなので、まだパソコンと言えばアニメヲタクや鉄道ヲタクと同じジャンルで趣味の領域とされていた頃。
筆者は既にMac本体にスキャナー、プリンターのセットを購入し、フォトショップやイラストレータを使いこなして金を稼いでいた。
その筆者にとって、マウスで簡単に視覚的な操作ができるOSは身近なものだったので、Win95が発売された当初、メディアが大騒ぎして大ニュース扱いしている意味がよく理解できなかった事をよく覚えている。
マックOSのゴミ箱がデフォルトで右端であるのに対し、後発のWinは左端であることまでが気に入らないMac信者であった。
しかしその後、勢力は完全に一変。
ワードやエクセルなどのオフィス需要に応えるアプリを前面に出したウインドウズは、職人御用達のマックを完全に駆逐し、OSといえばウインドウズという地位を完全に確立する。
言ってみれば、素人でも簡単にPC操作ができるUI(ユーザーインターフェイス)の開発に遅れを取ったマイクロソフトは、汎用性の高いソフトを提供することでマーケットをひっくり返したことになる。
このように、追い詰められた局面ではうまくやることよりもまずは、拙くとも勝負に出るべきなのだろう。
確かに、20世紀最大の発明の一つと言っても良いPCのOS、とりわけウインドウズは、今でも毎月のように重大な修正プログラムが流れてくる。
完成品として販売しているにも関わらず、「重大な修正」とアップデートがこれほど許される商品というのも珍しいが、「拙速」にこだわったからこそ、MSは世界のインフラ企業に成長することができた。
また回転寿司大手のくら寿司は、初めて200円皿の販売を導入した際には今のような2皿を固定するバンド
たでぇまです
くら寿司の2枚皿リングであそんでました pic.twitter.com/GSKrl3nORE— ♪myu♪/!みゆ! (@myu82055251) 2018年10月7日
ではなく、皿表面に生わさびを大量に塗って2皿を固定し、レーンに流す荒業を採用している。
こちらは、どちらかと言うと既に安定した経営基盤を確立したくら寿司が、新たな試みとして200円皿のトライアルを始めた時に用いたやり方だ。
いわば社内ベンチャーの在り方である。だからこそ、巧遅など求めない。拙速こそあるべき姿だ。
また、黎明期のgoogleトップページには、
「Index contains 25million pages!(インデックスには2500万ページが登録されています!)」
という表記が為されていたことを、記憶している人も多いかも知れない。
40代以上でギリギリだと思うが、いわば自社ポータルの登録サイト数を売り文句にしていた時代があったということだ。
1990年代当時、検索サイトと言えば主なものだけでも、infoseek、Lycos、Excite、goo検索など、恐らく10サービスほどが乱立していたように記憶している。
そして当時の検索エンジンの競争の主眼と言えば、より多くのサイトをインデックスし、たくさんの検索結果を返してくれることにあった。
同じ単語を調べるのに、複数の検索サイトで慎重に調べるという習慣もあったほどだ。
だからこそ、「ウチはこんなにたくさんのサイトをインデックスしています!」というのがユーザーへの最大のアピールポイントであったのだろう。
そういう時代だったからこそ、手段を問わずインデックス数をひらすら伸ばし、トップページでその数を競うという、サービスの在り方であった。
いずれも、サービスが洗練された今から考えると笑ってしまうほどの拙速さでサービスを展開してことになるが、それでも顧客のニーズに鍛えられ、今の形に進化を遂げることができた。
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「宇宙からのギフト」は拙速にこそもたらされる
今も多くの人に愛されるロングセラー、『仕事は楽しいかね?』(デイル・ドーテン:著、野津智子:訳/きこ書房)では、この辺りを「試してみることに失敗はない」と説く。
「僕たちはね、失敗するのを怖がりすぎて、それが宇宙からの贈り物だってことに気がつこうとしないんだ。」
例えば、
3Mが偶然開発した粘着力の弱い接着剤を転用し、ポストイットを発明した話。
リーバイ・ストラウスがたまたまテント用の帆布を持て余している時に、炭鉱夫から「ズボンが無い」という悩みを打ち明けられジーンズを作り始めた話。
拙速と巧遅はどちらが優れているのか、断言できるものではないかも知れない。
しかし「宇宙からのギフト」を数多く受け取ることができるのは、より多くのことにチャレンジし続ける勇気を持った者。すなわち巧遅よりも拙速に試し続けることだ。
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剣術にも通じる「最後の手段」
実は同じような考え方は、日本にも古くから存在している。
かつて江戸四大道場といわれた剣術のひとつに、「心形刀流」という流派があったことを知る人は余り多くないかも知れない。
この流派では、
「心は必ず形に現れる。心を鍛錬し、常に形を正しく保つ事を心掛けよ」
と説いたが、この流派の極意について、第10代師範の伊庭想太郎は以下のような言葉を残している。
「剣に限らず物事には、万策尽きて窮地に追い込まれることがある。その時は瞬息に積極的行動に出よ。無茶でも何でもいい。捨て身の行動に出るのである。これが我が流派の極意である。」
これこそが、毎日が大ピンチの中小ベンチャー企業経営者の極意なのかも知れない。
さすがに、企業規模が大きくなってからも経営者がこのノリでは余りにも問題もデメリットも大きいが、ワンタスクを旗印に必死になって会社経営をしている立場では、とても共感できる言葉ではないだろうか。
やはり、世界中で「巧遅は拙速に如かず」は正しい教訓のようだ、と言えるだろう。
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