会社の売却は人生で最も重大な決断の一つです。
筆者自身、20年間経営してきた会社を売却した経験から、間違いなくそう言えます。また、識学のM&Aコンサルタントとして会社の売却に関心があるオーナー社長と話をしていても、大半の経営者が同じように考えています。
では、人生最大の決断である会社の売却に際して、どれだけの準備をしたらよいでしょうか。あなたは何の準備もせず、「専門家に相談すればよいだろう」と思っていませんか。
その専門家は人生の最も重要な決断を委ねるに足りる人でしょうか。この問いへの答えが「イエス」であるなら、この記事は読まなくてよいでしょう。その人を信頼し、全てを委ね売却を進めてください。
しかし、「ノー」であるなら、本記事の内容が参考になるはずです。会社の売るときに知っておきたいポイントを三つお伝えします。
目次
売却の全体像を想定する
会社の売却はほとんどの経営者が一生に一度しかしないものです。そのため、経験を積んだり慣れたりすることはありません。だからこそ、事前の想定と準備が重要となります。これが一つ目のポイントです。
基本的に、売り手が考えるべきフェーズは三つに分類されます。
①相手が見つかる前
②相手との交渉中
③売却後
また、それぞれのフェーズで考えておくべきは下記の通りです。
①相手が見つかる前
aどこの会社に売却すべきか
bいくらで売るべきか
cどのような条件がマストなのか
②相手との交渉中
a何をチェックされるのか
bどの程度金額を譲歩すべきか
c最終合意の際の取り決めに過不足は無いか
③売却後
a顧客やサービス・ブランドは維持してもらえるのか
b社長の処遇はどうなるのか
c売却後に発覚した問題点の責任の有無について
まずは上記についてしっかりと考えをまとめておきましょう。これらを決めずに交渉に入ると、買い手側や仲介会社の意向に引っ張られてしまい、自分の望む意思決定ができなくなってしまうからです。
M&Aについて学ぶ
二つ目のポイントは、M&Aに関する知識を持っておくことです。例えば、以下の三項目について知っている方がどれだけいるでしょうか。
・自社の価値の算定方法
・M&Aの契約のプロセス
・売却時にチェックされる事項(デューデリジェンスの内容)
これらは、自社を売却するにあたり最低限知っておかねばならないポイントです。知識不足の状態では交渉もおぼつきません。ここからは、上記の三点について概要をお伝えします。
自社の価値の算定方法
自社の価値を算定するためには、さまざまな方法がありますが、以下に代表的なものをいくつか紹介します。
【営業利益を用いた方法】
これは、自社が得られる将来の営業利益を予測し、それに基づいて自社の価値を算定するものです。営業利益を求めるためには、売上高から費用を差し引いた利益を用います。将来の営業利益を予測するためには、市場調査や業界分析などを行う必要があります。
【現在価値を用いた方法】
この方法は、自社が将来得られるキャッシュフローを現在価値に換算し、それらを合算することによって自社の価値を算定するものです。現在価値を求めるためには、将来のキャッシュフローを割引率で割り、それらを合算します。割引率はリスクの程度や市場の状況によって異なります。
【企業財務諸表を用いた方法】
この方法は、自社の企業財務諸表から、自己資本比率や売上高、総資産などの数値を用いて自社の価値を算定するものです。具体的には、自己資本比率や売上高を使った各種財務指標を計算し、それらを基に自社の価値を算出することができます。
企業価値の目安の算定としてよく使われる計算の方法としてEBITDA倍率法と年買法があります。
計算の定義は少しブレがありますが、ここでは一つの例としてEBITDA倍率法と年買法の計算式を下記に示します。
■EBITDA倍率法
企業価値=(営業利益+減価償却費)×5+現金預金類-有利負債
※本来のEBITDAはいくつかの定義づけがありますが、ここでは簡易的計算として営業利益+減価償却費を使っています。
■年買法
企業価値=営業利益×3+純資産
M&Aの契約のプロセス
M&Aの契約のプロセスは一般的に以下のような手順で進められます。
【交渉先の選定】
まずは買い手選びです。せっかく会社を売却をするのであれば、できるだけよい条件をで買ってほしいでしょう。そのために、買い手候補は広く探す方がよりマッチした相手が見つかります。
買い手はなぜ自社を買いたいと思っているのか、買った後に自社の運営や従業員をどのように扱っていくのかなど、金額だけではなく全体の条件を確認し、相手を選定していきます。
【デューデリジェンス】
お互いにM&Aを前向きに進められることを確認した後、買い手企業が売り手企業の情報を調査するデューデリジェンスを行います。デューデリジェンスは、財務面や法律面、人事面、環境面などの情報を分析し、買い手企業がリスクを把握するためのプロセスです。
売り手側からすると、ここでいろいろな指摘を受けることになります。指摘内容によっては売却金額の減少につながるかもしれません。そうならないように、売り手が事前に自社でデューデリジェンスをする(セラーズデューデリジェンス)ことも考慮に入れておくとよいでしょう。
【契約交渉】
デューデリジェンスが終了したら、契約交渉に移行します。契約書には、価格、支払い方法、M&A後のビジネスプラン、役員の配置、従業員の雇用条件、契約解除条件など、M&Aの詳細な条件が記載されます。
【合意書締結】
契約交渉が終了し、双方が合意に達したら、合意書の締結です。合意書には、M&Aの条件が正式に記載され、M&Aの実行に必要な手続きが明確になります。
【認可と実行】
合意書が締結されたら、M&Aは法的に認可される必要があります。認可は、株主の承認や競争当局の承認などが含まれるものです。認可が取得されたら支払いが行われ、従業員の雇用や資産の移転が進められます。
小見出し:売却時にチェックされる事項(デューデリジェンスの内容)
売り手がM&Aのデューデリジェンスのために準備すべき情報は以下の通りです。
【企業概要と経営戦略】
売り手の企業概要やビジネスモデル、事業範囲、経営戦略などの情報が必要です。また、現在の市場トレンドや業界の課題、競合状況なども分析されます。
【財務諸表】
財務諸表は、売り手の財務状況を評価するために不可欠です。損益計算書、貸借対照表、キャッシュフロー計算書などの財務情報が含まれます。また、売り手の資本構成や資金調達の状況もチェックされます。
【顧客や販売チャネル】
売り手の顧客構成や販売チャネルの状況、ビジネスパートナーなどもデューデリジェンスの対象です。売り手のビジネスモデルや市場シェアなども確認されます。
【知的財産】
知的財産権に関する情報も必要です。特許や商標、著作権、ノウハウなどが含まれます。また、権利の有効期間や使用許諾契約の状況なども求められます。
【法務関係】
売り手の法的な情報も重要な要素です。契約や訴訟、労働問題、環境問題などの法務情報が含まれます。また、売り手が遵守すべき法令や規制の情報も分析されます。
【その他】
業務遂行に必要な情報も提供する必要があります。例えば、物流、製造プロセス、従業員の情報、不動産などの情報です。
知識として持っておきたいポイントは以上となります。もちろん、上記を知っていれば万事OKというわけではありませんが、最低限の知識としては準備しておくべきでしょう。
売却後のビジョンを明確にする
さて、会社売却を検討しているオーナーが知っておきたい最後のポイントは、会社売却後のビジョンの重要性です。会社を売却したオーナー社長には、会社に残るか出るか選択肢があります。
そもそも、会社を売却することで最も状況が変化するのがオーナー社長です。むしろ、個人の人生を考える上ではこの点を第一に考える必要があるとも言えます。
「会社に残るつもりだったが、買い手の意向で出されてしまった」
「会社を離れるつもりだったが、長期間残ることを条件にされてしまった」
このようになると、人生設計が大きく狂ってしまうことになります。
もちろん、「オーナー社長たるもの、自分を最優先にするなど社長道に反する」と考える人もいるでしょう。その気持ちはよく分かります。
しかし、社長も一人の人間です。家族がいればそうも言っていられない現実もあるはず。売却後の自分の状況というものもしっかりと想定した上で交渉に臨まなければなりません。
会社に残る場合
会社を売却したオーナー社長が会社に残る場合、引き続き代表者として経営を継続するか、代表は退き、役員やその他のポジションで新体制をサポートするかに分かれます。
いずれであっても認識しておかなければいけないことは、管理する側から管理される側に移るという事実です。
会社を売却しても社長を継続しているということは、その会社の業績を上げるために株主から社長に任命されているということ。役割を果たせなければ、社長から更迭というのも普通に起こります。
代表は退き、役員やその他のポジションを担う場合も同じです。与えられた役割を全うすることは当然に求められます。ポジションに見合った成果を出せなければ、降格になることもあるでしょう。
同じM&Aでも売り手にとっては人生をかけた選択ですが、買い手にとっては経営戦略の一環であり、会社を成長させるため、業績を伸ばすための手を打ったに過ぎないのです。売り手のポジションや生活を保障することは契約には含まれません。
大手のグループに入り、グループの力を使ってさらに事業を伸ばしていくという気概やビジョンはもちろん必要です。ただ、今度はそれが実現できなければ社長のポジションは確約されません。
どんなに業績が悪くても、どんなに赤字を垂れ流してもその地位が奪われることがなかった今までとは全く状況が違います。そのことだけはしっかりと認識を持った上で売却先や売却そのものを検討してください。
会社を離れる場合
会社を出ることが前提でも、会社売却後の一定期間は買い手側の会社との融合や顧客の引き継ぎなどをフォローするために会社に残ることが多いです。
その間は、役員、一般社員、顧問、業務委託などで契約して業務に当たります。期間は半年~2年程度のケースが多いです。
オーナー社長が退職金を取る場合、売却後の勤務状況によっては退職と見なされず、無税の範囲を想定した退職金に税金がかかってくるなどのケースもあるので注意しましょう。
来るべき日に備え準備を忘れずに
ここまで会社を売却するときに知っておきたいことをまとめてきました。ただ、これだけを押さえておけばうまくいくというほど、会社の売却は簡単なものではありません。
人生で最も重大な決断だからこそ、しっかりとした事前準備が重要です。会社の売却は基本的には一発勝負。何も知らない状態で、理想の交渉結果を得ることは難しいものです。
将来会社の売却を視野に入れているのなら、早めに準備を整え来るべき日に備えておきましょう。準備ができていればこそ、従業員も顧客も買い手も、そして売り手のオーナー社長も、皆が幸せになれるのです。
「人生のオーナー」である皆さんにとって、会社の売却がその後の素晴らしい人生の第一歩になることを願っています。