本記事では、不公平な人事評価が横行する理由と、おかしい人事評価を生まないためのポイントについて解説していきます。
目次
残念な現状
評価制度は、会社を運営する上でなくてはならないものです。
まず、活躍している人を正当に評価することで社員のモチベーションを喚起することができます。
そして、個人個人が自ら高い評価を獲得するために行動することで生産性が向上し、会社全体の業績が上がるだけでなく会社への所属意識を高め、離職率の低下も防ぐことができるのです。
評価制度には本来そのような機能が求められていますが、必ずしもそうなっていないケースが多く、半数以上の会社員が評価に不満を持っているとも言われています。
実際、私のもとに寄せられる評価制度についての相談は少なくありません。
評価する側もされる側も、上記のようなことを評価制度に期待し、そうあるべきだと考えているにもかかわらず、互いに「おかしい」と感じながら運用され、逆に社員のモチベーションを下げて離職を招き、時には訴訟にまで至ってしまうこともあります。
どちらにも悪気がないのに、なぜおかしい人事評価が生まれてしまうのか、どうすればそういった不幸な事態を回避できるのかについて考えてみましょう。
関連記事:社員への人事評価制度の問題点は?導入・見直し方法を解説!
おかしい人事評価の3つの特徴
人事評価は、公平かつ厳正に社員の成長を促し、会社全体で勝利に向かうために構築されるものでありながら、そのうちの多くがいつの間にかおかしい人事評価になってしまいます。
つまり、不公平かつ恣意的で、成長する社員のやる気をそぎ落とし、評価のたびに無駄な時間やぶつけどころのない不満が発生してしまうのです。
そういった「おかしい人事評価」には大きく3つの特徴があります。
まずはそれぞれの特徴と、そうなってしまう理由についてご紹介しましょう。
評価項目が多過ぎる
40個以上の評価項目がある評価制度が実際に運用されているのを見たことがあります。
そこまで多くなくても、ほとんどの会社で評価項目が10個以上あるというのが実情です。
皆さんの会社で評価制度が機能しているかどうかを簡単に確認できる方法があります。
何人かの従業員に、「あなたの評価項目はなんですか?」と質問すればよいのです。
この質問に従業員が回答できなければ、その会社の評価制度は機能していません。
評価制度は、従業員が「その日何をするのか」を決める指標でなくてはならず、それを覚えていない状態で働くことは、スポーツにおいて点の取り方を知らないのに試合に出場している状態と同じなのです。
10個以上、ましてや40個もの評価項目を覚えることができるでしょうか。
多くても覚えることができていれば問題ありませんが、評価項目を覚えるのに時間を使うこともロスタイムと言えるでしょう。
それでも項目が多くなってしまうのは、評価者が評価したいことと、被評価者が評価されたいことを全て網羅した評価制度を作ることが公平だという思い込みが原因です。
全てを網羅しようとした結果、全員が覚えることができず、期末などの評価のタイミングにしか思い出してもらえない評価制度になってしまうのです。
関連記事:目標設定の重要性やメリットとは?方法や注意点、フレームワークを解説
曖昧で認識がずれる
上記のような項目が多い評価制度には、必ずと言ってよいほど「責任感」「リーダーシップ」「協調性」などといった項目が存在しています。
定性的な項目は曖昧である分、「漏れなく広範囲に評価できる」と錯覚してしまうのです。
また、評価者側の「評価している感」のためにこうした定性的な項目が設定されているケースも少なくありません。
このような定性的な項目は、できたかどうかの基準を評価者と被評価者の間で完全に合致させることは困難です。
被評価者は、日々の行動でできているのかどうかを評価者に確認するしか判断できず、評価者は何度も確認されると業務の妨げになります。
被評価者は評価者に確認できなければ自己判断せざるを得ませんが、自己判断しても評価者からのフィードバックを得るまではそれが正しいかも分からないため、だんだん評価項目を意識しなくなっていきます。
漏れなく広範囲に望ましいポイントを評価するために項目に入ったにもかかわらず、認識がずれるせいで評価される側は迷うか意識をしなくなる。
評価する側はそのずれに悩まされた挙句、恣意的に判断するしかなくなる。
こうして属人的で不公平な「おかしい人事評価」になってしまうのです。
関連記事:人事評価と自己評価のズレとは?なぜズレが生じるのか、その理由を解説
評価者が複数存在する
多くの評価制度で「自己評価」「二次評価」「第三者評価」「社長評価」などの入力箇所を目にします。
それを平均して点数を出したり、二次評価者の評価が優先されたり、複数の評価者の評価を見て社長が最終決定をしたりと、運用の方法は多種多様です。
まず、自己評価については、どれだけ高い自己評価をしたとしてもそれが反映されるかどうかは、自分以外の誰かが判断して決定しますし、実情とかけ離れた自己評価をしたことによって自己理解という定性的な評価項目で低い評価をされるというケースもあります。
だとすると人事評価において自己評価することは意味がなく、社会生活において「評価は他者がする」という原理原則が崩れることはありません。
どれだけ「過去最高に美味しいラーメン」と店主が思っていても、売れなければ「美味しくない、もしくは売れないラーメン」なのです。
次に「二次評価」や「社長評価」などの複数人の他者評価は、被評価者が「誰が本来の評価者なのか」を正しく認識できなくなってしまいます。
迷った部下はパフォーマンスを落とし、それぞれから求められる要求に応えようとして心身ともに疲労してつぶれてしまう恐れもあるのです。
あるいは、一次評価者である直属の上司よりも二次評価者を上司として認識し、直属の上司の言うことを聞かなくなってしまったり、逆に上司を評価し始めたりすることもあり得ます。
そうなると評価する側の上司も苦しむことになるでしょう。
これは、「複数の評価者が存在した方が公平に評価できる」とか「直属の上司が未熟なので、より公平な判断ができるその上の管理者がチェックした方が安心」という思い込みが原因です。
自己評価に至っては、「あなたもそう思っているでしょ」と評価についての納得感を確認するために導入されるケースが多いのです。
公平な評価が行われているかのチェック(評価の難易度がそろっているか)は当然必要ですが、そもそも、個人的な解釈が介入しない明確でシンプルな評価であれば、その必要はありません。
曖昧で複雑な評価制度を運用しようとするために評価する能力が必要になり、その上で公平な運用を目指して自己評価や二次評価を導入してしまうせいで評価が複雑化します。
これにより評価に費やされる時間が増え、本来の業務を圧迫するだけでなく、上下の関係が機能せずに悩みや迷いを生んでしまうおかしい人事評価になってしまうのです。
おかしい人事評価を生まないためのポイント
上記のような誰も望んでいないおかしい人事評価を生まないために、次の3つのポイントを押さえておきましょう。
項目は必要最小限(覚えられる数)で
本来やるべきことが網羅できなくなるという不安から評価項目の数が増えていきます。
しかし、項目を最小限に抑えようとすると、複数の項目ができていなければ達成できない項目が残るために、結果としてやるべきことが網羅されるのです。
また、評価項目を覚えることができれば、日々の行動の決定の際にそれを意識できるようになるだけでなく、数の少なさによって一つひとつの項目に集中して取り組むことができるようになります。
認識がずれない明確な結果で評価する
期限が来たときに、誰であってもできたかできていないかが判断できる結果で評価します。
評価者と被評価者でその認識がずれず、評価者の個人的見解が介入しない評価であれば被評価者の不公平感や不満が発生しにくくなるのです。
また、自己評価や二次評価も必要なくなります。
環境変化や問題発生があれば変更する
評価制度は重要ではありますが、会社を勝利に導くためのものであり、あくまで「勝利のための道具」です。
そのため、会社を取り巻く環境が変わったり、いったん設定した評価項目で問題が発生したりした場合はすぐに変える必要があります。
数が少なく、明確な基準であるからこそ、問題も見つけやすく、変更もしやすくなるのです。
逆に、曖昧で項目が多いとどこが問題なのかが見つけられず、ボリュームが大きいために変更のための工数も多くなってしまうと言えるでしょう。
評価のあるべき姿とは
評価制度によって個人の集中力は高まります。
集中して日々の業務に取り組むことで従業員は成長し、より多くの価値を生み出して自らも多くの価値を獲得できるようになるのです。
ただ、そのような目的で作り始めたにもかかわらず、公平性やモチベーションを高めようとして複雑化してしまい、おかしい人事評価が生まれてしまう背景もご理解いただけたかと思います。
複雑化したおかしい人事評価は、集中力を低下させて従業員を迷わせ、組織のレポートラインに混乱を生み、管理職の機能も低下させてしまいます。
また、複雑に作りこんだおかしい人事評価は、そのボリュームの大きさや作るのにかかった時間の多さから環境が変わっても変更することが難しく、「会社が評価制度に合わせる」という本末転倒な事態を招いてしまいます。
自社の人事評価を「おかしい」と感じ、不満を持っている従業員が半数以上いると言われていますが、それはつまりおかしいまま仕事を続けている人が半数以上存在するということです。果たしてそれでよいのでしょうか。
おかしい人事評価が問題なのではなく、おかしいまま運用され続けているのが問題なのです。