登山といえば世代を問わずに人気のレジャーだが、遭難する人、遭難により命を落としてしまう人のニュースが残念ながら後を絶たない。
確かに、冬山登山や日本アルプスと言った難易度の高い山であればそれもわからなくもないが、実は遭難は決して、難易度の高い山だけで発生しているわけではないことをご存知だろうか。
例えば、東京都民にとって馴染み深いハイキングスポットである高尾山。
標高わずか600m足らずで初心者でも楽しめ、程よい達成感もあるので人気のあるレジャー登山の舞台だ。
しかしその高尾山では、実は例年100件もの救助出動が報告されている。
2017年に関して言えば107件の救助要請があり、そのうち5件が残念ながら死亡事故となってしまっている。
さらに18件の要救助者は、入院が必要な重症であった。[1]
これは実際に救助隊が動いた件数なので、遭難状態に陥ったものの、自力でなんとか下山道を見つけられた人たちの数は含まれないだろう。
そう思うと“たかだかハイキング”のような山登りでも、甘く見ているととんでもない結果になることを、数字から読み取ることができるのではないだろうか。
ではその山岳遭難。
いったいなぜ、どのような時に発生してしまうのだろうか。
パッと思いつくところでは
・登山道を踏み外し崖から転落する
・転倒し大ケガを負って動けなくなる
・嵐など悪天候による立ち往生
などをイメージされるのではないだろうか。
しかし実はこれらは、原因のトップではない。
警察庁の発表によるとその原因は圧倒的に「道迷い」で、全体の原因の38.9%だ。
2位の転倒(16.8%)、3位の滑落(16.5%)に倍以上の差をつけて、毎年ダントツの1位となっている。
ちなみに山岳小説やドラマの定番である悪天候に至っては、僅か0.5%でしかない。
さらに付け加えると、道迷いが発生するのは圧倒的に下山中が多くなっている。
それもそのはずで、山は頂上に向かっていくほど狭く、裾野に向かっていくほど広いため、現在地と方向を容易に見失ってしまうためだ。
筆者の記憶では、この傾向はもう10年以上まったく変化がない。
図:警察庁「令和元年における山岳遭難の概況」p7
https://www.npa.go.jp/publications/statistics/safetylife/chiiki/R01sangakusounan_gaikyou.pdf
言葉は厳しいかも知れないが、この状況は、山岳遭難のほとんどが登山者の自責によるものであり、天候の急変をはじめとした不可抗力によるものではないということである。
そしてこのような事実は毎年データで公表され、また私たちも一般常識としてよく知っている。
山を甘く見て登山に臨む人など、ほとんどいないだろう。
にも関わらず、山岳遭難に遭う人の人数は減ることがない。
これは一体、なぜなのだろうか。
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道を外した経営陣に突きつけられた”三行半”
話は変わるが、筆者はかつてTAM(ターンアラウンドマネージャー)として、ある会社の経営の立て直しに携わっていたことがある。
経営不振に陥っていた地方の中堅メーカーだったが、最終的に力及ばず再建を断念し、事業を売却してイグジットとせざるを得ない結果に終わってしまった。
そしてこの際、自力再建から事業売却に方針を大きく変えざるを得ない、決定的な出来事があった。
主要株主の、当社経営からの撤退だった。
大手証券会社の投資部門であったその株主はもちろん資金力も豊富で、経営の立て直しには資金援助だけでなく、取引先の開拓などでも非常に大きな助力を頂いていた。
直接投資だけでも数億円のキャッシュを投じてもらっており、まさに同社なくして事業再生はなかっただろう。
援助を受ける私の方にも、心のどこかに、
「ここまでまとまったキャッシュを投資し、しかも関与を深めているのだから、撤退するなどありえないだろう」
という慢心もあったように記憶している。
しかしある日、躊躇なく支援打ち切りの通知を受け取ることになり、経営トップ以下、為すすべを見失い呆然とすることになる。
その通知を受けたのは、何度目かの第三者割当増資の交渉中のことだった。
経営の立て直しに道筋が見え、事業の縮小から一転、新工場の建設を含めて攻めに転じようとしているタイミングである。
そのために数億円程度の資金需要のあった当社は、同社を中心とした主要株主に出資を打診した。
そしてこの交渉の際、筆頭株主であった同社は厳しい言葉で当社の、過去の経営責任の精算を求めた。
具体的には、経営トップと私以外の役員を全て解任し、部門長も入れ替え、有効な営業施策を立てるよう要求する内容である。
事業の拡大で失敗したにも関わらず、同じボードメンバーで反転攻勢に出るなど思い上がりも甚だしいという趣旨だ。
これに対し経営トップは、主要幹部の役員の立場は解任するが部門長として引き続き指揮を執らせたいと譲らず、会議は紛糾する。
ここで同社はついに、正式に支援の打ち切りを告げることになる。
「社長、もしかしてあなたは弊社が無条件で、数億円もの追加出資をするとでも思っているのでしょうか。」
「幹部の補充をにわかにすることなど不可能だ。当面のところは今の幹部で進めていきたい。」
「ではいつまでに、新幹部を採用するのですか?どこから採用するつもりですか?」
「それは考えながら進めて・・・」
「同じメンバーで事業を再拡大するなど、思い上がりではないのですか?同じことをまたするつもりなのですか?」
「・・・」
「社長、あなたは全く問題の本質が見えていません。だから御社は、デフォルトしかけたんですよ!」
最後の会話はこのような、かなり感情的なものであったように記憶している。
正直、株主担当者の言うことは今から思えば、もっともであった。
当時の当社は、第三者割当増資などで得た資金で債務を圧縮し、また仕入れ条件の改善などでなんとかキャッシュを均衡させていたに過ぎなかった。
そしてその多くは、株主の助力によりもたらされたものである。
つまり、事業の収益体質が顕著に改善したわけでも、営業基盤が強化されていたわけでもないということだ。
再び工場や事業所を設置し、事業を再拡大するような局面ではなかっただろう。
少なくとも、同じボードメンバーでやるなど、言語道断というのもある意味で当然のことだった。
そしてこの会議から程なくして同社は正式に当社の経営から撤退し、当社は事業再生から事業売却へと舵を切ることになる。
この際、私自身、局面を全く見誤っていた。
ここまで数字が改善されてきた状態で、まさか主要株主が損切りを決断するなどありえないと。
もしかしたら、その驕りや慢心が交渉態度に表れていたのかも知れない。
何れにせよ同社は、この舐めきった態度をとった経営トップと私に見切りをつけ、大胆な損切りをしてみせた。
そして私は同社を事業売却という形でイグジットさせ、程なくして会社を去った。
今に至るも、私の中で指折りに悔やんでいる人生の失敗の一つであり、本当に申し訳なく思っている。
なぜ人は”道を見失う”のか
そして話は、冒頭の山岳遭難の件についてだ。
その原因のほとんどは道迷いであり、しかも下山中に発生するというのは、先述のとおりである。
そしてそれはなぜこれほどまでに繰り返されるのか、わかっていても皆が陥るのか、なんとなくわかる気がする。
道を見失い、正解がわからなくなってしまった状態に追い込まれると、人は「偽物の希望」にすがろうとするからだ。
登山で言えば、
「もう少し歩けば、登山道に復帰できるかも知れない」
「ふもとまでたどり着けば、いくらなんでも人家があるはずだ」
「沢沿いに歩けば、いずれ大きな川にあたるだろう」
などなど、全く根拠がない見込みを立て、迷い道をさらに広大な裾野に向けて進んでしまう。
そしてこの際、決定的に人の決断を誤らせるのが恐らく、
「ここまで歩いたのだから、引き返すのはもったいない」
という、もっともヤバい考え方だろう。
言うまでもなくコンコルド効果の最たるものであり、絶対に考えてはいけない発想だ。
最善の結果を得るために、「ここまでの投資がもったいない」という思考は有害でしか無い。
道を見失ったら、まずは「自分の現在地はどこなのか」を理解できる場所にまで戻るのが、安全な登山の王道である。
考える余地はない。直ちに原点に戻らなければならない。
そして話は、主要株主に支援を打ち切られた時のことである。
あの時、経営トップは確かに、
「これまでこのメンバーでやってきたのだから、これからもこのメンバーでやっていきたい」
という、合理的とは言えない感情をもっていた。
私自身、「数字の改善を得ているので、主要幹部を全員切る必要まではないだろう」と、経営トップに理解を示していた。
しかしそれは、迷い道から抜け出すために全く無意味な発想であった。
少なくとも、経営不振に陥った原因を取り除き、「本来の目的は何なのか」といった原点に復帰するためには、避けて通れない決断だったはずだ。
それを株主は言葉を強くして当社に求めたが、応じなかった。
切られて当然である。
その結果、株主こそがまさに「ここまでの投資がもったいない」などというつまらない発想に一切囚われず、大胆な損切りをしてみせた。
さすがに、大手証券会社の投資部門らしい決断であった。
翻ってみて私たちはこの、「ここまでの投資がもったいない」という発想に、日常生活でも大いに囚われていないだろうか。
スマホゲームのガチャ、ギャンブルの「あと1000円」、UFOキャッチャーの「もう少しで落ちそう」など、
「ここで止めたらこれまでの投資がもったいない」
という発想は本当に、私たちの行動原理に非常に強く染み付いている。
どれだけ警察庁が警鐘を鳴らしても、
「ここまで歩いたのだから、引き返すのはもったいない」
と、裾野に向かって歩き続ける人が跡を絶たないのは、ある意味で当然のことだ。
わかっていても止められないのだから。
ぜひ、同じような感情をこの先の人生で感じることがあったら良かったらこのコラムを思い出して欲しい。
過去の損失を取り戻すことではなく、損切りをして未来の損失を予防することこそ大事な局面が、人生では多々あるはずだ。
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[1]ウェザーニュース「低山でも油断禁物 高尾山系でも年100件以上の救助隊出動」
https://weathernews.jp/s/topics/201810/150195/