組織論の本質とは?孫子の兵法を戦略に活かし敗れたリーダーたちは何に失敗したのか

「この戦い、西軍・石田三成の勝利である-。」
天下分け目の合戦・関ヶ原の戦いの戦場を俯瞰し、明治政府のお雇い外国人であったドイツ陸軍のメッケル少佐が言ったとされる言葉だ。

明治維新により新政府を打ち立てた日本は、形ばかり中央集権の国家を作り上げたものの、当然のことながらその体制を実際にオペレーションできる人材などいるはずもない。
起業したばかりのベンチャー企業のようなもので、やる気にあふれる血気盛んなリーダー以外、何も存在しないような状態だ。
そこで明治新政府は諸外国から様々な技能や技術をもつ外国人を招聘し、国造りに役立て行くことを企図したが、メッケル少佐もその一人だった。
1870年に勃発した普仏戦争でフランスに勝利したプロイセン王国(現ドイツ)は、当時、世界最強の陸軍国家の一つとされていたので妥当な人事だったのだろう。
その後、メッケル少佐は明治日本の発展に大いに寄与することになるが、要するに「世界有数の権威ある軍人」でも、戦場を俯瞰し、徳川家康ではなく石田三成の勝利を確信したという逸話である。

しかしこのとても有名な逸話。残念ながら現在では、昭和40年代に司馬遼太郎氏が著した小説が元とされており、逸話を裏付ける公的な資料は存在しない。
その一方で、この逸話を多くの人が真実だと信じたことには、十分な理由がある。
関ヶ原の戦いは実際に、布陣、陣容、勢力などいずれをとっても、石田三成のほうが優れていたからだ。

関ヶ原に集結した東西の軍勢は、石田三成8万に対し徳川家康が7万。[1] 細かな数に諸説あるものの、概ね西軍のほうが優勢であったという史実に間違いはないだろう。
また布陣も、窪地に主力を置いた家康を西軍が包囲する「袋のねずみ」のような状態で戦いが始まり、そして実際に、西軍が徐々に圧倒し始める形で戦いは進行していく。
つまり、「メッケル少佐ですら、石田三成の勝利だと確信したほどだ」というフィクションが独り歩きするのも、無理はない状況だったということだ。

孫子の兵法を借りれば、石田三成にすれば「まず勝ちて、後に戦う」体制を完全に整えたと確信して、戦いに臨んだことだろう。
戦いとは開戦の前にすでに勝敗が決まっているという考え方だが、実際に三成は戦に勝つためのあらゆる準備に成功し、戦いに臨んだ。しかし敗れた。
ではなぜ三成は、そこまで念入りに準備をしたにも関わらず、この天下分け目の合戦に敗れたのだろうか。
孫子の兵法など、何の役にも立たない机上の空論ということなのだろうか。

 

なぜ会社は失われたのか

 

話は私事で恐縮だが、筆者には30代前半の頃にかわいがって頂いた、思い出深い経営者の方がいる。
一代で1000億円企業を育てた食品メーカーの創業メンバーの一人で、当時、常務取締役だった人だ。
日本を代表する財界人にもなっていた経営トップの金庫番として知られた人で、筆者とは親子ほども年が離れていたが、経営者としてとても多くの薫陶を授けて頂いた。
経営計画の失敗で資金繰りに窮した時、億を超える投資をして頂くなど物心ともに支えて頂いたこともあり、今も足を向けて寝られない人である。

しかしこの常務。当時すでに60代の後半になっていたにも関わらず、子どもみたいな茶目っ気に溢れ、とても大企業の偉い人とは思えないような気さくな人だった。
ボーリングに行けば、若手社員にまじり20ゲームも投げ続けたと自慢するなど、良い意味で年甲斐もなく落ち着きがない。
ボスである経営トップとともに夜の街に繰り出しては、面白そうなお店を見つけると次々に入ってしまい、ボッタクリに遭ったことも一度や二度ではないというほどの「行動力」だった。

そして何よりも、取引先の面倒見が本当に良かった。
当時30代前半の若造だった筆者を信じ多額の第三者割当増資に応じて頂いただけでなく、生産設備の融通に加え、僅かなロットの仕入れでも破格の条件で面倒を見てくれた。
気さくで距離が近く、相手の年齢や事業の規模感に関わらず膝詰めで熱意を傾けてくれる常務には、当然のことながら多くの取引先や関係者が心からの敬意を寄せた。
そのため毎年、同社の設立周年行事には全国から多くの取引先が集まり、同社との共存共栄を喜びあった。
一代で1000億円企業を築き、また東証一部まで持っていくような会社の経営トップやその番頭さんとはこういうものなのだろう。
人間的な魅力に溢れ、同社はまだまだこれからも発展を続けていくだろうと、多くの人が信じて疑わなかった。

しかしそれから10年余りの時が過ぎた今、すでに同社は存在しない。
ある年、売上の計上を巡る不適切な処理を指摘されたことでメディアから集中攻撃を受け、また食品を巡る不適切な扱いが次々に報じられたことで経営が立ち行かなくなったためだ。
この一連の騒動の際も筆者は常務とコンタクトを続けていたが、正直メディアが報じている内容と事実には相当な乖離があったように記憶している。
またその後、同社はかねてから同社を買収することを希望していた会社の傘下に入っているので、この騒動自体の着地がそこを企図していたのではないかとすら思っているが、本件とは関係ないので割愛したい。
一つ確実なことは、この騒動に際して同社では、ひいき目に見ても「60km/h制限の道を、65km/hで走る程度の違反」はしていたであろうということだ。
正直、深刻な経営判断のミスであったとまで言えるほどの大事とは、筆者も客観的には認識していなかった。

しかし東証一部の上場企業ともなれば、コンプライアンスに関する世間からの視線は極めて厳しい。
加えて同社では当時、後に傘下に入ることになる会社から数%程度の出資を受けており、取締役1名の出向も受け入れていた。
であれば、不祥事は経営陣を追求するための格好の材料になるリスクにも、十分に配慮をする必要があったはずだ。
しかし、一代で大きくなった会社の中枢は経営トップ以下、創業メンバーが多くを占めており、そのようなリスクを想定する機能がなかった。
このようにして、「60km/h制限の道を、65km/hで走る程度の違反」は世間から厳しく断じられ、経営陣は総退陣に追い込まれた。
そして残された城は“敵”の手に落ちて、一代で築かれた1000億円企業はその歴史に幕を閉じた。

正直、今から思い返しても同社は、本当に魅力的な会社だった。
商品力があり、多くの消費者から愛され、また何よりも、経営陣の顧客や取引先に対する愛情は本物だった。
なぜ同社がこんな事になったのか、今も残念でならないが「60km/h制限の道を、65km/hで走る程度の違反」とは時に、ここまで破壊力を持つものなのだろう。

ぜひ、コンプライアンス遵守に責任を持つ経営者や責任者は、心して欲しいと思う。

 

組織論は手段以上の何ものでもない

 

話は冒頭の、関ヶ原の戦いについてだ。
先述のようにこの戦いでは、三成は必勝の体制を整えて戦場に臨み、実際の戦いでも徐々に家康を追い込んでいった。
おそらく三成は、早い段階で勝利を確信していただろう。まさに、「まず勝ちて、後に戦う」の孫子の兵法のとおりだ。

しかし戦いが進む中、西軍の主力の一つであった小早川秀秋が突如、三成を裏切り、1.5万の軍勢を率いて西軍の背後から襲いかかる。
西軍8万のうち1.5万が寝返り東軍7万に加勢したのであれば、当然のことながら数字の逆転は致命的だ。
更にそれ以上に深刻であったのは、西軍の要衝を固めていた1.5万がそのまま敵になってしまい、自軍の背後から襲いかかってきたことだろう。
最初から敵であったのであれば、勢力の差はそこまで決定的な要素ではなかったかも知れない。
しかしながら味方として信じ、要衝を任せていた主力が背後から襲いかかってきたのであれば、もはや三成に為す術はなかった。
このようにして、「まず勝ちて、後に戦う」体制を整え戦いに臨んだはずの三成は敗れ、家康は天下人となり、350年余続く徳川の治世が誕生することになった。

なぜ小早川秀秋は三成を、西軍を裏切ったのだろうか。
関ヶ原の戦いに関しては多くの説があり、また歴史家の中でも見解が分かれているために、確たることは正直わからない。
中には、「三成はそもそも、大軍を束ねる将器の人ではなかった」という説を唱える人もおり、三成の人間的魅力の無さに西軍の敗因を求める人も相当数、いる。
しかしそれだけで、本当に西軍の敗因を説明できるだろうか。
もし本当に三成が将器の人ではなく、人間的な魅力に欠けていたのであれば、家康を上回る軍勢を結集させ、そして必勝の体制を築くことなど、本当にできたであろうか。
天下分け目の歴史に残る大合戦を争った指揮官に対し、その評価は余りにも浅慮というべきだ。

では三成は、何に失敗したのか。
筆者には先述の、商品力に優れ、多くの消費者から愛され、さらに取引先からも敬意を集めていたにも関わらず城を失った経営者の姿に、三成の姿が重なる。
すなわち、過去の成功体験の延長で組織運営を捉え、存在するリスクも、過去の経験値以上のものは想定しない指揮官の姿だ。
その双方に共通するのは、必勝の組織論をなぞらえれば必ず勝ち続けるだろうという、無意識の楽観論である。
言い換えれば、「まず勝ちて、後に戦う」を、「勝てる体制さえ整えれば必然的に勝てる」と誤読した結果と言っても良いかも知れない。

組織論は道具であり目的ではない。
必勝の体制を整えることは勝利にとって必要な条件ではあるが、必勝の体制を整えたからと言って勝てるわけではない。
この、最後の最後のツメの甘さが三成の敗戦を招き、また1000億円企業の経営者が城を失った敗因であると思っている。
そういった意味では、最後に求められるのはどこまで行っても、経営トップの「人間力」ということに尽きるのではないだろうか。

 

[1]NHKスクール「関ヶ原の戦い」
https://www2.nhk.or.jp/school/movie/clip.cgi?das_id=D0005310077_00000