地域に密着して自動車に関するワンストップサービスをグループ体制で提供している、ナカタニ自動車。
それまでは創業者がすべてを仕切る“文鎮型組織”で、属人的な運営が行われていた。
創業者が急逝し、承継した代表取締役の中谷氏は経営者経験がない中で組織づくりの必要性に迫られ、識学を導入。
経営者としての基本スタンスとともに役割や評価制度を明確化、さっそく万年赤字部門のV字回復など業績向上に繋げている。
会社名 | ナカタニ自動車株式会社 |
所在地 | 大阪府門真市東田町6-16 |
代表者名 | 代表取締役 中谷清貴 |
事業内容 | 自動車販売、車検、整備、板金塗装、保険 |
企業サイト | https://www.nakatani-auto.com/company.php |
目次
文鎮型組織の属人的な運営と承継社長のマネジメントに課題
私の父親が1968(昭和43)年に大阪府門真市で自動車の整備と中古車販売を手掛けるナカタニ自動車を創業しました。その3年後に、車検や整備および新車・中古車、保険の販売を手掛ける部門としてナカタニ自動車(株)を設立します。
その後、1980年に車販と保険販売部門を分離して(株)ジェミニオートを設立しました。ジェミニオートは2003年に(株)ホットスルーに社名変更して現在に至っています。
事業の特長としては、グループ3社で車の販売、整備、車検、板金塗装、保険のご提供をワンストップでご提供することを強みとしています。
――御社には、2023年5月に識学をご導入いただきました。それまで、どのような課題があったのでしょうか?
2021年10月に父親が急逝し、私が名実共に二代目の社長に就任しました。それまでも私が社長ではあったのですが、名ばかりで実質的には会長である父親のワンマン経営体制が続いていたのです。
私はもっぱら営業に取り組んでいました。
社員は3社合わせて30名ほどいましたが、会長の下は私含め横一線の完全な文鎮型組織でした。
ですから、社員としては決まった上司がおらず、声が大きい者の言うことを聞くといった統制の取れない状況だったのです。社員同士が感情的に衝突するシーンもありました。
属人的で暗黙知的なルールが多く、業務フローは人によって違うバラバラな状態で、お客様の受付などのサービスレベルも人によって差がありました。
新人が入社しても「これをやればOK」という統一された基準がなかったので、心理的安全性のない、居心地の悪い環境だったと思います。
そうした状況に、さすがに会長も問題を感じ、私に現場を離れてマネジメントに専念しろと言いました。すると、途端に業績が落下したのです。
――中谷社長が営業として業績を支えていたわけですね。
つまり、私が社員を育てられていなかったわけです。当時は、自分が業績を上げることが会社に貢献することだと思っていましたから。
そんな考え方は、前職のアパレル会社の頃から続いていました。自分のやり方がすべて正しく、人のやり方を認めないといった独善的な考え方をしてマネジメントに失敗していたのです。
当時の自分を客観視すると、“嫌なやつ”だったと思います。周囲の社員からは煙たがられていましたから。
ですから、そんな自分がマネジメントに専念しようとしても、社員がついてこなかったのです。育てる以前の信頼関係ができていなかったということですね。
――課題は、組織ができていなかったことと、次期経営者としての自分自身の考え方にあったと。
社内ルールなどもなく、私自身が“マイルール”で動いている課題もありました。
業績を上げていた私が、特別な存在として値引きの決定権を持つことが暗黙の了解になっていたのです。そのことに内心疑問を抱きつつも、「こうしなければ売れない」という葛藤もありました。
「姿勢のルール」で態度を改め役割も明確に定義
――そんな中で識学を知ったわけですね。
2020年頃に知人が識学さんに転職し、私に紹介してくれて初めて知りました。話を聞いて、これは組織づくりに役立つと感じ、安藤さんの三部作を手に取ると、読めば読むほど腹落ちしていったのです。
そこで会長に導入を直訴しましたが、言下に「俺がルールや。そんなもんはいらん!」と。その後、知人から数度の提案を受けますます導入したいと思いましたが、会長に退いてもらう以外難しい状況が続いていました。
そうした中で父親が急逝し、何の引継ぎもないまま私が代表権のある社長になったわけです。
もちろん、経営経験はなく、何をどうすればいいかもよくわからない。そこで、まずは管理体制をつくろうと考え、いろいろな会社の制度を調べてみたのですが、ピンと来るものはありませんでした。そんなこともあって、やはり識学を導入しようと思った次第です。
――導入後の実践内容をお教えください。
利用したプログラムは、私のマスタートレーニングと7名いる幹部社員への浸透パック、および採用コンサルティング、評価制度構築サービスです。
まずは「姿勢のルール」を導入しましたが、幹部の最初の感想は「そんなん、当たり前やん」というものでした(笑)。確かに皆挨拶などはしていたのですが、それ以外の会議の時間を守る、報連相をするといった当たり前のことができていなかったことが自覚できたのです。
その原因は私にありました。
お客様との商談を優先するのは当たり前といった態度をとっていたからです。「姿勢のルール」によってこうした個人のエゴの悪影響を再認識し、改める大きな契機となりましたね。
大きかったのは、役職を設け、評価制度をつくる際に役割を明確に定義したことです。評価も、職種や役職ごとにKPIを設けて明確にしました。
その点、整備は整備士資格があるので導入しやすかったのですが、受付や事務はもちろん、営業への導入も当社にとっては画期的だったと思います。
それまで、車検のためにお客様のところに車を取りに行き、終了後に洗車してお客様のところに納車するといった作業も重要な役割だと思い込んでいた営業担当者もいましたから。そういったサービス業務は営業職から切り分けました。
人材採用や値引改善で業績が向上
――2024年10月時点ではまだトレーニング中ですが、これまでのところどういった効用が表れていますか?
目標に対する意識が生まれたことです。これまでも営業の台数目標などはあるにはありましたが、頭から「できるはずがない」と思い込んだり、未達でも「仕方ない」と思う社員がほとんどだったのです。
特定のメンバーをマネジメントする明確な存在もいなかったからです。目標に邁進するのは、私のように負けず嫌いな人間だけ、という状態でした。
そんな社内に、等しく全員が目標に向かって努力しなければならないというカルチャーが生まれつつあるという状況です。「こうすれば評価される」という基準が明確になったことで、全体的に士気が上がった感じがしています。
――業績向上には結びついていますか?
板金塗装部門の売り上げがV字回復し、それまで赤字だったのが半年で黒字になりました。識学で技術者が2名採用できたからです。
板金工は世の中的に非常に減少していて、確保するのが難しく、それまでは仕事はあっても人がいなくて生産性を落としていました。そこに戦力が加わったことで一転、絶好調な状況になっています。
整備部門も、それまでお客様を取るためにオイル交換などを格安で受けていたことを改めたことで、利益体質が高まりました。
また、“技術の安売り”を返上したことで整備士の意欲も高まっていると感じます。これまでも現場からは疑問の声が上がっていたのですが、会長も私も耳を傾けてこなかったんですね。そのことに識学導入で気づかされたと言えます。
――一方で、識学の導入に対するハレーションなどはありませんでしたか?
当初は位置ずれなどがありましたね。役職者を決めたことに対し、部下となった者から「何でこの人の言うこと聞かなあかんねん」という声が出ました。
また、マイルールを廃止したことなどに不満を覚えた数名が退職しました。
もっとも、その人たちは当社のルールが守れない上に経営に対しても批判的だったので、退職したことはお互いにとって良かったのではないかと思っています。こうした痛みは覚悟の上での識学導入でしたが、すべては改革によるいい経験であると認識しています。
――今後の課題についてお教えください。
なにぶん、50年以上に渡って創業者がワンマンで築き上げてきた風土を変えるのは、そうそう簡単ではないでしょう。これからも時間をかけて着実に取り組んでいきたいと思っています。
――最後に、組織マネジメントに悩む経営者にアドバイスをお願いいたします。
経営者経験がなかった私は、ナメられたらダメだと、威厳を保つために表面的な知識で虚勢を張っていました。マスタートレーニングの最初でそんな自分の問題点をズバリと指摘され、裸にされた気分になりました。
そこからは、わからないことは何でも教えてもらおうと素直に態度を改めるようになれたのです。失敗しても、社員にさらけ出せるようになりました。
そのように、第三者によるコンサルティングやトレーニングには大きな効果があると実感しています。
会社プロフィール
車検や整備を手掛けるナカタニ自動車、新車・中古車および保険の販売を手掛けるホットスルー、板金塗装を手掛ける中谷自動車の3社体制で、「生涯取引」を目標に自動車に関するワンストップサービスを提供。
大阪府門真市、守口市および周辺地域に密着し、約8,000名の管理顧客を擁している。従業員数は3社合計で35名。
インタビューイープロフィール
代表取締役 中谷清貴氏
大学卒業後、アパレルメーカーに入社し7年間営業に従事。会社の業績悪化を機に転進すべく、その前に期間限定のつもりで父親が創業していたナカタニ自動車に入社する。
実兄も入社していたが、父親は経営に興味があり適性があると判断した中谷氏を後継に指名。2021年10月、父親が急逝し、代表取締役に就任する。