1998年に発刊され、日本でもベストセラーになった『Who Moved My Cheese?』、日本名『チーズはどこへ消えた?』を手にとったことがあるビジネスパーソンは多いのではないだろうか。
全世界で2800万部、日本でも400万部が売れたベストセラーだが、その内容は寓話的であり、なおかつビジネス書という異色のスタイルだ。
しかもページ数は、わずか90ページ余り。内容は極めて平易で、難しいグラフも無ければ調査結果などのエビデンスも存在しない。
読書に慣れている人であれば10分で読める内容だ。
しかしその内容は示唆に富んでおり、シンプルで短いがゆえに解釈の多くを読者に委ねる。
シンプルな寓話から何を学ぶかは、読者がそれぞれ直面している人生の局面に任せる内容と言っても良いだろう。
だからこそ、これほどの部数を売り上げたのかもしれない。
では、それほど単純なこの本がなぜ、多くのビジネスパーソンを惹きつけたのか。
また多くのビジネスパーソンにとって示唆に富む内容になっているのか。
書評を兼ねて、少しお話してみたい。
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『チーズはどこへ消えた?』の要約
最初に少し、このベストセラーがどのような本であるのか。読んでいない人のために、ネタバレしない範囲で少し触れておきたい。
この本の主人公は2人の小人と2匹のネズミだ。
そして彼らは、腹ペコで必死になって食料を探し暮らしていたある日、山のようなチーズに出会う。
そのチーズは簡単に食べ切れる量ではなく、安心しきって毎日そこに通い、お腹いっぱいチーズを食べた。
とはいえ、食べ物なので食べ続ければいずれなくなる。
しかし山のようにあるから、いつか無くなることはわかっていても、それは今日ではない。
1週間先や1ヶ月先という近い未来でもなさそうだ。
であれば、わざわざ新しい食料を探しに冒険をする必要はない。
まずは、このごちそうを食べて寝るだけの楽しい毎日を過ごせばいい、と考えるようになるのは必然と言っていいだろう。
そのようにして2人と2匹は、毎日の食事が保証された、夢のような毎日を過ごすことになった。
しかし山のようにあったチーズは、残酷にもどんどん減り続ける。
であれば、その現実に対してどのような行動を起こすべきだろうか。
チーズが消えたら私たちは何をすべきなのか
簡単なことだ。
「無くなったものは仕方ないんだから、新しくチーズを探しに行けばいいじゃないか。」
それが普通の感覚だろう。
しかし、この本を手に取った多くの読者は、きっとそうは思わなかった。どう思ったのか。
「自分なら、思い切ってこの場所を捨てることができるだろうか」という、リアルな肌感覚だ。
例えば、会社が明らかな業績不振に陥り、給料カットが続くなど先行きが危ぶまれると思った時。
果たして目の前の「すっかり小さくなったチーズ」に見切りをつけて、新天地を探しに行く決心がつくだろうか。
経営者であれば、すっかり小さくなったチーズを素直に認めることができず、
「このマーケットは絶対に復活する。一時的にシュリンクしているだけだ」
と、根拠のない希望的観測にすがって、小さくなったチーズに必死になってしがみつかないと言えるだろうか。
配偶者からの愛も、親の命もそうだ。
今存在することに慣れれば、いつまでも存在すると錯覚する。
そして、「いつかなくなるかもしれない。だけど今日ではない。」と考えて、問題を先送りにし現実に向き合わない。
このようにしてある日突然、配偶者から三行半を突きつけられ、あるいは親を失い、現実を思い知る。
私たちはそれほどまでに、極めて低いレベルの現実認識能力しか持ち合わせていない。
苦労が大きいほど、チーズは捨てがたい
ところで筆者は、東日本大震災が発生した2011年の6月、震災からわずか3ヶ月後に起業した。
世の中の混乱は想像以上に大きく、経営計画通りの事業の立ち上げはなかなか覚束ない。
さらに、あてにしていた日本政策金融公庫からの借り入れが通らず、起業のために捻出した500万円だけが虎の子の手元資金になったが、そのうち初期投資で300万円をすぐに使った。
残っているのはわずか200万円のみ。
どう考えても、4ヶ月ももたずに資金は枯渇する。
そんな中、小さな実績を積み上げて信用保証協会融資を取り付けるべく、まずは必死になって仕事を進めた。
それでもなかなか収益は上がらず、もっとも苦しかった時は個人資産を併せても、現預金の総額はわずか70万円にまで減少した。
住宅ローンはたっぷり残っている。このまま行けば、まあ確実に家も失うだろう。
恐怖にも背中を押され、1年かかるような仕事を3ヶ月でこなすなど、神経を研ぎ澄まして必死になって小さな実績を少しずつ積み上げた。
そしてやっと、念願だった信用保証協会付融資を取り付けることができ、少しだけ経営は安定する。
さらに、信用保証協会の融資が通ったということもあり、日本政策金融公庫からも希望額満額の融資を取り付けることができた。
そして必要な投資を十分に行うことができて、会社は安定した収益を上げられるようになった。
大した話ではないが、これが起業後数年の、筆者なりの苦労話だ。
しかし、そこにマーケットがあると認知をされ始めてからの業界の変化はとても早かった。
ネット通販大手も同様の事業に進出をし始めて、売上は下り始める。
しかしそれでも、まだ十分儲けはある。
何よりも、あれほど必死な思いをしてまで築き上げた会社でありマーケットなので、思い入れもある。
目の前のチーズを簡単に捨てる決心など、とてもできない。
それでも迷った末に、筆者は十分な売上と利益があるうちにと考えて会社を売却し、そのマーケットから撤退した。
いずれやせ細るチーズなら、見栄えのいいうちに売ったほうが得策だと考えたからだ。
そして予想通り、そのマーケットは今では大手が席巻し、パイオニア企業を含めてその多くが撤退し、または廃業した。
結果として、これ以上はないタイミングで事業に見切りをつけられた。
失敗経験からこそ多くのことを学ぼう
これら起業から会社売却までの流れの中で、筆者の頭の中には常に、「チーズはどこへ消えた?」があった。
必死になって会社を起こした結果、ついに魅力的なチーズの山を見つけることができた。
そして、そのチーズは永遠に続くのではないかと思ったが、やがてチーズに変化が起きてしまった。
厄介なことに、私たちはこのような場合、
「諦めずに戦うことがカッコいい」
というドラマや映画を余りにも多く見すぎており、知らず知らずのうちにそのような価値観を刷り込まれている。
現状に見切りをつけて撤退をするよりも、諦めずに最後まで戦い最後に成功を収めるというストーリーに心を熱くし過ぎている。
しかしその裏には、厳しい現状に立ち向かった多くの経営者は成功を収めたのではなく、失敗し悲惨な撤退戦を余儀なくされた事実がある。
にも関わらず、メディアは希少な成功事例を感動のストーリーに仕立て上げて、視聴者や読者の心に火をつけてきた。
実際に、世の中の多くの経営セミナーやノウハウものも、そのほとんどが「成功者から学ぶ」というものばかりだ。
マネジメント層ではなく、リスク管理をされる立場であるミドルクラスまでのビジネスパーソンなら、それも良いだろう。
根本的なリスクは会社、すなわち経営者が管理をしているので、その立場のビジネスパーソンに求められる役割は、自分の権限の範囲でリスクにチャレンジすることだからだ。
困難な仕事に挑み、その結果失敗に終わったとしても、時にそのチャレンジは評価される。
最後まで諦めなかった姿勢には、きっと経営トップも満足するだろう。
しかし、それが許されるのは中間管理職までだ。
部長職以上など、会社の方向性に大きな影響力を持つ立場にあるビジネスパーソンは、「このチーズはいつまで存在するのか」という冷静な分析を絶対に怠ってはならない。
そして、世の中に多く存在する成功者たちのドキュメンタリーを決して真に受けてはならない。
成功者の成功体験は、その時のマーケット、その時のリソース、その事業を行っているタイミングなど、あらゆる要素が整った中で成し遂げられたものであり、再現が不可能とも言える話ばかりだからだ。
「チーズはどこへ消えた?」の寓話がビジネスパーソンに示唆することはとても多い。
それは、「人はなぜ失敗するのか」を、肌感覚で教えてくれるからに他ならない。
僅か90Pの薄い本だが、ぜひそれぞれの立場で、「今、目の前にあるチーズ」と向き合うきっかけにして貰えればと願っている。
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