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優柔不断のため会社を失った三代目社長の話を他山の石としよう

上場していない中小・中堅企業にとって、オーナー社長の後継者は、社長の親族から選ばれるのが普通です。そのため、創業者から数えて、子供(二代目)や、孫(三代目)にあたる社長も珍しくありません。

そのような歴史ある名門企業であっても、常に経営がうまくいくとは限りません。社長になった二代目や三代目が、トップに必要なリーダーシップに欠けていた場合、しばしば、深刻な事態に陥ります。

育ちは良いが、優柔不断でコミュニケーション能力に乏しい三代目が、自分の会社を失った話を紹介いたしましょう。

 

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業界の名門-S社の成長と発展

 

S社は、昭和20年代に創業された老舗の物流会社です。カリスマ的な魅力を持った初代の創業社長が会社の基盤を作り、有能な番頭格の社員を何人も育てました。

創業者の下で、親と一緒に苦労しながら会社を大きくしてきた二代目社長には、創業者のような特別なカリスマ性はありませんでした。しかし、有能な番頭たちをうまく使いこなすことができました。

やがて、70年代から80年代にかけて、S社の売上は伸びていきました。業績は順調でしたが、今度は、人手不足に悩まされるようになります。

人手不足を解消するため、有能な番頭の一人が、自動化の進んだ革新的な物流センターを構想します。しかし、その実現には、数十億円の新規借り入れを起こす必要がありました。

中堅企業であるS社にとっては、社運を賭けた大型投資であり、失敗したら倒産につながります。二代目社長は、夜も眠れないほど悩みましたが、有能でやる気のある番頭のアイディアにかけて見ようと決断しました。

 S社は、銀行との困難な交渉のすえ必要資金を調達すると、湾岸地域に1千坪の土地を購入し、革新的な物流センターを開業しました。大幅に自動化、省力化を実現した新物流センターは、業界全体の話題となり、見学者が次々に訪れるほどでした。

 新物流センターの開業とともに、S社の業績も急拡大します。バブル経済の追い風を受けて、平成になる頃には、年商100億円、経常利益10億円、従業員(パート・アルバイト含む)1千人を超える立派な大企業になりました。

 ここまで成長すれば、十分にIPO(株式の新規上場)できる規模です。実際、大手の証券会社が、熱心にIPOを勧めてきました。

 しかし、二代目の社長も、会社を大きく成長させた有能な番頭たちも、物流についてはプロでしたが、IPOの意義を理解できませんでした。

IPOによって、顔の見えない株主が増えて、毎期、株主総会を開催したり、世間の投資家に向けて決算発表をすることを面倒なことと感じました。そのため、度重なる証券会社の働きかけを断って、非上場の方針で進みました。

今思えば、バブル期に株式上場していれば、十億円単位の資金調達ができ、強固な財務体質を築くことができたことでしょう。

しかし、面倒な上場準備を進めて株式市場に上場するより、長年の取引関係にある大手銀行からの融資でやりくりする方が、経営陣にとって楽でした。

大きな黒字決算が続いていましたから、銀行は、「もっと借りてください」と融資の営業に来ます。銀行が必要以上に貸そうとするので、S社に資金繰りの苦労はありませんでした。

 

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好景気は、いつまでも続かない

 

S社の繁栄は、いつまでも続くかと思われましたが、バブル崩壊後、90年代後半になると、業績に陰りが出てきます。

1998年のアジア通貨危機をきっかけとする不況の中で、S社の売上も最盛期の7割程度に落ち、ついに経常赤字に陥り、運転資金に困るほどになりました。

業績が赤字化するとともに、銀行の融資姿勢は厳しくなりましたが、それでも長年付き合いのある名門企業のS社を、銀行は支援してくれました。

しかし、ITバブル崩壊による2001年以降の不況期になると、友好的だった銀行の姿勢が一変しました。世間で「貸し渋り」や「貸しはがし」という言葉が流行しましたが、S社も「貸しはがし」にあうようになります。

赤字が続き運転資金に苦しんだS社は、以前のように、メインバンクに追加融資を申し込みます。しかし、追加融資をあっさり断られたばかりか、既存融資への追加担保を要求されます。

会社の保有する不動産や有価証券はもちろん、社長個人の土地など、担保に入れられる資産は、すべて担保に入っており、追加担保にできる資産はありません。追加担保がないと分かると、銀行は既存融資の返済を迫ってきました。

それまで、S社の運転資金は、3ヶ月ごとに短期借入金を借り換えることで資金繰りを行ってきました。短期借入金は金利が低いため、金利的には有利な借り方ですが、反面、銀行は借り換えを断ることによって、容易に資金を回収することができます。

業績が良かったときは、「もっと借りてください」といっていた銀行が、手の平を返したように、S社に対して「短期借入金の借り換えに応じられない」と通告してきたのです。

二代目社長と、その息子である三代目の副社長は、連日のように銀行と交渉を続けましたが、担当者では、らちがあかないので、支店長と直談判することにしました。

支店長は、若手の頃、S社を担当していたことがあり、S社の事業の内容や優良顧客のことをよく知っていたので、当然、善処してくれるだろうと期待してのことです。

しかし、支店長の態度も冷たいものでした。「本部審査が通らないので、全額の借り換えには応じられません。短期借入金の半分(約5億円)は、すぐに返済してください」と、逆に迫られることになりました。

当時、70代半ばを超え、病気がちで体調の優れなかった二代目社長は、すっかり取り乱し、「これでは、うちは倒産だ!」と支店長室で叫びました。それでも支店長に向かって、涙ながらに借り換えを懇願しました。

社長の泣き落としで3か月間だけ猶予をもらいましたが、その間に有効な経営再建計画を作って提出することが条件になりました。

銀行の求める「経営再建計画」とは、ようするに「大規模なリストラを行い、経費を徹底的に削減して黒字化させる計画を作れ」ということです。

 

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三代目の奮闘と挫折

 

ここにきて、危機感をもった三代目の副社長が、何とか事態を好転させようと奮闘しはじめます。しかし、御曹司として社内で大事にされてきた苦労知らずの三代目には、荷が重すぎました。

じつは、S社には、起死回生の再建策がありました。それは、バブル期に建てた新物流センターを売却することです。

当時は、取扱量が減っていたので、スペースが余っていました。S社は、新センターと旧センターの二つの大きな物流センターを持っていましたが、それを一つに統合して、新センターの土地を売却すれば、借入金の大部分を返済できます。

しかし、幹部社員は売却に大反対でした。役員や部長にとって、苦労して建てた新物流センターは、会社の誇りです。多くの経営幹部は、外部から賃貸している旧センターを解約して、新物流センターを残すことを主張しました。

三代目の副社長も当然、旧物流センターの解約を検討したのですが、バブル期に賃貸契約を更新していた旧物流センターの契約条件が厳しすぎました。

賃料が高いだけでなく、契約期限終了前に解約するには、数億円の違約金を支払わなければいけない条項があったのです。このような不利な契約を安易に締結したところにも、バブル期の好景気を謳歌していたS社の油断が見えます。

顧問弁護士に相談しても、契約は契約ですので、どうすることもできません。家主と交渉して、家賃を少し値引きさせるのが精一杯でした。

そのため、自社保有の新物流センターを売却するしか、経営再建の方法がなかったのですが、三代目は、社内の意見をまとめることができませんでした。

創業者が手塩にかけて育てた有能な番頭たちは、すでに定年退職していました。社内に残っていた番頭格の役員や部長たちは中途入社組が多く、いくつかの派閥に分かれていたのも、社内の意見が紛糾した原因の一つでした。

このようなとき、役員や部長たちの反対を押し切って思い切った改革を進めるには、経営者の強力なリーダーシップが必要です。

しかし、高齢で病気がちの二代目社長は、そもそも、ほとんど出社しなくなっていました。たまに出社しても、社長室に引きこもって会議にもでようとしません。

従来から経営企画室を担当していた三代目は、予算管理や経営計画の策定などのデスクワークが好きでした。コミュニケーション能力に自信がなく、本人の希望もあって、営業を経験していませんでした。

かといって、普段から現場を見て歩くこともしないので、社員との関係も希薄で人望もありませんでした。三代目は、二十代の頃から社内で「若殿」扱いされ、大切にされ過ぎていたわけですが、それが危機のときにマイナスとなって現れました。

三代目には、いざという時に必要な決断力がなく、意見をまとめるためのコミュニケーション能力にも乏しく、反対意見にあうとたちまち腰砕けになり、かえって番頭たちの顔色をうかがう有様でした。

社長も、副社長もリーダーシップを発揮できないため、新物流センターの売却という唯一の再建策は、いっこうにまとまりません。

 

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買収され、会社から追い出された三代目

 

高齢で病気がちの二代目社長や、リーダーシップを発揮できない三代目副社長の様子を見て、銀行は、「これでは自力再建は無理だ」と考えるようになりました。

かといって、S社に対して、長期短期あわせて30億円以上も貸している銀行としては、S社を倒産させても、不良債権が増えるだけでメリットはありません。そこで、銀行はS社の買収先を探し始めました。

約束の3か月が過ぎる頃、現経営陣には、まともな再建計画を作れないと見切った銀行は、M&Aによる再建を提案し、買い手先候補を紹介しました。

再建計画を作れなかった三代目は、銀行の提案を断ることができません。むしろ、「どこかに買収された方が楽になる」といわれ、すっかりその気になりました。

その後、紆余曲折はあったのですが、最終的に、S社は、同業のA社に買収されました。A社は、二代目社長を退任させ、三代目の副社長を常務に降格させました。

A社が送り込んだ新社長のリーダーシップの下、買収から1年後には、S社の誇りであったはずの新物流センターは、マンション開発業者に売却されました。

新物流施センターの土地が、40億円という予想外の高値で売れたため、A社は、S社の買収資金35億円(オーナー一族への株式買取り代金2億円+銀行融資の肩代わり33億円)を、S社の土地の売却代金ですべて回収できました。

A社の経営陣から、社内で無視されるようになった三代目は、やがて、うつ病になり、買収されたS社を自ら辞めて、これといった仕事をせずに趣味に生きる生活に入りました。

S社のケースでは、自宅など個人財産はすべて残りました。三代目も、S社株式の売却益により、贅沢しなければ十分に生活できるだけの金融資産を手に入れました。そのため、三代目個人にとっては、ハッピーエンドなのかもしれません。

しかし、業界の名門といわれたS社の歴史を知る関係者は、自主再建を早々にあきらめて、会社を手放した三代目のことを、何とも残念な人だと感じています。

 高齢で持病を持っていた二代目社長は責められませんが、当時40代で働き盛りだった三代目の副社長に、社内を取りまとめるコミュニケーション能力と、反対意見を跳ね返すだけの決断力があれば、S社は自主再建できたと思われます。

会社がうまくいっているときは、経営者は、番頭格の役員や部長にかじ取りを任せていられます。しかし、会社が危機的な状況になったときには、トップダウンのリーダーシップが強く求められるものです。

オーナー経営者やオーナー企業の経営幹部の皆さんには、S社の事例を他山の石にしてほしいものです。

 

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